京都町奉行の施行に感謝する上京町人
2月26日(金)あめ
くずし字入門に出講。
今回も洛中(上京)に住む、松屋田淵治兵衛の日記を読む。嘉永4年(1852)5月~6月のふたつのネタ。
一つ目は同年5月17日の暮れ六つ、すなわち現在の午後4時ぐらい。北野中ノ森の「影向松(ようごうまつ)」が雨も風もないのに自然に倒れた話。
「影向松」は、いまも北野天満宮境内にたつ、知られた松のこと。
たまたま北野社に参詣に来た、一条通日暮西入ルの「銭源親父」がこれにまきこまれて大けがをして評判になったという。
たくさんの人がいたが、皆逃げたのに、「銭源一人だけがけが(怪我)致候故(ゆえ)いろいろひやうばん(評判)」とある。
「銭源親父」には悪いが、たわいのない話。
二つ目は少し大きな話。
前年の嘉永3年(1850)夏ごろ、畿内・西国で米価など諸物価高騰のため、飢饉がおこった。
それに対して奉行所が貧民救済のため、何度か施行を行っている(京都市『京都の歴史』7巻、155ページ、174ページ)。
『京都町触集成』12巻の239号文書(嘉永4年5月付)が、同時期の貧民救済を触れたものであるが、当該史料はそれに関するものらしい。
「同6月、たびたび御役所(東西奉行所)より施行米が250石(銀25貫匁)出る。それゆえ教諭所で施行が行われた。
(略)またぞろ6月17日、御役所様(奉行)が下立売の長源寺へこられ、町々へめいめいお呼び出しがあり、御上様(将軍?)にも格別の思し召しゆえ、10カ所において日々困窮人が1万2千人も助かった」みたいなことが記されている。
上記『京都町触集成』12巻の239号文書には町奉行が長源寺に来たことなど記載がない。そういう意味で貴重な史料ではなかろうか。ちなみに長源寺は、猪熊通下立売上ル北西角にあります。
これはまだつづきがあります。それはまた次回。
その原文書を読まれたい方は、よろしければ以下にお越しください。
記
中村武生のくずし字入門
日時:2010年3月5日(金)午後0時30分~1時40分
会場:キャンパスプラザ京都・5階第3・4演習室(JR京都駅烏丸中央口から西へ徒歩5分。京都市下京区西洞院塩小路下ル東側。ピックカメラの向かい)
参加費:500円
案内:中村武生(歴史地理史学者、京都女子大学非常勤講師)
※どなたでも参加できます。予約不要。直接会場にお越しください。
※鉛筆・消しごむ・原稿用紙を持参ください。
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