大坂の龍馬ゆかりの地をあるいた
3/25(木)
既述だが、午前中、いつもの「江戸時代京都の観光モデルコース」2日目を終える。
午後から京都新聞文化センター「龍馬講座」の巡検で、大阪市内へ。
伏見と大坂を結ぶ船乗り場跡のうち、龍馬ゆかりといえる2ヶ所(「八軒家」堺屋重兵衛跡と、東横堀の思案橋西詰め河内屋与次兵衛跡)をたずねる。
前者は、近年奥野聡子氏が、大阪市立中央図書館蔵の安政3年(1856)の水帳(土地台帳)から、新選組ゆかりの京屋忠兵衛の東隣地にあったことを明らかにされた(同氏「新選組定宿・京屋忠兵衛跡を発見!」『維新の道』136号、霊山歴史館、2010年)。
神戸村に移る前の勝海舟の大坂の居所跡は複数ある。今回は2か所を訪ねた。
まず近藤長次郎の息子百太郎が伝える「北鍋屋町専称寺」跡(吉村淑甫『近藤長次郎』144ページ、毎日新聞社、1992年)。
『海舟日記』文久3年(1863)3月1日条に記載された、勝の旅宿「北溜屋町真正寺」は誤記で、正しくはここか。それなら同日龍馬らが京都より訪ねている(勁草書房版『勝海舟全集』18巻、32ページ)。
やはり近年、前述奥野聡子氏が、大阪市立中央図書館蔵の水帳から北鍋屋町「専称寺」を確認された(同氏より教示)。
また望月亀屋太の母宛書翰(文久3年(1863)1月21日付)にある、「本町三丁目、先生の御旅宿」も勝の旅宿跡のひとつである(横川正郎編・解読『維新志士の手紙/望月亀屋太・間崎滄浪』5ページ、維新志士の手紙刊行会、1997年)。
詳しくはわからないが、現在の本町三丁目を訪ねてみた。
それから地下鉄に乗り、西区西長堀駅ちかくの土佐屋敷跡へ。現在も立派な土佐稲荷社があるため意識できる。
維新後は岩崎弥太郎のものになったので、いまも三菱関係社の保護が多いらしい。玉垣に「三菱」の多いこと。
「岩崎弥太郎邸跡」の碑もあり、今年の史蹟めぐりにはまったく都合がよい。訪問者も多いはず。幕末期の石造物も少なからずあり、龍馬らが触ったかもと遊んでみる。
大坂の龍馬や幕末史蹟はとても多い。が。京都に比して知られることが少ない。おしいことだ。
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