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2009.12.23

広い広い誓願寺旧境内をあるいて山田長政を論じて忘年会をする

12/22(火)はれ

 朝、ひさしぶりの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。

 やっと初日がおわり、これから2日目。三条京阪に集まって、三条通を西へ。誓願寺旧境内をめざす。

 新京極通三条の交差点が北門跡。ここから南下。墓地へ。山脇東洋が供養した、日本最初の解剖者「屈嘉」ほか13名の墓碑を拝む。

 貴賓の墓が多い。勧修寺家の墓もある。

 本堂で御本尊をおがみ、「迷子石」をさわってから、広い広い誓願寺旧境内を出る。ついで和泉式部寺こと誠心院(じょうしんいん)にお参り。ここで終了時間がくる。

 次回は、12月24日(木)午前9時、京阪三条駅中央改札集合です(本年最後)。

 解散後、有志と河原町三条下ルの讃岐うどん店に入る。

 みなさんはコーヒーに行かれるが、僕はコピーに。午後から「基礎から学ぶ日本歴史」がある。

 12時30分、キャンパスプラザ京都。今年最後である。でもあいかわらず江戸初期の外交。

 日本人でありながらシャム国の重臣になったことで知られる山田長政には、存在否定論がある。

 信用できる史料は少なく、流布している姿を実像とは認めがたい。が、だからといって存在そのものを否定することはできない。

 信用できる同時代史料が皆無ではないからだ。

 否定論の根拠になった矢野暢氏の新聞記事と、それを否定した小和田哲男氏の『山田長政』を紹介しておく(ともに1987年)。

 終了後、京都史蹟隊の忘年会が京都駅の居酒屋で行われる。参加者31人。大にぎわい。2時30分から飲酒する。

 ニ次会はいつもの木屋町六角「龍馬」で。

 申し訳ないが、僕は後半、ずっと熟睡していた模様。

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