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2010.04.03

幕末をたべた―二軒茶屋中村楼

4月1日(木)あめ

 NHK京都文化センターの講座で「幕末を食べる」が始まった。

 本日その第1回で、祇園社南門前の二軒茶屋中村楼に行った。全員参加で15名。

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 由緒の深いお店である。江戸中期の安永9年(1780)刊行の観光ガイドブック、『都名所図会』に掲載された祇園社の絵の、いまと同じ位置に描かれている。

 すると少なくとも320年も前に、同じ場所に確実に存在するわけだ。すごい。

 二軒茶屋は、その名のとおり、もと二軒あった。門前東側の柏屋と西側の藤屋である。西側の藤屋は廃絶し、東側の柏屋が中村屋となり、中村楼として現存しているのだ。

 この由緒をお話ししたら、もうお食事の時間になった。名物の田楽などおいしい料理をゆっくりゆっくりいただいた。

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 お食事会のあと、学習のつづき。幕末土佐山内家の家臣がよく使ったことを、寺村左膳や神山左多衛の日記で確認した(前者が慶応3年11月14日、後者が同11月15日)。

 そう、龍馬殺害の前日と当日である。そして有名になったのが、龍馬の刺客の遺留品の下駄のひとつが中村屋のものだったという話。「中」の印があったという。

 でもこれは鳥取池田家の風説留に記録されたものなので、あまり信用ができないと申し上げた。

 そのときはお話ししなかったのだが、ほかに有名なのが、先斗町の瓢亭の下駄が残されていたという話。

 事件直後、近江屋新助が、先斗町の瓢亭に問うと、職員が前日に新選組に貸したと述べたという。

 でもこの出典は岩崎鏡山「坂本と中岡の死」である。岩崎鏡山が近江屋新助の子息、井口新之助から聞いた話。同時代史料ではない。つまりいずれもあまり当てにならない。

 雨が降っていたが、最後に屋外へ出て、『都名所図会』に描かれた姿を現況と比較してみた。

 あと藤屋跡に現在建つ、「迷子石」をご紹介して終わった。

 楽しかった。次回も楽しみだ。

 詳しくは http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_542014.html

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