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2009.09.05

虫損に悩んで仁正寺と結論づけた

9/4(金)はれ

 また暑くなってきた。いったん涼しかったのに。立っているだけで汗が出る。困る。

 くずし字入門に出講。変わらず「在府逗留日記」を読む。そろそろ人名辞典をつくらきゃと思っているのだが、できなかった。忙しかったのだ。

 「■正寺」という単語が出てきた。■部分が虫損(虫食い)なのである。「■正寺」といえば、興正寺か仁正寺だろうが、もめた、もめた。

 興正寺はありえず、おそらく仁正寺だろうという結論にいたる。本当にそうなら、この日記の記主を知るキーになりそうだ。

 仁正寺は近江国蒲生郡(現滋賀県蒲生郡日野町)の地名である。ここの領主が市橋家で、一般に「仁正寺藩」という。

 この日記とどうからむのか、よくわからないが。

 終了後、また籠って、昨日の話題にした論文の続きを打つ。また進んだ。

 夜はいつもの「龍馬」(中京区木屋町六角下ル)に少し寄る。赤尾博章さんから珍しい地図をみせてもらった。『龍馬・新選組が駆けた幕末京都めぐり地図』という名前。赤尾さんの監修だ。

 かなりマニアックな史蹟紹介地図だ。付録に索引もある。

 誤植をはじめ問題点は多々あるのだが、僕の知らなかったポイント紹介もあって、興味深いものだった。

 元治元年(1864)4月18日、長州系志士に殺害されかかった中川宮家臣の武田相模守信発(のぶあき)の墓所が、十念寺(寺町通今出川上ル)とは、この地図で知った。

 ためしに手元の日本歴史学会編『明治維新人名辞典』(吉川弘文館、1981年)の武田信発の項(584ページ)をみてみると、きちんと書いてあった。周知のことだったようだ。恥ずかしいことだ。

 このように周知のことでも、自身が見落としていることに気づけるかも知れない。安価だし、お勧めしたい(出版はユニプラン、680円(税込))。

 一般書店で購入できます。もちろん「龍馬」でも。

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