祇園社をあるいて綱吉を論じて石碑を打ち合わせて高瀬川で花見
4/6(火)はれ
朝9時、「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」に出講。
本日は、3日目(全7日)の2日目。知恩院三門に集合。
知恩院三門は、「三解脱門」の略だから山門ではなく「三門」だとされるが、江戸中期の観光ガイドブック『都名所図会』には、「三門」ではなく山門とある。
「三門」は、現代の人のこだわりではないか。
当て字があたりまえの時代でもあるから、こだわりはないのかも知れない、なんてことを述べる。
御影堂・阿弥陀堂参拝ののち、祇園社(八坂神社)へ。
『都名所図会』の挿図を片手に歩き倒す。もともと祇園社は「祇園感神院」ともよばれていたから、寺の顔をもっていた。だから寺院建築もたくさんあった。
本殿の西側に薬師堂、南東に多宝塔があったことを伝え、その跡地でたたずんでみた。
また二軒茶屋にも。ただし今回は入らず。
境内の北側を「祇園林」、東側の円山公園部分を「真葛原(まくずがはら)」と呼んでいたこともお伝えし、真葛原の東奥の安養寺の旧境内をしのんでみた。
安養寺六坊の多くが廃絶したが、料亭の左阿弥や弁財天など意外と残っているものも少なくない。
桜がとてもきれいであったが、場所取りテントと、その上で朝からごろごろ寝ている若者群にはみかねた。
午後0時30分から京都駅前、キャンパスプラザ京都で「基礎からまなぶ!日本歴史」。まだ綱吉政権。次回ようやく赤穂事件か。
午後2時、某所の石碑建立の打ち合わせ。そのあと大番頭(総務部長)K畑さんと現地にも行く。
夕方5時から、K畑さんと木屋町三条上ルで花見を兼ねた懇親会。奥さんも合流。
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