霊明神社創祀200年祭に参加した
9/23(水・祝)はれ
午前10時、洛東霊山の霊明神社に行く。
いわずと知れた、幕末志士の聖地。
久坂玄瑞が萩の保福寺から先祖の霊を移し、永代供養を頼んだ。長州屋敷が吉田稔麿ら池田屋事件戦死者を埋葬した地。そして坂本龍馬らも埋葬された。
いま龍馬の墓碑は霊山護国神社にあるが、それはのちの姿なのであって、幕末維新期にはそこは霊明社(現霊明神社)の境内だった。
その霊明社(現霊明神社)の創建は、文化6年(1809)。だから今年で200年を迎えた。本日はその紀念祭典があったのだ。僕は来賓として招待された。
久坂玄瑞の書翰にある「京都東山の霊山と申すところ・・・・そのところの神主村上丹後(丹波の誤)と申す者」の一族が、現在まで廃れることなく祭祀を続けてこられた。さまざまな苦難を乗り越えて。
客観的な立場にたつべきとはわかっているのだが、胸にくるものがあった(妻宛。元治元年(1864)3月25日付)。
普段閉じられている扉が開けられていた。旧参道が通れた。今日だけ特別に、龍馬の葬送ルートを当時の通り歩けた。けっこう感激した。はじめてだ。
神祭のあと、となりのホテル「りょうぜん」で宴会(直会(なおらい))。写真はその入り口。モデルはいつもの「おりょう」さん。
村上8世神主繁樹さんからのご依頼で、スピーチをした。名誉なことだった。
ホテル「りょうぜん」は温泉がわいたらしく、来月から開放される。が、今日は特別にプレオープンとかで参加者は入れた。
が、こちらは仕事がたまっていた。一刻も早く、とどなられている原稿を抱えていた。だから温泉に入らず、河原町へ出て喫茶店で立ち向かう。
夜は、臨時で「龍馬」(木屋町六角下ル)が開店。たこやきパーティがあった。参加した。
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