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2010.03.12

龍馬伝第10回をみた

 龍馬伝第10回「引きさかれた愛」をみた。

  今回は江戸から帰った龍馬が、平井加尾にふられるところまで。

 高知に着いたのは、いつもの平尾道雄が筆写した「福岡家御用日記」を信じるなら、安政5年(1858)9月3日である(9月4日条)。

 ただしこれは、「福岡家御用日記」の龍馬部分を筆写したという平尾道雄のノートに記載がない(平尾道雄編『土佐維新史料』日記篇2<史料平尾文庫2>、高知市民図書館、163ページ)。

 ではなぜわかるかというと、平尾の著書『龍馬のすべて』に引用されるからである(77ページ、久保書店、18版1974年)。なぜ筆写したノートに記載されていないものを、平尾は引用できたのか。原本はすでに焼失し現存しないのに。それを説明せず平尾は亡くなったので、永遠の謎になった。

 だからこの部分にとどまらず、平尾の筆写した「福岡家御用日記」そのものの信ぴょう性が疑われるのである。

 とはいえ、これを疑うと何もわからなくなるので、事情を認識しつつ、使うほかないという態度をとっている。

 龍馬が平井加尾に求婚したのは、もちろん事実ではない。そんなことはいう必要もないか。

 平井加尾が京都へ行ったことと、兄収二郎や武市半平太の政治的野望は関係がない。

 いやそもそも、以前も述べた気がするが、武市が吉田東洋打倒や土佐の国政掌握に動きだすのは、はやくても文久元年(1861)のことだろう。今回は通商条約が締結されたので、安政5年(1858)である。3年は早い。

 平井加尾に戻る。

 加尾が上洛した時期は厳密にはわからない。晩年の回想録「平井女史の涙痕録」にも年次の記載はない。

 宮地佐一郎は、「加尾は三条公睦(実美の兄)に嫁した友姫(山内容堂の妹)付きとして、安政六年より文久二年まで、四年間を京都で勤事していた」とする(『坂本龍馬全集』4訂、1988年、985ページ)。

 「龍馬伝」は、この安政6年(1859)説が採用されたのだろう。

 ちなみに「友姫」は誤りである。

 『皆山集』3巻所載の「御当家御系譜」1によれば、「騂(せい)、後恒君」である(39ページ)。ドラマでは、あとの「恒君」が使われて「恒姫(ひさひめ)」になっていた。

 恒君(信受院)の生年は天保7年(1836)で、加尾より2つ年上である。上記系譜によれば、嘉永5年(1852)12月に三条実睦に嫁いだ。数え17才である。

 平井加尾の遺品の調査報告である『平井・西山家資料目録/歴史分野』は、この嘉永5年(1852)から、加尾が恒君に勤仕し上洛した可能性を否定していない(高知県立歴史民俗資料館、2005年、33ページ)。

 もしそうならドラマの設定が全部くずれる。龍馬との恋愛があるなら、すべて龍馬第一回江戸行き以前のこととなる。

 当然、安政6年(1859)の求婚も失恋もない。

 平井加尾が上洛した理由に閉口した。

 「お公家様のなかでもっとも攘夷に熱心な方」である、「三条実美様に取りいるために隠密を送り込」むと、大森南朋さん扮する武市半平太が語った。

 実美の兄が実睦で、それが恒君の嫁ぎ先だからと。

 当時、まだ実父三条実萬が存命である。実萬は安政大獄で処罰され、安政6年(1859)10月、京郊一乗寺村で死去する。

 実美が政界に登場するのは、父実萬の跡をついだあと。厳密にいえば父の死後3年の文久2年(1862)5月以後である(笹部昌利氏「幕末期公家の政治意識形成とその転回―三条実美を素材に」『佛教大学総合研究所紀要』8号、2001年、29ページ)。

 それ以前に実美が他から注目されることはないといってよい。三条実美にちかづくため、加尾を恒君のもとに送り込んだなんて、論外だ。

 なおドラマではまったくふれられていなかったが、恒君の夫である三条実睦は、当時すでにこの世にいない。嘉永7年(1854)2月に他界しているからである(宮内省図書寮編『三条実美公年譜』45ページ、1969年覆刻、宗高書房)。

 だから弟の実美が父の家督をつぎ、政界に登場するのである。

 いわばドラマの加尾は、「未亡人」恒君のもとに派遣されたわけだ。だから正しくは「恒姫様」ではなく、法号の「信受院様」と呼ぶべきだったろう。念のため記しておく。

 また長くなりすぎた。

 龍馬が北辰一刀流の免許をもらっていたが、現存するものは「長刀(なぎなた)」 に過ぎず、これを「北辰一刀流免許皆伝」といってよいのかとか、岩崎弥太郎の出獄は、吉田東洋の措置ではなく、弥太郎と一家・仲間の運動の結果だとか、その結果、村を追放になり、食えないから塾経営を行ったとか、そのとき近藤長次郎や池内蔵太が学んだとか、まだまだ述べることはあるが、これは以前に少し記したので、今回はここまで。

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