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2009.09.30

相国寺旧境内をくまなく歩く

9/29(火)午前中小雨

 また朝から京都史蹟隊の巡検。「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく」。本日は相国寺旧境内をくまなく歩く、みたいなことをした。

 相国寺、よく知っている寺院のように思っていたが、いやいやとんでもない。今回、ほんとうに知らないことがたくさんあることを知った。僕が一番勉強になったと思う。参加者が少なかったが、こられなかった方、残念でした。また来てください。

 少し雨がふりましたが、たいしたことなく終わりました。

 次回は、10月1日(木)午前9時、地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅改札集合です。上御霊神社から上賀茂神社にむかいます。予約不要。参加費500円。雨天決行です。

 午後からはキャンパスプラザ京都で、基礎からまなぶ日本歴史に出講。大坂夏の陣を論じた。10月5日(月)に大坂の役古戦場の巡検をするから、大急ぎで進めたが、やっぱりダメだった。巡検が終わってからも、教室で少し再論します。

 去る6月1日におこなった、関ケ原巡検の動画(約1時間30分)と写真約200枚をおさめたDVDが発売になりました(龍馬カンパニー制作)。たった1,000円。本日、初お披露目。たくさん売れた。ご希望の方はご連絡ください。

 夕方は三条ラジオカフェで、いつもの「龍馬の時間」と「中村武生の京都歴史探偵」のラジオ収録。

 睡眠不足で眠かったのだが、しばらくいつもの「龍馬」(木屋町六角下ル)にいてM尾夫妻と歓談。

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2009.09.29

【講演】御土居堀の歴史と現状

 来月、下記の講演が行われます。ぜひお越しください。

 御土居堀の歴史と現状

 講師:中村武生(京都女子大学非常勤講師/NPO法人京都歴史地理同考会理事長)

 日時:2009年10月24日(土)午後1時~4時

 場所:京都大学総合博物館(京都市左京区吉田本町)

          TEL: 075-753-3272, 3273, 3274

          FAX: 075-753-3277

          Eメール: infoinet.museum.kyoto-u.ac.jp (@も入力して下さい。)

          http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/ ←詳しくはこちらへ

 無料ですが、博物館の入館料400円は必要です。

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2009.09.28

伏見城下町と龍馬をかたる

9/27(日)はれ

 東京都渋谷区に本拠をおく、「田舎の学校」が「京都水巡り」で西上された。昨日は洛中を回られ、本日は伏見。

 案内を任されたのはカッパ研究会であるが、ちょっとしたことで、同会の鈴木康久さんに誘われて、僕も案内することになった。

 午前9時30分、月桂冠大倉記念館で伏見の都市の歴史をかんたんにレクチャー。そのあと、寺田屋跡でいつもの解説。

 午前11時、10石船に乗って濠川を行く。これが伏見城惣構の堀(城下町外堀)で、今年の大河ドラマの主人公上杉景勝や直江兼続が構築にかかわったことを、同時代の文書を読んで解説する。

 下船後は、伏見城下町唯一のカギ型の辻「四辻の四つあたり」の説明をする。すなわち江戸前期、伏見奉行所の門前町形成で、豊臣期以来の都市計画道路が破壊された結果だという拙説を紹介した(拙稿「豊臣期伏見城下町の空間構造」『政権都市』所収、2004年)。

 昼食は京町通の魚三楼。昼からビールまでいただいた。たまたま隣に座られていたT中さんが、元平凡社の社員さんと聞き、ついつい言わんでもいいのに、同社刊行の『兵庫県の地名』にかかわったことなどをお話して盛り上がった。

 夜は、西洞院塩小路に来月建設予定の新碑の銘文を考える。

 大河ドラマ「天地人」をみた。三成が「のどがかわいた。湯がほしい」といわなかった。残念でならなかった。三成の最期で、「柿は痰の毒だ」シーンのない大河は近年記憶にない。

 関ヶ原の戦後処理で、豊臣秀頼の領地を没収し、220万石から65万石にしたといっていたが、具体的にどこの領地が取られ、誰に宛がわれたのか教えてほしかった。そんな事実はない。家康による領地宛行(あてがい)は、秀頼がすべきことを代行していると考えられるから。

 家康が領地宛行(あてがい)状を発給していた。毛利輝元も「三十六万石」の宛行(あてがい)状を見て、怒っていた。でも関ヶ原の論功は口頭でなされ、宛行(あてがい)状は発給されなかったと笠谷和比古氏によって明らかにされている(『関ケ原合戦と大阪の陣』152~158ページ)。

 秀頼の領地を没収したことを怒る福島正則と小早川秀秋に、家康は「治部少(三成)を討ち果たしたのはこの家康」とたんかを切った。

 が、オープニングのナレーションでは関ケ原において徳川の主力は参加できず、ほとんど豊臣大名が働いたことを告げていた。「治部少(三成)を討ち果たしたのは、豊臣大名」じゃないか。矛盾している。

 しんどいドラマである。

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2009.09.27

室町通をあるく最後のイベント

9/26(土)はれ

 京都おこしやす大学「京の魅力探訪ウォーク」に出講。室町通をあるくというもの。ついに最終回。室町御所の北限、上立売通から大炊御門大路(竹屋町通)まであるいた。

 石田三成の死刑引き廻しルートの検討をまたやった。どこで「のどがかわいた、湯がほしい」と言ったかを推定。よくやるわ。フィクションの可能性が高いのに。でも実にタイムリー。明日の大河ドラマ「天地人」で三成は亡くなるから。

 今回も聞き上手のみなさんのおかげで楽しく済ませることができた。ありがとうございました。

 「京の魅力探訪ウォーク」はこれで終るかもしれない。実におしい。

 関東の町田明広氏(幕末史家)が上洛。夜、いつもの「龍馬」で懇親。明日はキャンパスプラザ京都でご講演。島津久光についてお話なさる。

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2009.09.24

霊明神社創祀200年祭に参加した

9/23(水・祝)はれ

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 午前10時、洛東霊山の霊明神社に行く。

 いわずと知れた、幕末志士の聖地。

 久坂玄瑞が萩の保福寺から先祖の霊を移し、永代供養を頼んだ。長州屋敷が吉田稔麿ら池田屋事件戦死者を埋葬した地。そして坂本龍馬らも埋葬された。

 いま龍馬の墓碑は霊山護国神社にあるが、それはのちの姿なのであって、幕末維新期にはそこは霊明社(現霊明神社)の境内だった。

 その霊明社(現霊明神社)の創建は、文化6年(1809)。だから今年で200年を迎えた。本日はその紀念祭典があったのだ。僕は来賓として招待された。

 久坂玄瑞の書翰にある「京都東山の霊山と申すところ・・・・そのところの神主村上丹後(丹波の誤)と申す者」の一族が、現在まで廃れることなく祭祀を続けてこられた。さまざまな苦難を乗り越えて。

客観的な立場にたつべきとはわかっているのだが、胸にくるものがあった(妻宛。元治元年(1864)3月25日付)。

 普段閉じられている扉が開けられていた。旧参道が通れた。今日だけ特別に、龍馬の葬送ルートを当時の通り歩けた。けっこう感激した。はじめてだ。

 神祭のあと、となりのホテル「りょうぜん」で宴会(直会(なおらい))。写真はその入り口。モデルはいつもの「おりょう」さん。

村上8世神主繁樹さんからのご依頼で、スピーチをした。名誉なことだった。

 ホテル「りょうぜん」は温泉がわいたらしく、来月から開放される。が、今日は特別にプレオープンとかで参加者は入れた。

 が、こちらは仕事がたまっていた。一刻も早く、とどなられている原稿を抱えていた。だから温泉に入らず、河原町へ出て喫茶店で立ち向かう。

 夜は、臨時で「龍馬」(木屋町六角下ル)が開店。たこやきパーティがあった。参加した。

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2009.09.23

春日山城跡で感心しきりだった

9/22(火)はれ

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 越後滞在2日目。春日山城跡を訪れた。

 見事な城郭だった。観光地としても興味深い思いだった。伝直江兼続屋敷跡(写真)、伝上杉景勝屋敷跡の利用のしようは、京都の行政・観光業者はもっともっとみならった方がよい。

 京都市内の上京区や伏見区に同様のポイントがあるのに、まったく無視状態だ。「食う」努力が足りなすぎる。京都市も「天地人」ゆかりの地だともっと認識してほしかった。

 あいかわらず春日山城跡でも惣構跡をさがしていく。

 夕方、6時30分ごろ、直江津駅を出る。帰路、京都へむかう。

 途中、新疋田駅付近の信号が故障し、敦賀駅で電車が止まる。約2時間、立ち往生。かろうじて山科駅までは帰れたが、地下鉄はすでに営業停止していた。

 帰宅したとき、午前1時を過ぎていた。

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2009.09.22

上越市で聚楽城に会う

9/21(月・祝)はれ

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 午前6時、高速バスが柏崎駅(新潟県)につく。新発見の「聚楽城図屏風」に会いに上越市立総合博物館へ向かっているのだ。

 始発まで1時間も余裕がある。ゆえに大急ぎで、柏崎陣屋跡、柏崎小学校横の生田万(いくた・よろず)・日柳燕石(くさなぎ・えんせき)・戊辰戦争戦死者の墓参をする。

 8時ちかく、高田駅に着く。上越市立総合博物館開館まで、1時間ある。朝食をしようと店を探していたら、自動車が近づいてきた。

 上越に親しい人はいないはず。誰だ。なんと嵯峨野学藝倶楽部の常連さん、T田さんではないか。昨日、嵯峨野学藝倶楽部で会ったばかりだ。すぐわかった。

 なんでここに? 聞くと、僕の予定を知って、ねらってご家族で来られた由。たしかに嵯峨野学藝倶楽部でスケジュールを話した。すごい。よくも、まあ。

 で、ご一緒に朝食し、9時すぎに総合博物館に。高田城跡に建っている。10時から4時まで混むとT田さんがいわれた。そんなにか?でも本当だった。僕らが着くと、もう列ができていた。

 3回も並んで近づいてみた。近づいたから「はっ」と気づいたことがいくつもあった。写真で見ただけではだめだ。実物をみないと。

 さすがにこれ以上はねぱれない。館を出たとき、もっと行列が長くなっていた。

 高田城二の丸、ついで本丸跡に行く。土塁が見事だった。ほんとうに。さすがは松平忠輝の城。

 昼食後、T田さん一家とお別れし、高田城下町の惣構跡をあるく。南西隅に土塁が残っていると聞いたから楽しみにいったが、山林ではあったが、土塁はなかった。がっかりした。

 高田の町、人がいない、店もしまりまくっている。休日だからか。疲れ果てて、春日山駅前の宿に入る。

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2009.09.21

京都市教育会建立碑と龍馬を語る

9/20(日)はれ

 午前中、嵯峨野学藝倶楽部に出講。いつものように最初は、中村武生のひとりごと。上越市でみつかった「聚楽城図屏風」について思うことを話す。30分も。いいたいことがたくさんあるのだ。

 本題は、京都市教育会建立の石碑。今日が第1回。しばらく続けます。年内は。

 夕方は京都駅前のキャンパスプラザで「龍馬カンパニー」の講座に出講。いつも以上に質問が多かった。なぜ薩長同盟は日本史上で意義深いのか、というご質問はなかなかだった。

 参加者の来られた地域が実に多彩なだった。遠いところでは埼玉県、岡山県、高知県からお越し。ありがたいことである。

 終了後は、すこしだけ「龍馬」で懇親。

 あわてて帰って、用意をして、再び京都駅へむかう。

 上越市へ行くのだ。高速バスで。

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2009.09.20

少し気楽

9/19(土)はれ

 久しぶりの特別の予定のない日。

 たまっていた原稿に立ち向かった。すこし進んだ。

 明日もふたつの講座がある。たいへんだ。

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2009.09.19

【講座】関ケ原合戦を読み直す

最近の関ケ原合戦論について、神戸市JR・阪急三宮駅前でで講座をいたします。よろしければお越しください。

関ヶ原合戦を読み直す―大河ドラマ「天地人」をよりよく知るために

    伏見城落城―秀吉の死から三成挙兵まで

    家康はなぜ江戸で動かなかったのか―小山会議の誤解

    大津城攻め―北政所ねいと淀殿は対立していたのか

    関ヶ原合戦勃発―家康は何をおそれていたか

    石田三成の捕縛と最期―伝説を実証する

 歴史好きでなくても日本人なら誰でも知っている関ヶ原の合戦。最近、常識をくつがえす研究があいついでいます。石田三成・徳川家康・北政所・淀殿などの意外な実像を、平易な語り口で紹介します。NHK大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続や上杉景勝の理解を助けます。

講師:中村武生(歴史地理史学者/京都女子大学非常勤講師)

日時:2009年10月からの第1木曜日 午後1時30分~3時

受講料:10,500円(5回分)

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問い合わせ・お申し込みは、

 主催:神戸新聞文化センタ三宮KCC 
 〒651-0096
 神戸市中央区雲井通7丁目11

              ミント神戸17F
        TEL  078-265-1100

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内裏・公家町をあるいて江戸日記を読んで三宅日記も読んだ

9/18(金)はれ

 午前8時30分すこし前、烏丸丸太町下ル西側のコンビニで俳優のF越E一郎さんをみかけた。買い物でレジに並んでおられた。

 午前9時、2回目の「江戸時代京都の観光モデルコースをあるく―「京都名所畧案内順覧」の世界」を執行(主催:京都史蹟隊)。

 「京都名所畧案内順覧」は弘化4年(1847)丁未(ひのと・ひつじ)刊行の観光ガイドブック。1週間分の観光コースを設定してくれている。その1日の量が異常に多いのだ。それを真似して歩いている。

 まだ初日分。今回は、現京都御苑内が舞台地となる。

 「京都名所畧案内順覧」の原文は、「内裏(西の口の惣御門より入、仙洞御所、女院御所、諸官家の御屋敷拝見し、北へめぐり惣御門を出)。」

 つまり禁裏御所の西正面にあたる中立売門から入り、仙洞御所、大宮御所、公家屋敷をみながら、北の惣御門=今出川門から出た、というわけ。

 実際のわれわれは、見るべきもの、解説すべきことが多すぎて、北から出られなかった。南半分だけで終わった。九条邸跡が解散地となった。

 次回は北側をあるくことになりそうだ。

 次回は9月25日(金)午前9時から11時まで。集合場所は地下鉄烏丸線「今出川駅」南改札前です。京都御苑の北半分の公家屋敷跡をあるいて、相国寺へ向かいます。参加費はワンコイン(500円)です。雨天決行。予約不要です。

 午後からくずし字入門に出講。あいかわらずの文化9年(1812)の「江戸逗留日記」を読んでいる。

 参加者の郡邦辰さんが、文化8年(1811)の江戸図(「分間懐宝御江戸絵図」須原屋版)に登場人物の多数の居所が記載されていることを発見くださった。

 そのコピーみなさんにお配りする。記主「勘解由」が江戸の町をどう動いたか、歴史地理的に考えることが可能になる。

 今回は「京都新聞」に案内が載ったため、初参加の方が少しおられた。その方々にここまでの説明をすることに少し時間がいった。

 夜は、JR花園駅前の某所で「三宅日記輪読会」に参加。今回は1922年(大正11)7月30日条から8月11日まで読む。

 いつも松田万智子さん(京都府立総合資料館)が釈文をつくってきてくださる。

 おもしろかったのは、8月5日、記主三宅清治郎氏が肥満防止のため、朝食前の散策を始めたこと。おそらく東洞院六角の自宅から、富小路通を北上し、御苑に入り一周して帰宅。「神気爽快なり」とある。

 偶然、今朝、僕らが歩いた場所とほぼ同じだったから。微笑ましい。

 注目したのは、ちゃんと「御苑」と書いているところである。「御所」と書いていないのである。「京都御所」は旧内裏(禁裏御所)のことで、宮内庁の管轄。

 が、「京都御苑」は公家町跡を使用した国民公園で、現在環境省の所管である。まったく別個なのである。

 京都御苑を「御所」と読んでしまうのは、現代人であって、大正期の京都の商人のひとりはちゃんと使い分けていることを知ってほしい

 終了後は、友人M尾さんから誘いがあったので、少し「龍馬」(中京区木屋町六角下ル)に寄る。小浜の御坊さんもいた。よく遇う。

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【講座】坂本龍馬の生涯をていねいに見直す

 名古屋市で坂本龍馬講座を行います。よろしければおこしください。

 坂本龍馬の生涯をていねいに見直す

 第1回 「龍馬の誕生日はなぜ11月15日とわかるのか―天保6年(1835)~文久元年(1861)」・・・・2009年10月3日(土)

 第2回「剣術家から志士へ―文久2年(1862)その1」・・・・2009年11月7日(土)

 第3回「土佐亡命―文久2年(1862)その2」・・・・2009年12月5日(土)

  第4回「大政奉還論との出会い―文久2年(1862)その3」・・・・2010年1月30日(土)

  第5回「海軍修業中―文久3年(1863)その1」・・・・2010年2月6日(土)

  第6回「長州の攘夷をたたえる―文久3年(1863)その2」・・・・2010年3月6日(土)

 講師 中村武生(歴史地理史学者、京都女子大学非常勤講師)

 受講料:12,600円(6か月分)

 主催:栄中日文化センター(名古屋市中区栄4-1-1中日ビル/フリーダイヤル0120-53-8164:午前10時~午後5時)

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2009.09.18

【講演】坂本龍馬論のいま

 坂本龍馬に関する以下の連続講演をいたします。よろしければおこしください。無料です。

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 坂本龍馬論のいま

  第1回目「薩長同盟」 2009年11月4日(水)午後2時~4時

  第2回目「大政奉還と龍馬殺害」 2009年11月11日(水)午後2時~4時

 講師:中村武生(歴史地理史学者/京都女子大学文学部非常勤講師)

 会場:高槻市立富田(とんだ)公民館3階大集会室

 対象:高槻市民または、市内に通勤・通学の方

 定員:80人(申し込み受付順)

 参加費:無料

 申し込み方法:10月13日(火)午前9時より、電話または直接富田(とんだ)公民館にお申し込みください(午前9時~午後5時15分。ただし土曜日・日曜日・祝日をのぞく)。

 主催・問い合わせ・申し込み:高槻市立富田(とんだ)公民館(大阪府高槻市富田町5-17-1。電話番号072-693-1671)。

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2009.09.17

豊臣期大名屋敷・公家屋敷跡をあるいた

9/16(水)はれ

 大学の秋学期が始まった。ひさしぶりの京都女子大学に出講。ほとんどが前期の春学期受講者だった。人数がかなり減っているので、後期は巡検が可能である。それはありがたいこと。

 本日はオリエンテーションで、次回から本旨に入るつもり。

 午後からは、よみうり京都文化センターの巡検。今回は今期の最終回。豊臣期の大名屋敷・公家屋敷跡をあるく。

 烏丸丸太町から山内一豊妻(見性院)邸跡、京都新城こと北政所ねい(ねねではない)邸跡へ。いかに近いか体感。

 そこから関ケ原合戦直後の北政所ねいの気分で、勧修寺邸跡へむかう。本当は裸足で行くべきなのだが、さすがにそれは無理だった。

 ねいは戦争目前に城郭を破壊し、戦争の2日後には「カチハダシノ躰」で後陽成天皇の生母勧修寺晴子邸へ逃げ込んだ(『言経卿記』10巻、219ページ)。

 城郭にいると籠城とみなされて身が危ない。そのための武装解除で、後陽成天皇の生母勧修寺晴子のいる場所に避難したと思われる。

 ねいが徳川家康の味方だと鮮明にしていなかった証拠である。豊臣子飼い大名に家康の味方をせよといったというのは、何の根拠もないウソばなしであろう。

 勧修寺邸跡から中立売門に出て、ここからは聚楽城の大名屋敷跡をあるく。

 たまたま先週金曜の夕刊の『朝日新聞』に報じられた、上越市立総合博物館発表の「聚楽城行幸図」と、尼崎本「洛中洛外図」があったので、それらを片手に堀川通まで。

 第3の上杉景勝邸跡(おそらく小川通中立売西南角)の前に建ち、石碑がないことをなげく。

 終了後、有志と懇親会(実は参加者全員だったのだが)。お仕事の都合で、次回講座におこしになれない方もおられ、別れを惜しんだ。

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2009.09.16

三条大橋から六角堂まであるき、大坂城惣構を壊した

9/15(火)

 午前9時、三条京阪改札に集合。新講座の開始。

 江戸時代京都の観光モデルコースをあるくもの。第1回は三条大橋から、三条小橋、瑞泉寺、六角堂まで歩いた。

 本当はそのあと、内裏(禁裏御所)に行くつもりだったが、また雨がふったのだ。また。

 次回は、9/18(金)午前9時、地下鉄烏丸線「丸太町」駅北改札、集合です。

 ※【お知らせ】9/22(祝・火)も行うと一部報じられましたが、中止ですので、御まちがいありませんように。

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 午後0時30分からは、JR京都駅前のキャンパスプラザで、「基礎からまなぶ!日本歴史」に出講。

 大坂冬の陣の講和と、惣構(外堀)などの破却を史料にもとづいてお話しする。

 10月5日(月)には、大坂の役古戦場を巡検する予定。なんとしても、次回夏の陣を終わらせねば。

 ※9月22日(祝・火)は「基礎歴史」も御休みですので、御まちがいなく。

 次は9月29日(火)です。時間は同じく、午後0時30分~午後1時40分。JR京都駅前のキャンパスプラザ京都の5階・第3・4演習室。予約不要。受講料おひとりワンコイン(500円)です。

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2009.09.15

ついに伏見で大雨がふった

9/12(土)

 京都おこしやす大学「魅力探訪ウォーク」に出講。直江兼続ゆかりの伏見城下町跡を歩いた。

 終日、雨だった。こんな日もあるのだ。少しほっとした。

 大雨の中、熱心で聞き上手なみなさんに支えられた。あとで感想を拝見したが、苦情がまったくなかった。ありがたいことだと思った。

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2009.09.14

大阪をあるいて「京都と僕」に驚いた

びっくりしたことでした。

 人気ブログランキング、3位になっていました。ありがとうございます。感謝してやみません。

 昨日は、NHK大阪センターのイベントで、河原町三条付近をあるきました。3時間も歩いたのに、とてもせまい範囲しか動いていなかった。

 どんだけネタがあるねん、という感じ。京都のすごみ、僕の執着。

 一昨日、よみうり天満文化センターのイベントで、大阪市中央区の幕末史跡を歩いた。それと比べて、なんたることか。

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2009.09.13

トップテンにもどった

 みなさま、ありがとうございます。

 おかげさまで、人気ブログランキング、またトップテン内に戻っております。

 引き続き、どうかよろしくお願いいたします。

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2009.09.12

トップテンから落ちた

 実に久しぶりであるが、人気ブログランキングのトップテンから落ちていた。

 誠に恐縮ではありますが、訪問くださいましたら、ぜひ右側の当該部分をクリック願います。

 どうかよろしくお願いいたします。

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2009.09.11

【講演】新選組と京都守護職

みなさん、こんにちは。

 中村武生が、京都府庁で「新選組と京都守護職」について

講演します(2010年2月28日(日)午後1時30分~3時)。

無料ですので、ぜひおこしください。

京都の観光を考える連続講座の開催について

                       2009(平成21)9月4日

                                  京都府府有資産活用課                               

(TEL:075-414-4044)

                                                                                                               

 「府庁旧本館利活用応援ネット」京都府庁旧本館の利活用や整備修復に関心を持つ個人・団体や京都府関係者による組織)では、京都府庁界わいの地域観光について考え、旧本館の観光資源としての価値を高めるため、「京都の観光を考える連続講座」を開催することとなりましたのでお知らせします。(「京都知恵と力の博覧会」の協賛事業として開催)

 なお、第1回目は、門川京都市長を講師に迎え、知事と市長を講師とする特別講座として開催することとしています。

【第1回講座】(特別講座)

1 日 時   2009(平成21)10月4日(日) 13:3016:0(開

13:00

2 場 所   京都府庁旧本館 正庁(京都市上京区下立売通新町西入)

3 主 催   府庁旧本館利活用応援ネット(代表 三輪 泰司)

4 定 員   80名(参加費:無料)

5 内 容

 

<前半の部>(13:3015:00

  ◇府庁界わいの歴史を歩く

    府庁旧本館を始め、府庁界わいの歴史的な文化、伝統が感じられる施設や史跡を見学【旧二条城跡、閑院宮庭園、旧西陣電話局、樂焼家元樂吉左衛門宅 他】

      

案内:NPO法人京都観光文化を考える会・都草

 

<後半の部>(15:0016:30

◇主催者あいさつ  府庁旧本館利活用応援ネット代表 三輪泰司

   

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◇「連続講座」の開講にあたって 京都府知事    山田 啓二

講座「京都観光のこれから」  京都市長

    門川 大作

 6 申込み方法  

郵便番号、住所、氏名、電話番号等を府庁旧本館利活用応援ネット(事務局:京都府府有資産活用課、TEL:075-414-4044,FAX:075-414-5450)まで、電話又はファックスにて申し込んで下さい。(先着順)  

【第2回講座・第3回講座】(予定)

月 日

内  容

講  師

【第2回】

2009.11

13:3016:00

地域観光がおもしろい

パネルディスカッション

現在調整中

【第3回】

2010. 2..28

13:3015:00

幕末の京都守護職と新選組150年前の京都府庁はこんな場所だった~

歴史地理研究者

京都女子大学非常勤講師

中村 武生

※各講座とも、場所は旧本館正庁で、定員は80名です。

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2009.09.10

【講座】京都史蹟講座を再開します

 久しぶりに現地見学会オンリーの講座をはじめます。

 江戸後期、京都の観光客むけにつくられた、観光モデルコースを記した本があります。「京都名所畧案内巡覧」といいます。

 いろいろ今の観光とちがいます。そんな旧蹟あったっけ、みたいなところもあれば、えっ、あの有名なところにいかないの、もあります。

 そして何よりペースがちがう。1日でそんなに歩いたんか、と驚くほどです。

 もちろん今回は、現代人むけに、何回にもわけて、ゆっくりゆっくり歩きます。

 平日の午前中、2時間ほどです。散歩がてらにどうですか。

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「中村武生の京都史蹟講座」

江戸時代京都の観光モデルコースをあるく―「京都名所畧案内巡覧」の世界

1回「三条大橋から内裏まで」

実施日: 2009年9月15日(火)

集合:午前9時、京阪三条駅中央改札口

解散:午前11時ごろ、烏丸丸太町付近

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第2回「内裏から相国寺まで」

実施日: 2009年9月18日(金)

集合:午前9時、地下鉄烏丸線丸太町駅北改札口

解散:午前11時ごろ、烏丸今出川付近

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各案内: 中村武生(歴史地理史学者・京都女子文学部非常勤講師)

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参加費:各500円

予約不要

小雨決行

※今後もつづきます。

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主催:京都史蹟隊(隊長:中村武生)

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2009.09.09

龍馬とお龍の碑、除幕式に行った

9/6(日)はれ

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 坂本龍馬・お龍(鞆)、内祝言(結婚式)場跡の標石除幕式があった。建立者はNPO法人京都龍馬会である。

 監修をした関係で、一言話した。

 拙著『京都の江戸時代をあるく―秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』(文理閣、2008年10月、113~115ページ)でこの地を紹介してから、まだ一年たたない。

 それなのに、もう碑が建った。感無量である。京都龍馬会の赤尾博章さん、土地提供者東山ユースホステル、出資者清水一郎さんに敬意を表したい。

 そして、本日、また建碑情報をえた。また僕に解説文依頼があった。ありがたいことである。

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2009.09.08

皆川淇園弘道館址の位置がわかった

 先日、京都市教育会が建てた「皆川淇園弘道館址」標石の位置について、正確でない可能性があると述べた(当ブログ2009年8月30日付)。

 かんたんに振り返っておく。

 位置は、上京区上長者町通室町西入北側(元土御門町)である。

 ちなみに皆川の墓碑銘(上京区寺町今出川上ル阿弥陀寺)によると、弘道館は皆川の自宅の西隣地である。

 だから標石の位置が正しいなら、上長者町通室町西入北側が自宅でもあるわけだ。  

 が、異説があった。

 京都市教育会と少なからず縁のあった、碓井小三郎の著『京都坊目誌』(上京第十三学区之部)が、中立売通室町西入ルの三丁町だと述べていた(新修京都叢書18巻、404ページ)。

 平凡社刊行の『京都市の地名』も『京都坊目誌』の説を踏襲している(590ページ)。   

 恥ずかしながら、「中立売通室町西入」の根拠を僕は知らなかった。

 が、ひとつ知っているものがある。

 皆川の孫にあたる皆川西園の居所である。

 江戸後期の弘化4年(1847)刊行の、画家や学者などの名簿「京都書画人名録」に、皆川西園の居所を「中立売室町西」と記すのである(『新撰京都叢書』9巻376ページ)。

 いうまでもない『京都坊目誌』の述べる場所と同じである。

 孫の皆川西園の居所を、そのまま祖父淇園の居所と判断したのか、明確な根拠をもっていたのか。それがわからなかった。

 昨日、NPO法人京都歴史地理同考会監事の郡邦辰さんから、「平安人物志」に皆川淇園自身の居所の記載があると教えていただいた。

 「平安人物志」が皆川と同時代の紳士録だったことを完全に忘れていた。恥ずかしいことだ。

  「平安人物志」には複数の版本がある。

 その明和5年(1768)刊行分に記載があった。

 「皆川愿 字伯恭 号淇園 中立売室町西へ入町 皆川文蔵」

(森銑三・中島理寿編『近世人名録集成』1巻、、勉誠社、1976年、3頁)

 「中立売室町西へ入町」とあるのである。

 そう、建碑の地と異なる。

 「坊目誌」の記載通りであったのだ。

 孫の居所は祖父以来の地ということだった。

 答えがわかってほっとしたし、僕の推定もあながちまちがっていなかったことに安心もした。

 が、それにしても、またも京都市教育会の建碑地が不正確であることが明らかになった。

 後世への影響を考えた時、あきれる思いである。

 もちろん自らも建碑を実践している者として、他人ごとではない。

 襟を正すおもいである。

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2009.09.05

虫損に悩んで仁正寺と結論づけた

9/4(金)はれ

 また暑くなってきた。いったん涼しかったのに。立っているだけで汗が出る。困る。

 くずし字入門に出講。変わらず「在府逗留日記」を読む。そろそろ人名辞典をつくらきゃと思っているのだが、できなかった。忙しかったのだ。

 「■正寺」という単語が出てきた。■部分が虫損(虫食い)なのである。「■正寺」といえば、興正寺か仁正寺だろうが、もめた、もめた。

 興正寺はありえず、おそらく仁正寺だろうという結論にいたる。本当にそうなら、この日記の記主を知るキーになりそうだ。

 仁正寺は近江国蒲生郡(現滋賀県蒲生郡日野町)の地名である。ここの領主が市橋家で、一般に「仁正寺藩」という。

 この日記とどうからむのか、よくわからないが。

 終了後、また籠って、昨日の話題にした論文の続きを打つ。また進んだ。

 夜はいつもの「龍馬」(中京区木屋町六角下ル)に少し寄る。赤尾博章さんから珍しい地図をみせてもらった。『龍馬・新選組が駆けた幕末京都めぐり地図』という名前。赤尾さんの監修だ。

 かなりマニアックな史蹟紹介地図だ。付録に索引もある。

 誤植をはじめ問題点は多々あるのだが、僕の知らなかったポイント紹介もあって、興味深いものだった。

 元治元年(1864)4月18日、長州系志士に殺害されかかった中川宮家臣の武田相模守信発(のぶあき)の墓所が、十念寺(寺町通今出川上ル)とは、この地図で知った。

 ためしに手元の日本歴史学会編『明治維新人名辞典』(吉川弘文館、1981年)の武田信発の項(584ページ)をみてみると、きちんと書いてあった。周知のことだったようだ。恥ずかしいことだ。

 このように周知のことでも、自身が見落としていることに気づけるかも知れない。安価だし、お勧めしたい(出版はユニプラン、680円(税込))。

 一般書店で購入できます。もちろん「龍馬」でも。

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2009.09.04

京都の下水の歴史にふれた夜だった

9/3(木)はれ

 ある論文に取り組んでいる。ほとんどまとまっているのに、いったい何年未完成でいつづけたいのか。今回はまとまりそうだ。途中でやめてはだめだ。今回は必ずまとめてやる。

 そんな思いで、今日はがんばった。進んだ。

 夜、Kッパ研究会のS木康久さんに誘われて、京都駅へ出る。関東のR正大学のK野忠先生と、H美登里先生が京都の下水史の調査のために上洛された。その飲み会に参加した。

 単なるオブザーバーのつもりでいったのに、そうではなくて驚いた。僕が拙著『御土居堀ものがたり』で、都市の排水のことを書いたから、さらに参考になるお話をと求められた。

 もちろん大した話は知らない。申し訳ありませんでした。何の役にも立たなかったことと思います。が、こちらはそうではなかった。知らないことばかりだった。いろいろ勉強になった。京都のごみ問題史の専門家、Y崎達雄さんもお越しになり、盛り上がった。

 S木さん・K野先生と二次会にも行った。終電なくなったことも知らず、ずっとひとり盛り上がっていた。両先生、ありがとうございました。

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2009.09.03

【講座】坂本龍馬以前の幕末京都

 来月から以下の講座を開始します。よろしければおこしください。

<京都学講座>『坂本龍馬以前の幕末京都』

 2010年のNHK大河ドラマは坂本龍馬が主人公の『龍馬伝』です。
 ドラマ開始までに坂本龍馬が登場する以前の京都の幕末史を学びましょう。

 教室学習と現地見学会を組み合わせた講座です。

 月2回・木曜日 13301500

11008日 「天皇」の復活−光格天皇の時代
2
1022日 【現地見学】閑院宮邸と盧山寺
3
1112日 なぜ、孝明天皇は条約勅許しなかったのか
4
1126日 【現地見学】孝明天皇の胞衣塚と山陵
5
1210日 空前絶後の弾圧 −安政の大獄−
6
1224日 【現地見学】水戸屋敷跡・鵜飼吉左衛門寓居跡徳円寺
 【巡検】の詳細は、講義時にお知らせいたします。

受講料:15,750円(6回)

入会金:3,150円(3年間有効)70歳以上の方は1,575

URLhttp://www.kyoto-pd.co.jp/school/detail.php?nid=314

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また京都の龍馬旧蹟に建碑!

 さきほど、また京都の龍馬旧蹟に建碑がなりました!

 建碑者は、NPO法人京都龍馬会です。清水一郎さんの浄財によりました。

 中村武生が監修し、解説文を書きました。

 

 銘:(表)坂本龍馬・お龍「結婚式場」跡

   (側面) 此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡

 除幕式:2009年()午前11時30分

 位置:京都市東山区東山三条東入ル南側、東山ユースホステル

 史料根拠は、お龍(鞆)こと西村ツルの晩年の回想を安岡秀峰が書き留めた「反魂香」(1899年=明治32)です(『坂本龍馬全集』4訂942ページ)。

 それによると、元治元年(1864)8月、禁門の変のあと関東から帰ってきた龍馬と亡父とゆかりのある同寺で内祝言をあげたとあります。

 内祝言という言葉は現在あまり耳慣れないと思いましたので、分かりやすくするため、カギカッコつきの「結婚式」を銘としました。

 終了後、同地にて祝賀会開催します。予約は電話075-211-3666へ

 ふるって ご参加ください。

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2009.09.02

関ケ原古戦場の松尾山城跡をあるく

8/31(月)はれ

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 「基礎からまなぶ!日本歴史」の巡検で関ケ原古戦場へ行く。

 6月1日にもバスで行った。そのとき松尾山に行かなかった。松尾山はたんなる山ではない。地域屈指の城郭跡である。

 最近、関ケ原合戦の研究は大きく進み、従来のイメージとだいぶ変わった。小早川秀秋の評価も。その舞台地であるから、みなさんと行ってみたかった。

 ただし今回はバスではなく、JRで。駅からはタクシー4台に分乗して、松尾山中腹まで送ってもらった。

 高田徹さん(城郭史研究者)作成の縄張り図を使わせていただいて歩きまわった。非常に楽しかった。各所に立派な土塁が残っていた。松尾山を城郭と認識するのが遅れたことが信じれなかった。いまとなれば、研究者なら誰でもわかるではないか。

 下山後は、大谷吉継陣所跡とその墓所に行った。側近湯浅五助の墓碑と並んでいることのおもしろさを語る。

 京都駅では懇親会。また楽しかった。

 ※写真は、松尾山城の主郭出入り口の枡形(北側(主郭側)から撮影)。左右の高まりが土塁。

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2009.09.01

びっくりするほど晴れ男だった

8/29(土)

 おこしやす大学「京の魅力探訪ウォーク」に出講。

 室町通の歴史を紹介し、上立売通から竹屋町通まで現地を案内するイベント。

 午前中の部屋での学習時間ではそんなことなかったのに、お昼休みに大雨が降った。

 僕は晴れ男である。午前中降っていたのに、現地見学会を行う午後1時になると止んだ、なんてことは日常茶飯である。

 ところが今回は午前には降っていなかったのに、昼休みに降り出した。なんでも例外はあるものだと思い、今回は神通力もきかなかったかと思っていた。

 なのに、午後1時の出発直前に止んだ。

 常連の受講者から、さすがは中村みたいにいわれたが、そうでしょとはいえなかった。今回ばかりはそら恐ろしかった。

 午後3時すぎ小雨が降り出した。あ、やはり降るかと思っていたところで、たまたまトイレ休憩になった。

 トイレ休憩が終わり、さあ再出発というきに、また止んだ。またこわくなった。非科学的なのは分かっているのだが、あまりにすごい。

 夜、7時すぎ、河原町三条の交差点に立ち寄ると、選挙演説の声がきこえた。民主党の岡田幹事長だった。平智之さんの応援だった。河原町三条の交差点が人であふれていた。車線がひとつ人で使用不可になっていた。

 明日は政権交代しそうな気がしてきた。

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