土佐亡命直前の龍馬をていねいに追う
12月5日(土) くもり
名古屋へ。栄中日文化センターに出講。
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「坂本龍馬の生涯をていねいに見直す」の3回目があった。 実にのんびりした会で、まだ龍馬は亡命していない。
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安政6年(1859)9月、砲術家徳弘孝蔵への入門にはじまり、3回目の土佐出国のはなしをした。
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文久元年(1861)11月、大坂南郊の木津川口、住吉土佐陣屋に龍馬は出向いたか、住吉土佐陣屋とは何か、龍馬が訪ねたという望月清平とその弟亀弥太のおもしろさ、ついでに吉井幸輔(友実)と龍馬の関係を、去る本年9月にNHKニュースで報じられた1929年(昭和4)3月号の『キング』掲載の吉井勇「或日の龍馬」をからめて紹介(M川M理子さん提供。感謝)。
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そのあと文久2年(1862)1月、長門・萩に現れた龍馬と、それを記録した久坂玄瑞のはなし。有名な同年1月21日付の武市半平太宛、久坂書翰も朗読する。この手紙のすさまじさを強くのべる。
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さあ3月、龍馬亡命だ、と思ったら時間オーバー。あきらめる。また次回。
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いつもの懇親会を少し楽しみ。大急ぎで帰洛。
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午後5時30分、河原町蛸薬師の「Aじビル」で別のつどい。A尾H章さんとOりょうさんのお祝いを内々にする。
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店内にずっと、来年大河ドラマ「龍馬伝」の予告が流れていた。
いよいよだ。
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