龍馬伝第1話をみた
1/3(日)はれ
NHK大河ドラマ「龍馬伝」第1話「上士と下士」をみた。
冒頭、1882年(明治15)、岩崎弥太郎の祝宴に、龍馬について取材を試みる、『土陽新聞』記者坂崎紫瀾が出て楽しかった。
坂崎紫瀾は龍馬の伝記をはじめて書いた人物である。タイトルは『汗血千里駒(かんけつせんりのこま)』である。
ただし当時の坂崎紫瀾は歴史研究者ではなく、自由民権運動家である。
だから自由民権運動を盛り上げるため、すなわち薩長藩閥を攻撃するためのヒーローとして、龍馬を選んだ。
だから実証研究の成果ではなく、「政治小説」のひとつに分類される。
『土陽新聞』にその連載が開始されるのが、1883年(明治16)1月である。だから、岩崎に取材を試みる舞台として、その前年の1882年(明治15)が設定されたのだろう。
番組の宣伝で「岩崎弥太郎の視点による龍馬」と聞いていたから、ナレーターが岩崎(香川照之さん)なのだろうと思っていた。
それは当たりなのだが、それを龍馬の伝記を書きたい坂崎紫瀾に、岩崎が語るという形をとられるとは想像していなかった。なるほど、だから「龍馬伝」というタイトルなのか、とも思った。
のち土方久元ら土佐出身の明治政府役人が、幕末土佐の首領武市半平太(瑞山)らを顕彰する会をつくった。「瑞山会」である。
その瑞山会が、武市半平太(瑞山)らの伝記、『維新土佐勤王史』をつくる際、執筆者に選んだのも坂崎紫瀾であった。
『維新土佐勤王史』は、『汗血千里駒』とはちがい政治小説ではない。事実を書こうとしている。
ここにしか記されないデータも少なくないため、土佐の幕末史を知るうえで必携の書物であるが、政治小説家出身の坂崎が執筆者であることを忘れてはいけない。年次の相違など、事実誤認も決して少なくないから。
坂崎の話題がながくなった。
劇中の龍馬はまだ史料不十分の時代である。ゆえにエピソードはことごとくフィクションである。だからまだ事実はどうだ、なんて話はしにくい。
土佐の上士の邸宅に呼びつけられ、殺されそうになった龍馬を実母が助けに駆けつけ、ことなきをえたが、それがきっかけで母が病死したという話はもちろんフィクションである。
が、それは今回の脚本のオリジナルではなく、武田鉄矢氏原作・小山ゆう氏作画『おーい竜馬』にある話がもとになっている(ヤングサンデーコミック3巻、小学館、1988年)。
『おーい竜馬』は、司馬遼太郎『竜馬がゆく』以上に、最近の龍馬ファン生産に功のある作品(マンガ)である。
今後の「龍馬伝」にも、少なからず影響を与えるものと想像している。
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