石碑による京都史蹟を論じて龍馬の戦争抑止論に絶句した
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高知旅行のつかれが残っているなか、嵯峨野学藝倶楽部「京都歴史講座」に出講(主催:伝統プロデュース連)。
高知旅行参加者は(疲労で)誰も参加されないと思っていたのに、K藤M子さんとM本Iくえさんがおられた。熱心さに舌をまく。
ここでは「石碑が建てられたため史蹟が生まれた。だから誰がいつ、何のために石碑を建てたのか」という問題意識で、京都史蹟論を連続講演している。
今回は角田文衛博士と財団法人古代学協会(平安博物館・古代学研究所)の21の建碑をとりあげた。
自身の建碑活動が、知らず知らず角田文衛博士と財団法人古代学協会の活動に影響を受けていることを日々痛感している。もちろんそれは主に山田邦和博士を媒介してだが。そんなお話をした。
夕方からは、木屋町六角下ルの「龍馬」で、「基礎からまなぶ坂本龍馬」に出講。こちらも高知旅行参加者がひとりこられた(S本K彦さん)。
今回は、土佐亡命後の龍馬が勝海舟に出会うまでを論じた。いつもいっていることだが、龍馬をとくカギは、攘夷や開国・倒幕ではない、これは手段に過ぎない。目的は「海防(国防)」なのだ、と述べた。
夜、龍馬で「龍馬伝」をみた。枝葉のミステイク・非事実はいい。
本質にかかわること。龍馬の堅固な武装目的は、外敵にけんかをふっかけられないためという発言があった。
現代の「核武装、戦争抑止」論を幕末をえがくのに使われたのですね。
本ドラマはやはり「平和論者龍馬」にしたいらしい。
残念ですが実像とかけはなれています。もうすでに「坂本龍馬」ではありません。
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