龍馬伝第5話をみた
龍馬伝第5話をみた。
もう開始から1カ月すぎようとしているのですね。早いもんだ。
今回はペリー来航の波紋が中心でした。
ペリーの黒船をみた龍馬が、もう刀が役に立たない、剣術をする意義が見出せないみたいにと叫んでいたのが、理解できなかった。
黒船から大砲は放たれなかったので、船の大きさのみに脱力感をもったことになると思う。なんで大きいということのみが人生観を変えるほどのショックにつながるのか。
「ウドの大木」とか、「大男総身(そうみ)に知恵が回りかね」という、巨大なものを侮蔑したことわざがありますよね。
かりに正攻法が無理だとしても、大船に何らかの手法でちかづいて潜入し、白兵戦に持ち込むという発想もありえるだろう。
実際、土佐で岡田以蔵が「わしなら小舟で近づいて、こんな奴たたっ斬ってやる」といっていた。そうだろう。
少なくとも本日の黒船の動きだけで、剣術否定に及ぶのは無茶だと思った。
そもそも徳川政府の軍事力や、大船建造能力がどのようなものか、当時の龍馬に知り得たとも思えない。
日本全体の海防力がいかに低いかを知るには、一定以上の有識者から教養を得ないと無理だろう。
むしろ当時としては(過信だとしても)、徳川政府や山内家の軍事力のなかに自分も参加し、「横暴なやつめ、討取ってやるぞ」となるのではないか。
だから番組中やエンディングの「龍馬伝紀行」にも登場した、嘉永6年(1853)9月23日付の父宛書翰の記述がリアルになるのではないか。
「異国船処々に来り候由に候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候。其節は異国の首を打取り、帰国仕るべく候」(宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』増補4訂、5ページ)。
【意訳】「異国船があちこちに来ているらしいので、戦争も近いうちに起ると思います。そのときは、異国人の首を討ち取って、(それをみやげに)帰国いたします」。
につながるのだろう。
これは現在知られる、もっとも古い龍馬の書翰である(ただし所蔵地は不明)。
ドラマの中で、この書翰を読んだ姉乙女が、「お前らしくない、お前が戦をしたがっているとは思えない」みたいな返事を送っていた。龍馬も「あの手紙はうそじゃ」とつぶやいていた。なんでそうなるのだ。もちろん姉乙女のこんな書翰は現存しない。
そういえば第1話で、「争いでは何も変わらん」と龍馬に発言させていた。龍馬を「平和主義者」として描こうとしているのではないか。
龍馬が武士であることを忘れていないか。武士とは軍人なのである。人を殺傷する道具を2本も差して歩いているのだ。江戸にいるのも剣術修行のためじゃないか。
争いを否定するなら、出家して僧など宗教家になるべきではないか。
今回はとても違和感があった。
最後に山内豊信の風貌に驚いた。近藤正臣さんの実際の年齢はともかく、白髪のメイクは老齢といってもよい感じだった。
が、嘉永6年(1863)当時、山内豊信は数え27歳である。
どういうことだろう。なぜそんな高齢に設定するのだろう。
なおいっしょにいた吉田東洋も、それ以上の高齢にみえたが、やはり当時の年齢はそんなに高くない。
数え38歳である。
不思議がいっぱいの回だった。
次回は吉田松陰が登場する。予告で、松陰が龍馬をぶん殴っていた。これまた驚いた。それはまた次回。
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