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2009.12.30

越前福井に龍馬最後の旅行をしのんだ

12/27(日)はれ

 福井市に旅行。

 来年の大河ドラマ「龍馬伝」の舞台地のひとつにして、再来年の大河「江(ごう)」の舞台地である。

 福井は龍馬最後の旅行地である。慶応3年(1867)10月28日、土佐の参政後藤象次郎の依頼により、福井の老公松平春嶽に上洛を望むため福井入りした。

 このとき龍馬は、文久3年(1863)の福井の政変で軟禁中の三岡八郎(由利公正)に面会することを要求し、10月30日、実現した。

 その場所は、福井城下町の西南、山町(現照手1丁目)の旅籠莨屋(たばこや)・和木本久右衛門方である。ここでの龍馬と三岡のエピソードはとても有名なのではぶく。

 デフォルメがすぎていることを承知しつつも、描写が楽しいので、司馬遼太郎『竜馬がゆく』のその部分を比較的よく読む。それほど龍馬の最後の旅行、福井行は好きだ。

 午前中、福井駅につく。福井は2度目である。たしか前回は、1995年8月だったと思う。まずは福井城跡に入る。1995年8月にはなかった、復元された西門跡の廊下橋を楽しむ。龍馬もみたかも知れない。

 写真は天守台の石垣と、天守台からみた廊下橋。

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 午後から、柴田神社・北ノ庄城跡公園に行く。

 織田信長によって越前の戦国大名朝倉氏が滅ぼされる。

 その本拠地が一乗谷で、その陥落のあと、北ノ庄城があらたな越前の中心地になった。

 北ノ庄城に入ったのが、柴田勝家である。

 これが信長の妹とされるお市の方の、本能寺の変のあとの再婚相手である。

 お市の方の末娘が江(ごう)で、再来年の大河ドラマの主人公である。

 つまりここが舞台地というわけだ。

 近年の近世福井城三ノ丸跡の発掘調査で、三ノ丸の石垣や堀とともに、下層で堀が見つかっている。これが幻とされてきた、北ノ庄城の遺構と考えられている。

 公園にはその遺構が地下に埋もれることなく、露出されている。すばらしい。これまた1995年にはなかったものだ(以下写真の、中央の石垣を伴わない穴がそれ。西上より撮影)。

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 そのあと由利公正宅跡へ。現在、足羽 川にかかる幸橋の南詰、西側に標石が建っているが、1995年の位置と変わっている。14年前は、東側に建っていた。

 実は旧蹟地はいずれでもない。すでに拡幅された足羽川の中に沈んでしまっている(山崎正薫『横井小楠伝』中巻、1942年、日新書院、284ページ)。

 写真はその旧蹟地を、南側から撮ったところ。橋の左手の川の中。

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  ついで横井小楠宅跡に立ちよったあと、莨屋跡にたつ。いま標石が建っている。2000年11月、莨屋塾なる団体が建立した。つまりここもやはり1995年8月にはなかった。今回、これを見るのが主目的だった。

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 ここで龍馬が三岡と会ったのは、慶応3年(1867)10月30日である。11月2日と誤解したものが多いが、それは「由利公正覚書」という後世の史料に頼っているからだ。

 越前重臣、本多修理の日記に、「晦日。朝、松源太郎、三岡八郎儀、坂本龍馬旅館へ到ル。七ツ時過帰ル」とある(『越前藩幕末維新公用日記』)。同時代の越前の公務日記なのだから、これを信用すべきである。

 慶応3年の10月30日は、現在の11月25日である。ほぼ実際の一カ月後に来たことになる。

 現在駐車場になっている。おしいことだ。「龍馬」を冠した商店をすればいいのに。どれだけ集客できるか知れないのに。

 中身が良心的であれば、僕はそういう店を好ましいとさえ思っている。「生きようとする力」を感じられるから。地域活性にもつながるはずだし。決して「下品」ということはない。

  ただし中身の充実には苦心してください。「観光偽装」などといわれないていどには。

 夜は、三国に宿泊。三国観光ホテルに泊まる。ネットで予約したのに、到着して驚いた。中をとりもつ業者が、同ホテルに連絡をしておらず、予約がされていなかった。

 が、ホテルの方がとてもていねいな対応をしてくださった。部屋も食事もすぐにセットしてくださっただけでなく、食事のときに驚くべきサービスさえしてくださった。遠慮すべきなのに、おもいっきり甘えてしまった。大満足でした。

 12月28日(月)雨のちはれ・くもり

 ほんとうは朝倉氏の本拠、一乗谷に行くつもりだった。こちらも1996年夏以来、行っていないから。が、前日に武家屋敷の年内の営業が終わっていたこと、かなりの積雪が見込まれたこと、列車の乗り継ぎがうまくいかなかったことなどから断念。

 急きょ、勝山市の県立恐竜博物館に行った。

 滞館時間はとても短かったが、いつもとちがう知識がたくさん頭に入ってきて、とても有意義だった。

 帰途、実妹さんのメールで、県立恐竜博物館がNHK朝ドラ「ちりとてちん」の舞台地だったと知った。同館にはそんな掲示がなかったから。

 なんだかNHKドラマの舞台地めぐりツアーみたいな旅だった。

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