討ち入りの日に赤穂事件と京都の話をしてきます
多忙をきわめております。
昨日の読売新聞朝刊京都版に、一昨日夕方に行ったイベント「龍馬、葬送の道?巡る―30人、近江屋から霊明神社へ」の記事が載っていました。記事は田岡記者です。ありがとうございます。あいかわらず、中村武生の写真が変でした。記事は以下↓。
http://osaka.yomiuri.co.jp/kyoto/news/20091214kn01.htm
本日は、討ち入りの日です。
正確には元禄15年12月14日は、1703年1月30日です。元禄15年=1702年という教科書的な説明は誤りですし、寒さも年末ではなく真冬です。だから大雪だったのか、とわかります。2日後には2月なのですから。
当然のように、本年も討ち入りにからんだお仕事があります。夜、上七軒で「赤穂事件と京都」というお話をしてきます。
意外なほど、赤穂事件は京都と関係があります。大石内蔵助のいた山科ではありません。洛中です。全く知られていないようですが。
お昼はNHK大阪文化センターの講座で、伏見(指月)城跡と向島城跡をあるいてきます。今年最後の「直江兼続」です。
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