雲林院と七野社を訪ねさせたわけがわからない
10/29(木)はれ
朝9時、北区堀川通紫明の交差点に集合。
弘化5年(1848)の「京都名所略案内順覧」(「諸国道中たび鏡」のうち)による、「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。本日は櫟谷七野神社から千本釈迦堂へいたる。
寺社由緒の事実・非事実の見分け方を論じる。
櫟谷七野神社といえば、いまは「紫野斎院跡」として有名になったが、あいかわらず角田文衛博士の力である。掛け値なしですごいと思う。
角田文衛博士がおられなかった江戸後期に、なんでこの神社が観光地に扱われたのかがよくわからない。
ちなみに前回訪ねた雲林院も。「いまは民家になっている。寺はない」と書いてあるのに(天保2年(1831)の京図に記載されているから、実際にはあったのだが)。不思議である。
千本今出川下ルの親子どんぶり名物店で昼食をし、依頼をうけて、午後から寺町御池下ルで現京都御所のレクチャーをいたす。楽しかった。
夕方、河原町六角で、いつものA尾さんとOりょうさんにばったり会う。最近多忙をきわめているので「龍馬」に行っていない。再会を喜ぶ。が、家庭事情で帰路を急ぐ。
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