« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009.12.31

今年のご愛顧に感謝申し上げます

 大みそかです。

 本年もたいへんお世話になりました。「当ブログを読んでいる」、「人気ブログランキングをいつもクリックしている」といってくださる方におびただしく会いました。東西関係なく、一般・研究者関係なく。

 おかげさまで今年もベストテン内で終ることができます。皆さまのおかげです。

 来年は大河ドラマ「龍馬伝」にあわせて、継続的な書き込みをしてみたいと思っています。

 ご愛顧をどうぞよろしくお願いいたします。

|

池田屋事件殉難者、野老山吾吉郎の死亡直前の供述書などがある

 本日、高知県立坂本龍馬記念館から、新刊の同館だより『飛騰』72号が届いた。ありがとうございます。いつもすいません。

 その5ページに「京都土佐藩邸資料」574点、館の目玉に―寺田屋・龍馬・以蔵・野老山吾吉郎」という一文があった。

 先日の新聞報道された、寺田屋事件報告書以外にどのようなものがあるのか、紹介がある。

 ここに「岡田以蔵が京都で捕まった時の罪状文、池田屋事件に関わって切腹した野老山吾吉郎(ところやま・ごきちろう)の切腹直前の供述書などが目を引く」とある。

 同史料群がいかにすごいものか、さらに知られることだろう。

 すべてを公開される日が楽しみですね。

|

2009.12.30

越前福井に龍馬最後の旅行をしのんだ

12/27(日)はれ

 福井市に旅行。

 来年の大河ドラマ「龍馬伝」の舞台地のひとつにして、再来年の大河「江(ごう)」の舞台地である。

 福井は龍馬最後の旅行地である。慶応3年(1867)10月28日、土佐の参政後藤象次郎の依頼により、福井の老公松平春嶽に上洛を望むため福井入りした。

 このとき龍馬は、文久3年(1863)の福井の政変で軟禁中の三岡八郎(由利公正)に面会することを要求し、10月30日、実現した。

 その場所は、福井城下町の西南、山町(現照手1丁目)の旅籠莨屋(たばこや)・和木本久右衛門方である。ここでの龍馬と三岡のエピソードはとても有名なのではぶく。

 デフォルメがすぎていることを承知しつつも、描写が楽しいので、司馬遼太郎『竜馬がゆく』のその部分を比較的よく読む。それほど龍馬の最後の旅行、福井行は好きだ。

 午前中、福井駅につく。福井は2度目である。たしか前回は、1995年8月だったと思う。まずは福井城跡に入る。1995年8月にはなかった、復元された西門跡の廊下橋を楽しむ。龍馬もみたかも知れない。

 写真は天守台の石垣と、天守台からみた廊下橋。

Cimg2268

 

Cimg2264_2

 午後から、柴田神社・北ノ庄城跡公園に行く。

 織田信長によって越前の戦国大名朝倉氏が滅ぼされる。

 その本拠地が一乗谷で、その陥落のあと、北ノ庄城があらたな越前の中心地になった。

 北ノ庄城に入ったのが、柴田勝家である。

 これが信長の妹とされるお市の方の、本能寺の変のあとの再婚相手である。

 お市の方の末娘が江(ごう)で、再来年の大河ドラマの主人公である。

 つまりここが舞台地というわけだ。

 近年の近世福井城三ノ丸跡の発掘調査で、三ノ丸の石垣や堀とともに、下層で堀が見つかっている。これが幻とされてきた、北ノ庄城の遺構と考えられている。

 公園にはその遺構が地下に埋もれることなく、露出されている。すばらしい。これまた1995年にはなかったものだ(以下写真の、中央の石垣を伴わない穴がそれ。西上より撮影)。

Cimg2296

 そのあと由利公正宅跡へ。現在、足羽 川にかかる幸橋の南詰、西側に標石が建っているが、1995年の位置と変わっている。14年前は、東側に建っていた。

 実は旧蹟地はいずれでもない。すでに拡幅された足羽川の中に沈んでしまっている(山崎正薫『横井小楠伝』中巻、1942年、日新書院、284ページ)。

 写真はその旧蹟地を、南側から撮ったところ。橋の左手の川の中。

Cimg2299 

  ついで横井小楠宅跡に立ちよったあと、莨屋跡にたつ。いま標石が建っている。2000年11月、莨屋塾なる団体が建立した。つまりここもやはり1995年8月にはなかった。今回、これを見るのが主目的だった。

Cimg2311

 ここで龍馬が三岡と会ったのは、慶応3年(1867)10月30日である。11月2日と誤解したものが多いが、それは「由利公正覚書」という後世の史料に頼っているからだ。

 越前重臣、本多修理の日記に、「晦日。朝、松源太郎、三岡八郎儀、坂本龍馬旅館へ到ル。七ツ時過帰ル」とある(『越前藩幕末維新公用日記』)。同時代の越前の公務日記なのだから、これを信用すべきである。

 慶応3年の10月30日は、現在の11月25日である。ほぼ実際の一カ月後に来たことになる。

 現在駐車場になっている。おしいことだ。「龍馬」を冠した商店をすればいいのに。どれだけ集客できるか知れないのに。

 中身が良心的であれば、僕はそういう店を好ましいとさえ思っている。「生きようとする力」を感じられるから。地域活性にもつながるはずだし。決して「下品」ということはない。

  ただし中身の充実には苦心してください。「観光偽装」などといわれないていどには。

 夜は、三国に宿泊。三国観光ホテルに泊まる。ネットで予約したのに、到着して驚いた。中をとりもつ業者が、同ホテルに連絡をしておらず、予約がされていなかった。

 が、ホテルの方がとてもていねいな対応をしてくださった。部屋も食事もすぐにセットしてくださっただけでなく、食事のときに驚くべきサービスさえしてくださった。遠慮すべきなのに、おもいっきり甘えてしまった。大満足でした。

 12月28日(月)雨のちはれ・くもり

 ほんとうは朝倉氏の本拠、一乗谷に行くつもりだった。こちらも1996年夏以来、行っていないから。が、前日に武家屋敷の年内の営業が終わっていたこと、かなりの積雪が見込まれたこと、列車の乗り継ぎがうまくいかなかったことなどから断念。

 急きょ、勝山市の県立恐竜博物館に行った。

 滞館時間はとても短かったが、いつもとちがう知識がたくさん頭に入ってきて、とても有意義だった。

 帰途、実妹さんのメールで、県立恐竜博物館がNHK朝ドラ「ちりとてちん」の舞台地だったと知った。同館にはそんな掲示がなかったから。

 なんだかNHKドラマの舞台地めぐりツアーみたいな旅だった。

|

2009.12.29

鵜飼吉左衛門父子の墓参記事に加筆しました

 12月26日に公開した「鵜飼吉左衛門父子の墓参」記事に加筆いたしました。よろしければご覧ください。

|

中村武生の2009年11月のお仕事

 都合により、中村武生の2009年11月のお仕事を掲示しておきます。

.

【雑文】

   中村武生さんとあるく洛中洛外(山科区1・安祥寺と毘沙門堂) 共著  『京都新聞』(市民版)2009年11月6日付、文・佐藤知幸氏、写真・奥村清人氏

  本気で考える池田屋事件28 単著 (講談社メールマガジン「現代新書カフェ」57所載、2009年11月9日配信)

   中村武生さんとあるく洛中洛外(山科区2・山科本願寺と寺内町) 共著 『京都新聞』(市民版)2009年11月13日付、文・佐藤知幸氏、写真・奥村清人氏

   中村武生さんとあるく洛中洛外(山科区3・「東山」、山科からは「西野山」) 共著 『京都新聞』(市民版)2009年11月20日付、文・佐藤知幸氏、写真・奥村清人氏

   中村武生さんとあるく洛中洛外(山科区4・京都の境界/四宮河原と六地蔵)  共著  『京都新聞』(市民版)2009年11月27日付、文・佐藤知幸氏、写真・奥村清人氏

.

【講座・講演・現地見学会】

○寺田屋事件―龍馬とお龍の行動を復元する 単 2009年11月2日 明治大学リバティアカデミー「歴史を動かした男、坂本龍馬の生涯と死―日本を今一度せんたくいたし申し候」 明治大学 会場:明治大学駿河台校舎

○坂本龍馬論のいま・上(薩長同盟と寺田屋事件) 単 2009年11月4日 大阪府高槻市富田公民館 会場:同所

○江戸時代京都の観光モデルコースをあるく11 (北野天満宮周辺と御土居堀) 単 2009年11月5日 主催:京都史蹟隊 会場:現地見学会

○中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史(諸宗法度)  単 2009年11月5日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○中村武生のくずし字入門(幕末京都の町人日記をよむ―「松屋田淵治兵衛日記」嘉永4年(1851)5月1日~5月28日条 単 2009年11月6日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○坂本龍馬の生涯をていねいに見直す・2(安政4年・5年の龍馬) 単 2009年11月7日 栄中日文化センター会場:中日ビル

○直江兼続のみた洛中洛外(平成21年度伏見区政治・文化セミナー、単 2009年11月8日 伏見選挙管理委員会ほか、会場:醍醐交流会館ホール

○京都の江戸時代をあるく・第2期その2(伏見木幡城と武家地をあるく)  単 2009年11月9日 NHK文化センター大阪教室 会場:現地見学会

○江戸時代京都の観光モデルコースをあるく・12(北野天満宮と平野神社) 単 2009年11月10日 京都史蹟隊 会場:現地見学会

○中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史(徳川和子の入内)  単 2009年11月10日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○坂本龍馬論のいま・下(大政奉還と龍馬殺害)  単 2009年11月11日 大阪府高槻市富田公民館 会場:同所

○江戸時代京都の観光モデルコースをあるく13(鹿苑寺と鏡石) 単 2009年11月12日 京都史蹟隊、会場:屋外

○坂本龍馬以前の幕末京都その3 (孝明天皇はなぜ条約勅許しなかったのか) 単 2009年11月12日 京都新聞文化センター、会場:京都新聞社

○中村武生のくずし字入門(幕末京都の町人日記をよむ―「松屋田淵治兵衛日記」嘉永4年(1851)5月29日~7月14日条、単 2009年11月13日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○基礎からまなぶ!近江の歴史(邪馬台国と魏志倭人伝) 単 2009年11月16日 龍馬カンパニー、会場:浜大津明日都

○坂本龍馬と幕末史2 (龍馬は新選組に入っていた??)  単 2009年11月17日 NHK京都文化センター、会場:同所

○中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史」巡検(徳川家康大坂夏の陣・星田陣所跡をあるく) 単 2009年11月17日 京都史蹟隊 会場:屋外

○日本の城と合戦2 (足利義昭と織田信長の戦い―旧二条城と槙島城) 単 2009年11月19日 栄中日文化センター 会場:同所

○もっと知りたい!京都学ことはじめ2 (現天皇陵はどこまで本当といえるか―歴史と位置比定単 2009年11月19日栄中日文化センター、会場:同所

○中村武生のくずし字入門」(幕末京都の町人日記をよむ―「松屋田淵治兵衛日記」嘉永4年(1851)7月15日~8月29日条  単 2009年11月20日 京都史蹟隊、会場:キャンパスプラザ京都

○合戦と戦国武将2(本国寺と旧二条城をあるく) 単 2009年11月21日 よみうり天満文化センター会場:屋外

○京都史蹟ものがたりその3(意外と多い商人・学者の邸宅跡の碑 単 2009年11月22日 嵯峨野学藝倶楽部・京都歴史講座伝統プロデュース連 会場:嵯峨野三壺庵

'

○基礎からまなぶ坂本龍馬」(龍馬がまきこまれた時計盗難事件) 単 2009年11月22日 龍馬カンパニー  会場:キャンパスプラザ京都

○江戸時代京都の観光モデルコースをあるく 14 (影向の松・経王堂跡・千本釈迦堂単 2009年11月24日  京都史蹟隊、会場:屋外

○中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史(参勤交代) 単 2009年11月24日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○京都の江戸時代をあるく 第2期その2 単 2009年11月25日  (「是より洛中」標石をみる よみうり京都文化センター、会場:屋外

○江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」15 (京都町奉行所跡・神泉苑・二条城) 単 2009年11月26日 京都史蹟隊、会場:屋外

○坂本龍馬以前の幕末京都 その4(孝明天皇の衣胞塚と陵を訪ねて)  単 2009年11月26日  京都新聞文化センター 会場:屋外

○妻龍()からみた坂本龍馬の魅力 単 2009年11月26日 さつき会、会場:若松家酒店

○中村武生のくずし字入門(「幕末京都の町人日記をよむ―松屋田淵治兵衛日記」嘉永4年(1851)830日~1016日条 単 2009年11月27日 京都史蹟隊 会場:キャンパスプラザ京都

○秀吉の城「聚楽第」とそれをとりまく大名屋敷   単 2009年11月28日  下立売の歴史をたどる会 会場:ショップ&カフェ綾綺殿

○中村武生の基礎からまなぶ!日本歴史定例巡検(槙島合戦古戦場跡)  単 2009年11月30日 京都史蹟隊、会場:屋外

※大学での講義などははぶいています。

|

2009.12.28

【講座】基礎から学ぶ日本歴史・くずし字入門の日程

 お問い合わせがありましたので、来年3月までの「中村武生の基礎から学ぶ日本歴史」と「中村武生のくずし字入門」の日程を掲示します。

 #

 どうぞよろしくお願いいたします。

#

「中村武生のくずし字入門」2010年1月~3月の予定

#

1月8日(金)午前9101020 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

1月15日(金)午前9101020 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

1月22日(金)午前9101020 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

1月29日(金)午前9101020 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

#

2月05日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3会議室

2月12日(金)午前9101020 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

2月19日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3会議室

2月26日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

#

3月5日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月12日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月19日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月26日(金)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

#

「中村武生の基礎から学ぶ!日本歴史」2010年1月~3月

#

1月12日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

1月19日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

1月26日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

#

2月2日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

2月9日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

2月16日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

2月23日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

#

3月2日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月09日(火)ナシ

3月16日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月23日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

3月30日(火)午後030140 キャンパスプラザ京都5階第3・4会議室

キャンパスプラザ京都は、京都市下京区西洞院通塩小路下ル東側 にあります。

予約不要です。直接会場におこしください。

参加費:500円

主催:京都史蹟隊

|

2009.12.26

洛東長楽寺の鵜飼一族を墓参した

12/25(金)はれ

Dcf_0368_2 

 早朝、「中村武生のくずし字入門」に出講。まだ幕末京都町人日記を読んでいる。今回は、嘉永五年(1852)閏2月条。

 これが今年の仕事おさめ。解放感たっぷり。NPO法人京都歴史地理同考会監事のKさん、理事のHさんと遅いモーニングを、ちかくの「Hば」でする。

 時間があったので、午後から洛東長楽寺に行く。

 そう昨日のつづき。猪熊通上立売の徳円寺にあったという、鵜飼吉左衛門・幸吉などの墳墓の確認がしたかった。

 昨年おまいりしたときの記憶なのだが、たしか裏面に銘があったはず。そこに詳細が記されているかもしれない。

 理事のHさんが同行された。

 長楽寺に行って気づいたのだが、今年は鵜飼父子ら殉難からちょうど150年だ。そうだそうだ、忘れていた。よい時におまいりができた。

 長楽寺には鵜飼氏の墓碑は現在11基存在する。すなわち、

①鵜飼幸吉知益(幸斎。吉左衛門の養父)※「幸吉」はどうやら家督者全員の通称らしい  

②知益の妻(吉左衛門の養母。保崎氏) 

③吉左衛門(知信。安政大獄犠牲者) 

④吉左衛門の妻上原氏 

⑤幸三郎(吉左衛門の次男)・秀之助(吉左衛門の4男) 

⑥知彰(不明) 

⑦亀蔵(吉左衛門の6男) 

⑧幸吉(幸吉知明の子。従六位勲五等) 

⑨幸吉の妻喜久子

⑩幸吉(吉左衛門の長男。安政大獄犠牲者。知明)

⑪蝶子(吉左衛門の長男幸吉知明の妻)

である。

   このうち、夭折した吉左衛門の6男亀蔵(1843-1852)の墓碑銘(写真)に興味深いことが記されている。

Dcf_0395_2 

 概要をのべると、天保14年(1843)11月22日、吉左衛門が水戸京都屋敷に勤めていたので、京都で生まれた。

 その後、吉左衛門が弘化1年(1844)に当主斉昭に連座して職をとかれ水戸に戻った。

 水戸滞在中の嘉永5年(1852)6月20日、亀蔵は病死した。そこで「城西祇園寺域内において葬った。」。吉左衛門は「先祖はみな京都に葬ったのに、この子独り水戸に葬ると」悲しんだ、と銘の撰者は記している。

 「城西祇園寺」は水戸の寺院である。

 城の北西に位置し、現存する。

 つまりこれを素直に解すると、嘉永5年(1852)6月以前、すなわち亀蔵以前に亡くなった鵜飼吉左衛門の家族はみな京都に葬られたことになる。

 それは長楽寺の墓碑銘11基12人のうち、2基・3人にあたる。

 吉左衛門の養父母(墓碑①と②)、吉左衛門の次男幸三郎・四男秀之助(墓碑⑤)だ。

 銘に年次の記載はないが、その撰者は、「茅根泰」つまり茅根伊予之介である。吉左衛門父子とともに安政大獄で死んでいる(父子と同日に)。

だから粉飾は入りにくい。事実を伝えていると思われる。

 吉左衛門の養父も、墓碑銘によると「京師の水戸侯別舘」(水戸京都屋敷)に仕めており、天保6年(1835)4月10日に77歳で亡くなった。

 あとの2基には、俗名や戒名、死亡年次ていどしか記さず、埋葬地や墓碑の旧位置に関する情報はない。

 残念だが、彼らの旧墓地が徳円寺である積極的なデータは手に入らなかった。

 ちなみに安政大獄犠牲者である③吉左衛門(知信)と⑩幸吉(知明)の墓碑銘は、ともに従四位を追贈された明治以後のものである。

 それぞれの墓碑に1919年(大正8)11月、水戸市の常磐墓地から移動したと刻まれているから、上京の徳円寺に存在したものではなかろう。

 なおなぜこんなことに関心をもつかというと、京都の大名屋敷に勤めた人間が在職中に亡くなると、いったいどこに埋葬されるのか、そこにどんな論理があるのか知りたいからである。

 薩摩の場合、錦小路屋敷で亡くなった人物は、東福寺即宗院に葬られた。

 同院の杉井住職さんの教示では、以前には3ケタに及ぶ薩摩武士の墓碑があったという(現在は整理されて2ケタに減っている)。

 ところがその他の大名家の京屋敷の死者がどこに葬られていたか、まったくといっていいほど分かっていない。

 長州では、寺町六角の誠心院に幕末期と思われる10名ていどの死者が眠っているようだが、それはあまりに少数すぎる。

 幕末以前はどこに葬られていたのか。わからない。

 でも長州は誠心院がわかるだけまだましだ。

 他家はまったく分からない。

 ゆえに水戸徳川家の鵜飼吉左衛門一族の墓地から、何か突破口はみつからないか、こだわったわけである。

 そうそう、もうひとつ。

 長楽寺の水戸墓地にも興味がひかれる。

 当地が水戸の幕末殉難志士の集合地になったのは、幕末ではない。明治以後である。

 さきほどふれたように、鵜飼一族は、幕末政争と直接関係ない人物さえ、京都だけではなく水戸から墓碑を意図的に運んでいる。

 ここには幕末京都で死んだ、当主水戸慶篤の弟昭訓の墳墓がある。そのため水戸聖跡ともいえるこの地に集めてきたのだ、というのは容易にわかる。

 が、京都の国事殉難者の墓地といえば、長楽寺の同じく洛東の霊明舎(もしくは霊山護国神社)がある。

 ちゃんと水戸招魂社も設置されている。

 長楽寺と霊山の墓地はどのように住みわけがなされたのか。明らかにされていない。

 薩摩は霊山に招魂社をもたない。だから東福寺即宗院やもうひとつ、相国寺林光院に殉難者墓地を営むのだ、といえる。

 でも水戸は霊山に招魂社をもっているのである。

 そういえば長州も。

 長州も霊山に招魂社をもっているのに、東福寺退耕庵に殉難者墓地を営んでいる。

 いや東福寺退耕庵は、鳥羽伏見戦争犠牲者のみを祭る。慶応3年(1867)12月以前の殉難者はやはり霊山のみだ。東福寺退耕庵ではない。

 つまりここに水戸の特殊性がある、と気づいた。

 実に興味深いわけだ。

|

2009.12.25

安政大獄犠牲者、鵜飼吉左衛門・幸吉父子の居所論

12/24(木)はれ

 早朝、また「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。今年最後である。

 寺町通六角の誠心院(じょうしんいん)から南下する。今日のコースは、寅薬師(西光寺)→蛸薬師→錦天神→染殿地蔵→祇園御旅所。

 原文には「寅薬師。腹帯地蔵。泉式部旧跡。蛸薬師。円福寺(本尊、あみだ如来)。錦天神。染殿地蔵。四条道場(此所迄は小芝居等有。はん花の所なり)。祇園御旅所。誓文払社。」とある。

 ※刊本に「誓文仏社」とあるのは、誤読でしょう。

 途中、西光寺さんにはお世話になりました。突然の参拝にもかかわらず、こころよく中へあげてくださり寅薬師と腹帯地蔵におまいりさせていただきました。案内プリントもたくさん、ありがとうございました。

 錦天神は六条道場・歓喜光寺、染殿地蔵は四条道場・金蓮寺の一部だった。

 両寺院は、いずれもよそへ移ってしまって忘れられている。それぞれ山科区大宅、北区鷹峯に存在するが、現地でもほとんど認識されていない。おしい。そんな話をする。

 次回は、来年1月7日(木)再開です。集合場所は、新京極四条交差点の交番前です。時間はいつもどおり、午前9時~11時です。

 寺町を五条まで南下し、鴨川を渡って大仏(方広寺)にお参りします。

 終了後、有志と昼食・喫茶の懇親をし、午後の仕事に向かう。

 午後は京都新聞文化センターの講座「坂本龍馬以前の幕末京都」。今回は巡検。安政の大獄ゆかりの地をあるく。

 地下鉄烏丸線「丸太町」駅北改札に集合し、関白九条尚忠邸跡へ。いかに広いかお伝えする。そこから島田左近屋敷跡(堺町丸太町下ル西側)を遠望する。

 島田左近は九条家家臣で、関係者逮捕にかなりの尽力をした。そのうらみをかい、文久2年(1862)7月に斬殺されることは有名である。宅地跡に石碑などはない。

 いいわすれたが、今回は鵜飼吉左衛門(知信)・幸吉(知明)父子が主人公である。鵜飼吉左衛門は水戸屋敷の京都留守居役で、幸吉はその長男で留守居見習である。

 鵜飼父子は、水戸徳川家への孝明天皇の密勅(いわゆる戊午の密勅)降下の責任者として大老井伊直弼にもっとも憎まれた人物のふたりである。

 とくに幸吉には厳しかった。江戸で斬首の上、梟首(さらし首)である。武家に対するこの礼のなさ。しかも安政大獄での梟首は、鵜飼幸吉たった1人である。井伊直弼の怒りのほどがわかる。

 安政5年(1858)9月晦日付、京都町奉行所での鵜飼父子の供述書(吟味申口)をみなさんに配った(『大日本維新史料』類纂之部、井伊家史料15巻、26-40ページ)。その関連個所を現地各所で朗読している。

 九条邸跡につづいて、鷹司邸跡に行き、小林民部権大輔(良典)にふれて、北上。仙洞御所の北側に位置した、万里小路(までのこうじ)邸跡に立ち、三条邸跡を遠望した。

 万里小路正房は当時の武家伝奏で、同年8月8日、鵜飼吉左衛門を呼んで「戊午の密勅」を渡した(30ページ)。

 ちなみに勅降下は、水戸家臣、日下部伊三次が三条家に内願して実現した。

 「戊午の密勅」は、すぐさま江戸小石川屋敷の、水戸中納言徳川慶篤に運ばなければならない。が、吉左衛門は病気のため、幸吉が代わりに江戸へ走ることになる。

 幸吉の「留守居見習」では身分が高すぎる(身分相応の供をつれないといけないため、道中手間取り緊急に対処できない。雑費も多くかかる)。

 ゆえに大坂屋敷の「仕入方、小瀬伝左衛門」という身分・名前をかたり、即日出発した(17日に小石川着)

 日下部伊三次が鵜飼吉左衛門宅を訪れ、自身も同行したいと申し出たため、大津宿で幸吉と合流し、ともに下向したという。

 以上のような内容なので、つづいて水戸屋敷跡や鵜飼吉左衛門宅跡を訪ねるべきである。

 水戸屋敷跡は烏丸通の西、下長者町通と上長者町通の間らしい。つまり現KBS京都放送局敷地とガーデンパレスホテルがその大半をしめる。

 標石は烏丸通下長者町西入ル北側路傍に建っている(1968年・京都市建立)。

 が、天保2年(1831)の京絵図には、上長者町通の南ではあるが、下長者町通には達していない。すると標石の位置は、ずれていることになるのだが、どうなのだろう。

 とりあえずは、現KBS京都放送局敷地が、水戸屋敷跡にふくまれることは確実だろう。

 しかし鵜飼吉左衛門宅跡がわからない。田中雅夫氏『維新の京洛』などは、京都市上京区猪熊通上立売西入ル南側の徳円寺を「鵜飼父子宿坊」とする(人物往来社、1967年、34-35ページ)。

 が、水戸屋敷からあまりに遠い。中村武生の志士居所論によれば、長州・土佐・薩摩いずれも出身地の大名屋敷のそばに営まれている(拙著『京都の江戸時代をあるく』153-160ページ、文理閣)。

 もちろん例外はあるとは思う。が、同時代史料にまったく見いだせないので、見落としの可能性はあるとはいえ、何かの勘違いではないかと今は考えている。

 結論を先にいえば、徳円寺は鵜飼一族の墓所の地である。それが転じて、のちに「宿坊」と理解されるようになったのではないか(管見では、前掲『維新の京洛』が初出と思われる)。

Dcf_0359

 徳円寺墓地には現在「鵜飼家先瑩地」の標石があり、その右側面に「明治辛亥冬改葬于東山徳川侯墓畔」と刻まれている。

 その南横には、現代の鵜飼家の方の墓標もあり、まだ新しいお花も供えてある(写真)。

 「明治辛亥」は1911年(明治44)である。

 「東山徳川侯墓」とは、洛東長楽寺裏山の徳川昭訓墓所のことで、たしかにそのそばに11基もの鵜飼一族の墓碑がある。

 そのうちの一部が徳円寺から運ばれたと思われる。

 

 住居跡ではないかもしれないが、鵜飼一族の墓所跡にはちがいないので、水戸屋敷跡から徳円寺にむかうことにした。

 途中、月照や西郷吉兵衛(西郷隆盛)ゆかりの近衛殿跡にたちより、そこから約20分で到着する。

 墓地で「鵜飼家先瑩地」の標石を確認し、一同満足。同じ墓所に戦国期の本願寺宗主、教如や下間氏の墓があり驚いた。教如墓はおそらく分骨だろうが、まったく知らなかった。

 終了後、担当Y田Mどり氏とお茶をしたのち、別件打ち合わせのため、京都新聞文化センターに入る。

 実は、来年4月16日(金)~17日(土)、「中村武生と訪ねよう!土佐・坂本龍馬ゆかりの地ツアー」(仮タイトル)が営まれる(主催:京都新聞旅行センター)。その打ち合わせ。詳しくはまた後日。

 終了後、奥さんと合流して両手いっぱいの買い物荷物をもち、木屋町三条上ル一筋目西入ルの有名店でケーキを買い、家路につく。

 今日はクリスマスイブだ。

|

2009.12.23

広い広い誓願寺旧境内をあるいて山田長政を論じて忘年会をする

12/22(火)はれ

 朝、ひさしぶりの「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。

 やっと初日がおわり、これから2日目。三条京阪に集まって、三条通を西へ。誓願寺旧境内をめざす。

 新京極通三条の交差点が北門跡。ここから南下。墓地へ。山脇東洋が供養した、日本最初の解剖者「屈嘉」ほか13名の墓碑を拝む。

 貴賓の墓が多い。勧修寺家の墓もある。

 本堂で御本尊をおがみ、「迷子石」をさわってから、広い広い誓願寺旧境内を出る。ついで和泉式部寺こと誠心院(じょうしんいん)にお参り。ここで終了時間がくる。

 次回は、12月24日(木)午前9時、京阪三条駅中央改札集合です(本年最後)。

 解散後、有志と河原町三条下ルの讃岐うどん店に入る。

 みなさんはコーヒーに行かれるが、僕はコピーに。午後から「基礎から学ぶ日本歴史」がある。

 12時30分、キャンパスプラザ京都。今年最後である。でもあいかわらず江戸初期の外交。

 日本人でありながらシャム国の重臣になったことで知られる山田長政には、存在否定論がある。

 信用できる史料は少なく、流布している姿を実像とは認めがたい。が、だからといって存在そのものを否定することはできない。

 信用できる同時代史料が皆無ではないからだ。

 否定論の根拠になった矢野暢氏の新聞記事と、それを否定した小和田哲男氏の『山田長政』を紹介しておく(ともに1987年)。

 終了後、京都史蹟隊の忘年会が京都駅の居酒屋で行われる。参加者31人。大にぎわい。2時30分から飲酒する。

 ニ次会はいつもの木屋町六角「龍馬」で。

 申し訳ないが、僕は後半、ずっと熟睡していた模様。

|

2009.12.21

今週の中村武生

 お問い合わせがありましたので、今週の中村武生の講座・見学会を掲示いたします(どなたでも参加OK)。

 ●12/21(月)「基礎からまなぶ近江の歴史―日本史のなかから」・・古墳時代

  場所:明日都・浜大津1階(京阪浜大津駅おりてすぐ)

  時間:午後1時30分~3時

  参加費:千円

  主催:龍馬カンパニー

 ●12/22(火)「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」第2日目の初日

 集合:京阪電車三条駅中央改札 午前9時

 行き先:寺町通を南下します

 解散:11時(寺町四条付近) 

 参加費:500円

 主催:京都史蹟隊

 ●12/22(火)「中村武生の基礎からまなぶ!日本の歴史」・・江戸時代初期の外交

 場所:キャンパスプラザ京都5階第3・4演習室(京都市下京区西洞院通塩小路下ル東側)

 時間:午前12時30分~午後1時40分(1時間10分)

 ※冒頭に「先週の中村武生」という小話があります

 参加費:500円

 主催:京都史蹟隊

 ●12/24(木)「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」第2日目の2日目

 集合:京阪電車三条駅中央改札 午前9時

 行き先:誠心院(じょうしんいん。寺町通六角下ル)から南下して、寺町五条をめざします

 解散:11時 

 参加費:500円

 主催:京都史蹟隊

 ●12/25(金)「中村武生のくずし字入門」・・新発見の幕末京都の町人日記をよむ

 場所:キャンパスプラザ京都5階第3・4演習室(京都市下京区西洞院通塩小路下ル東側)

 時間:午前9時10分~午前10時20分(1時間10分)

 参加費:500円

 主催:京都史蹟隊

|

2009.12.20

午前10時の軽食を「お十時」とはいわないそうだ

12/18(金)はれ

 朝1番、くずし字入門に出講。幕末京都の町人日記を引き続き読む。

 高齢と勝手に思っていた女性が「出産」して、なんだなんだと思ったり、現午前10時の軽食を一般に「お十時」というと思っていたら、ほとんど僕だけで、むしろ「小昼」というのが一般的だと知らされてショックをうけたりした。

 終了後、一部の有志と懇親。

 受講者にして、NPO法人歴史地理同考会の新理事Hさん(女性)から、1979年NHK大河ドラマ「草燃える」のイベントが鎌倉で行われることを教えてもらう。なんてことだ。

 午後から天理大学に出講。近世絵図の大和郡山城下町を、現代地図に復元する作業をしてもらう。

 楽しそうな人とそうでない人が明確にわかれた。

 昨日から禁酒をしている。忘年会がつづいていたから。今日も飲まなかった。すばらしい。

|

2009.12.19

京都新城こと高台院三本木屋敷を論ず

12月17日(木)はれ

 そろそろ寒くなってきた。

 名古屋へ出張。いつもの栄中日文化センター。

 「日本の城と合戦」は、おとくいの「京都新城」のはなし。豊臣政権最後の洛中城郭である。秀頼の上洛用につくられた城と思われる。元服と昇進の二度使われた。

 秀吉死後は、大坂城西ノ丸を出た北政所の屋敷になった(いわゆる三本木屋敷)。ここがついのすみかになった。しつこくいうが、高台寺には住んでいない。

 詳しくは跡部信氏「高台院と豊臣家」(『大阪城天守閣紀要』34号、2006年)をごらんください。どうして高台寺に住んだと誤解されたか、実は史料の誤読だったとわかります。

 なお京都新城=高台院三本木屋敷は、現在の仙洞御所の位置である。

 現仙洞御所内の池の一部を「阿古瀬淵」という。「阿古瀬淵」(あこせ池)が京都新城に取り込まれたことは、信用できる同時代史料にみられる。

 「内裏ノ東、アコゼカ池ト云所、太閤御所御屋敷ニ御沙汰云々」(「義演准后日記」慶長2年(1597)4月26日条)。

 「太閤屋敷之ハコ瀬カ池ヲ御城之中ニメ、今日御縄張有之」(「小槻孝亮宿禰日記」)

 現仙洞御所庭園に、高台院三本木屋敷のそれがあるていど活かされていると思われる。つまり京都新城の遺構のある可能性がある。

 現仙洞御所では一切話題にならないが。

 藤岡通夫氏編『京都御所と仙洞御所』(日本の美術8、1974年)には、もと「高台院が住んでいた」とは記すが、京都新城についてはふれない(72ページ)。

 中川登史宏氏『京都御所・離宮の流れ―転変のものがたり』(京都書院、1997年)には、まったくふれるところがない。

 京都新城=高台院三本木屋敷について、本格的にふれた先駆的研究は、内藤昌氏・油浅耕三氏「豊臣家京都新城―武家地の建築」(日本建築学会大会報告梗概集、1972年10月)である。

 ここに少なくとも、寛永期仙洞御所が高台院三本木屋敷の影響を受けていると指摘がある。

 両著よりも以前の成果である。

 残念である。京都新城=高台院三本木屋敷はもっと注目すべきものである。

 後半の「京都学ことはじめ」も、たまたま北政所論だった。これは略す。

|

2009.12.18

龍馬とお龍の旧蹟をあるいて建碑許可をもらって取材をうけて忘年会をした

12月16日(水)はれ

 京都女子大学に出講。今週も巡検。大仏南門(国重文「蓮華王院南大門」)から七条新地跡まであるく。

 元治元年(1864)上半期の、龍馬とお龍の居所の距離を感じてもらう。

 そのあと歴史地理同考会監事Kさんと某所に行き、ある建碑の承諾をいただく。ながかった。感謝・感謝である。来年早々に動く予定。

 午後、「中村武生さんとあるく洛中洛外」(「京都新聞」市民版金曜連載中)の来月の取材。来月は西京区。

 夜は、そのメンバー(S分利デスク、O村カメラマン、S藤記者)と先斗町で忘年会。

 「中村武生さんとあるく洛中洛外」は、12月18日、25日、1月1日と休みでございます。次回は1月8日、中京区その3を掲載いたします。よろしくお願いいたします。

|

2009.12.17

京都土佐屋敷史料がついに報じられた

12月15日(火)くもり

 京都新聞・読売新聞・サンケイ新聞など夕刊に、京都土佐屋敷史料のことがついに報じられましたね。

 7月に高知県立坂本龍馬記念館で公開される由です。

 楽しみですね。

|

2009.12.15

最後の直江兼続から赤穂浪士へ

12月14日(月)くもり一時小雨

 NHK大阪文化センターの巡検で、伏見城舟入跡へ。直江兼続が構築にかかわったからね。

 伏見(木幡)城跡を通って、伏見(指月)城跡参考地たる観月橋団地へいたる。何の表示もない。石碑も解説板も。この地の重要性を語る。

 ここは「泰長老」である。直江状が届けられた地の可能性がある。今年の大河のストレートど真ん中だったかも。おしいことだ。たくさんの観光資源が利用されていない。

 そのあと、向島城跡へ。山田邦和博士の復元図を片手に本丸跡から二の丸跡、三の丸跡を通る。こちらも石碑も解説板もない。何たることか。

 徳川家康の城郭である。再来年の大河は家康の嫡子秀忠の正妻「江(ごう)」である。ゆかりの地といえる。何とかできないか。

 近鉄「向島」駅で解散。自転車が電車と接触したらしく、電車1本中止になる。

 夜は上七軒「大文字」で、いつもの「つれづれ会」。今日は討ち入りの日。「京都と赤穂事件」を赤穂浪士の手紙・覚書のみを使って論ずる。

 京都はすごい都市だ。また思ったことだった。

 会場盛り上がる。僕の話はそっちのけで。それでいいのだ。僕はお題を提供しただけ。それをもとにみなさんきが楽しまれる。そんなうれしいことはない。

|

2009.12.14

討ち入りの日に赤穂事件と京都の話をしてきます

多忙をきわめております。

 昨日の読売新聞朝刊京都版に、一昨日夕方に行ったイベント「龍馬、葬送の道?巡る―30人、近江屋から霊明神社へ」の記事が載っていました。記事は田岡記者です。ありがとうございます。あいかわらず、中村武生の写真が変でした。記事は以下↓。

http://osaka.yomiuri.co.jp/kyoto/news/20091214kn01.htm

 本日は、討ち入りの日です。

 正確には元禄15年12月14日は、1703年1月30日です。元禄15年=1702年という教科書的な説明は誤りですし、寒さも年末ではなく真冬です。だから大雪だったのか、とわかります。2日後には2月なのですから。

 当然のように、本年も討ち入りにからんだお仕事があります。夜、上七軒で「赤穂事件と京都」というお話をしてきます。

 意外なほど、赤穂事件は京都と関係があります。大石内蔵助のいた山科ではありません。洛中です。全く知られていないようですが。

 お昼はNHK大阪文化センターの講座で、伏見(指月)城跡と向島城跡をあるいてきます。今年最後の「直江兼続」です。 

|

2009.12.11

龍馬の祥月命日でした

12/10(木)くもりのちはれ

 午前10時50分、基礎からまなぶ日本歴史に出講。少しひさしぶり。

 江戸時代初期の外交をするつもりが、「先週の中村武生」といういつもの小話が長引いて、本題は10分ぐらいになった。それでも苦情のでない不思議な会。

 昼食をかねて、少し懇親会。

 午後1時30分、京都新聞文化センター。「龍馬以前」講座。安政の大獄を熱弁。「戊午の密勅」を朗読し、鵜飼吉左衛門と幸吉のおはなしをした。

 終了後、すてきなイスの店で吉田常吉『安政の大獄』(吉川弘文館、1991年)で復習。

 夕方、JR京都駅で奥さんと庶務をしに行き、夕食して、分かれて、1人河原町蛸薬師に行く。

 今日は新暦に換算した、坂本龍馬の祥月命日である。遭難の同じ時間に毎年現場に立っている。今年もそれをしにきた。雨が降っていた。この数年ではなかったこと。今日は暖かかった。あの日もこんな感じだったら、土蔵にいつづけて殺されなかったかも。

 夜、木屋町六角下ルの「龍馬」に立ち寄る。Dックさん、S本さん、O浜のおBさんなどおられた。

|

2009.12.07

土佐亡命直前の龍馬をていねいに追う

12月5日() くもり

 名古屋へ。栄中日文化センターに出講。

# 

 「坂本龍馬の生涯をていねいに見直す」の3回目があった。 実にのんびりした会で、まだ龍馬は亡命していない。

#

 安政6年(1859)9月、砲術家徳弘孝蔵への入門にはじまり、3回目の土佐出国のはなしをした。

#

 文久元年(1861)11月、大坂南郊の木津川口、住吉土佐陣屋に龍馬は出向いたか、住吉土佐陣屋とは何か、龍馬が訪ねたという望月清平とその弟亀弥太のおもしろさ、ついでに吉井幸輔(友実)と龍馬の関係を、去る本年9月にNHKニュースで報じられた1929年(昭和4)3月号の『キング』掲載の吉井勇「或日の龍馬」をからめて紹介(M川M理子さん提供。感謝)。

#

 そのあと文久2年(1862)1月、長門・萩に現れた龍馬と、それを記録した久坂玄瑞のはなし。有名な同年1月21日付の武市半平太宛、久坂書翰も朗読する。この手紙のすさまじさを強くのべる。

# 

 さあ3月、龍馬亡命だ、と思ったら時間オーバー。あきらめる。また次回。

#

 いつもの懇親会を少し楽しみ。大急ぎで帰洛。

# 

 午後5時30分、河原町蛸薬師の「Aじビル」で別のつどい。A尾H章さんとOりょうさんのお祝いを内々にする。

#

  店内にずっと、来年大河ドラマ「龍馬伝」の予告が流れていた。

 いよいよだ。

|

2009.12.06

来週の中村武生

 お問い合わせがありましたので、近々の中村武生の講演・ 講座・現地見学会(巡検)を掲示しておきます。

●2009年12月8日(火)11時~13時

京王文化セミナー/シンポジウム「坂本龍馬――幕末維新を回天させた男」(主催:京王電鉄文化探訪事務局、会場:京王プラザホテル5Fコンコードボールルーム)、その他の講師:桐野作人/坂本登/山村竜也/植松三十里(敬称略)【予約終了済み】

●2009年12月10日(木)午後1時30分~午後3時

「坂本龍馬以前の幕末京都」その3(安政の大獄)(主催・会場:京都新聞文化センター) 【お問い合わせ:京都新聞文化センター】

2009年211()午前9時10分~10時20分 

中村武生のくずし字入門」(幕末京都の町人日記をよむ―「松屋田淵治兵衛日記」嘉永4年(1851)12月~嘉永5年(1852)1月、

主催:京都史蹟隊、於キャンパスプラザ京都)【参加費500円、予約不要、直接会場へおこしください】

2009年12月12日()午後3時~5時30分 集合場所、場所:近江屋跡(京都市中京区河原町通蛸薬師下ル「サークルK」の南どなり)

中村武生の「基礎から学ぶ坂本龍馬」現地見学会「坂本龍馬の葬送ルートをあるく」

近江屋跡から龍馬埋葬地の霊明社へ向かう 

参加費:1,000円(500円ではありません)

 

主催:龍馬カンパニー

http://kyoto-ryoma.jp/blog/index.php

●2009年210(木)午前10時50分~12時00分

 「基礎からまなぶ日本歴史」(予定のお題「江戸初期の外交」)主催:京都史蹟隊、於キャンパスプラザ京都)【参加費500円、予約不要、直接会場へおこしください】※冒頭、「先週の中村武生」というお話つき

|

2009.12.01

幕末「京都土佐藩邸史料」の続報

 新発見の、幕末京都土佐屋敷史料の続報である。

 去る2009年11月3日に行われた、京都歴史回廊協議会フォーラム「現代に変革の嵐を、京都から~京の幕末と坂本龍馬志士に学ぶ~」の概要が、『京都新聞』朝刊同年11月23日(月)10・11面に掲載された。

 そこで三浦夏樹氏(高知県立坂本龍馬記念館主任学芸員)が、幕末「京都土佐藩邸史料」約500点を無事、高知県が購入したと発言されている

 広くは報道されなかったようだが、無事、県議会を通られたようだ。

 注目の、寺田屋での龍馬遭難に関する伏見奉行所から所司代にあてた報告書について、

 「龍馬を捕縛できなくても、薩長同盟にかかわる書類を奪うことで十分目的を達していたことが分かりました」。

と述べておられる。

 来年度の同館での企画展で公開される予定の由。

 とても楽しみですね。

|

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »