龍馬の仲間の時計窃盗事件をよむ
11月7日(土)はれ
昨年の今日、歴史地理同考会がNPO法人の認証を受けた連絡をえた。早いなあ。もう一年か。
名古屋へ出講。栄中日文化センターの龍馬講座である。
信用できる史料にもとづいて龍馬の生涯をていねいに洗いなおしている。今回、主となったのは山本琢磨(沢辺数馬)の時計窃盗事件。
これを伝える武市半平太(瑞山)の手紙を朗読した(安政4年(1857)8月17日付島村源次郎宛)。
山本琢磨の切腹必至を龍馬が逃がしたという通説(『維新土佐勤王史』など)は、根拠のないことと述べる。武市や龍馬の知らぬところで、勝手に逃亡したのである。
酔っていたとはいえ、山本琢磨の無頼漢ぶりは目に余った。通行人にぶつかっていき、足をひっかけたりして楽しんでいたという。
問題の佐州屋金蔵には殴りつけ、逃げたあとにのこした風呂敷包みを蹴飛ばし、箱を踏み砕いて、中の時計を持って帰った。「ここまでは酔狂に相違なし」といっている武市もけっこう甘い。
が、問題は酔いがさめた正気であるはずのときに、盗品を金にかえようとしているところである。本当に酔っていたからと、かわしていいのか。出来心かも知れないが、悪意はあるだろう。
のちロシア正教会の教徒になったらしいが、とりあえずこのときはかなりひどい。
それよりも、被害者の佐州屋金蔵が実に心やさしいことに感銘をうけた。窃盗ではなく、時計を落したことにしようとしたが、「拾い主」の役割をしてくれる人が見つからない。奉行所に問われたらどうしようかと落涙している。加害者山本琢磨をかばっているのである。
武市の「至而(いたって)正直なる物にて、江戸にはめづらしき物ニ御座候」という評はよくわかる。
龍馬は武市からもっとも頼りにされている。相談を受けたり、ともに佐州屋に行ったり、目付の呼び出しに応じたりしている。実に仲良しである。
ほかに、安政5年(1858)11月下旬、土佐国境の立川関に水戸の住谷寅之助がやってきたときの、住谷日記などを読む。
「龍馬誠実可成(かなり)ノ人物」と記すは龍馬の同時代評として無視できない。ただ住谷が望むような対応ができなかったが。「龍馬迚(とて)も役人名前更ニ知らず」とある。
あいかわらず進まなかった。まだ龍馬亡命前である。
終了後は、いつもの懇親会をして京都へ戻る。いつも通り日帰り。夜は明日の講演準備をいたす。
午前2時すぎまでかかる。レジュメをメールで送って、ようやく床に就く。
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