内裏・公家町をあるいて江戸日記を読んで三宅日記も読んだ
9/18(金)はれ
午前8時30分すこし前、烏丸丸太町下ル西側のコンビニで俳優のF越E一郎さんをみかけた。買い物でレジに並んでおられた。
午前9時、2回目の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく―「京都名所畧案内順覧」の世界」を執行(主催:京都史蹟隊)。
「京都名所畧案内順覧」は弘化4年(1847)丁未(ひのと・ひつじ)刊行の観光ガイドブック。1週間分の観光コースを設定してくれている。その1日の量が異常に多いのだ。それを真似して歩いている。
まだ初日分。今回は、現京都御苑内が舞台地となる。
「京都名所畧案内順覧」の原文は、「内裏(西の口の惣御門より入、仙洞御所、女院御所、諸官家の御屋敷拝見し、北へめぐり惣御門を出)。」
つまり禁裏御所の西正面にあたる中立売門から入り、仙洞御所、大宮御所、公家屋敷をみながら、北の惣御門=今出川門から出た、というわけ。
実際のわれわれは、見るべきもの、解説すべきことが多すぎて、北から出られなかった。南半分だけで終わった。九条邸跡が解散地となった。
次回は北側をあるくことになりそうだ。
次回は9月25日(金)午前9時から11時まで。集合場所は地下鉄烏丸線「今出川駅」南改札前です。京都御苑の北半分の公家屋敷跡をあるいて、相国寺へ向かいます。参加費はワンコイン(500円)です。雨天決行。予約不要です。
午後からくずし字入門に出講。あいかわらずの文化9年(1812)の「江戸逗留日記」を読んでいる。
参加者の郡邦辰さんが、文化8年(1811)の江戸図(「分間懐宝御江戸絵図」須原屋版)に登場人物の多数の居所が記載されていることを発見くださった。
そのコピーみなさんにお配りする。記主「勘解由」が江戸の町をどう動いたか、歴史地理的に考えることが可能になる。
今回は「京都新聞」に案内が載ったため、初参加の方が少しおられた。その方々にここまでの説明をすることに少し時間がいった。
夜は、JR花園駅前の某所で「三宅日記輪読会」に参加。今回は1922年(大正11)7月30日条から8月11日まで読む。
いつも松田万智子さん(京都府立総合資料館)が釈文をつくってきてくださる。
おもしろかったのは、8月5日、記主三宅清治郎氏が肥満防止のため、朝食前の散策を始めたこと。おそらく東洞院六角の自宅から、富小路通を北上し、御苑に入り一周して帰宅。「神気爽快なり」とある。
偶然、今朝、僕らが歩いた場所とほぼ同じだったから。微笑ましい。
注目したのは、ちゃんと「御苑」と書いているところである。「御所」と書いていないのである。「京都御所」は旧内裏(禁裏御所)のことで、宮内庁の管轄。
が、「京都御苑」は公家町跡を使用した国民公園で、現在環境省の所管である。まったく別個なのである。
京都御苑を「御所」と読んでしまうのは、現代人であって、大正期の京都の商人のひとりはちゃんと使い分けていることを知ってほしい。
終了後は、友人M尾さんから誘いがあったので、少し「龍馬」(中京区木屋町六角下ル)に寄る。小浜の御坊さんもいた。よく遇う。
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