龍馬伝第7回をみた
龍馬伝第7回「遥かなるヌーヨーカ」をみた。
今回は、河田小龍(かわだ・しょうりょう)が登場した。
龍馬に「海事思想と世界の大勢を説」き、「大きな感化を与えた」と評価の高い人物である(『明治維新人名辞典』310ページ、吉川弘文館)。
河田小龍の回想「藤陰略話(とういんりゃくわ)」の抄録によれば、嘉永6年(1853)9月か10月ごろ、土佐の河田の宅に龍馬が突然訪ねてきて、「時態ノ事ニテ君ノ意見必スアルヘシ。聞タシ」(時勢について、あなたは何か意見を持っているはすだ。聞きたい)といった。
最初は返事をこばんだ河田だったが、龍馬のしつこさに負けて自説を述べだす。
「何とかして一艘の外国船を買い求め、同志を募ってこれに乗せる。そして東西往来する旅客や、官私の荷物などを運搬する。すると船を動かすための費用を稼げるし、海上での練習にもなるから、航海技術もえられ、わずかのことなら役に立つだろう」と言った。
これに龍馬は感銘を受けた。「坂本手ヲ拍シテ喜ヘリ」。
と、まだまだつづくのであるが、きりがないので(以上、『坂本龍馬関係文書』1巻、40-41ページ)。
ただ河田と龍馬の話は、残念ながら同時代の龍馬側の生の史料には出てこない。現存する龍馬の書翰に河田は一切出てこない。
だから信用できないとはいわないが、あるていど差し引いておくべきではある。
年次も誤っている。龍馬が河田のところに来たという嘉永6年(1853)9月~10月は、龍馬は江戸にいる。まだ土佐には帰っていない。
「藤陰略話(とういんりゃくわ)」とは、そのていどの史料なのだ。裏付けられる良質の同時代がない以上、あまり重く用いてはならないと思う。
いい遅れたが、サブタイトルになった「ヌーヨーカ」(ニューヨークの意)の文言は、ジョン万次郎から聴きとった話をまとめた、河田の著作『漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)』に出てくる。
「「ヌーヨーカ」といへる都府は、三十余国中の一政所にして、衆人才学兼備の人を推して政官たらしめ、在職する事四年を以て限とす。然れとも、もし高徳化治抜群たる人たれば、猶職を退かしめず」
という感じである。ここから取られたのであろう。
龍馬の海防意識とか、岩崎弥太郎の江戸行きとか、武市半平太の「攘夷」論とか、話題にしたいことはいくつもあったのだが、今週は時間がないので、ここらへんで。
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