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2009.08.23

ついに江戸日記の年代わかる

8/21(金)はれ

 

 くずし字入門に出講。今日も「在府逗留中日記帳」を読む。

 相変わらず、受講者の熱心ぶりに頭がさがる。

 その勢いにおされて、どうしても年代決定してみたくなった。

 

 で、終了後、京都府立総合資料館に行き、司書松田万智子さんを煩わせて種々の史資料にあたった。

 その結果、なんとはやばやと、当日記の年代決定ができた。とても驚いた。

 答えを先にのべれば、文化9(1812)の日記だった。

 なぜ分かったか。

 まず以前にふれたが、本文中に、「中山備中守」が「水戸様ノ御伯父君」とある。

 これは水戸徳川7代当主治紀(はるとし)の叔父、中山信敬(のぶたか/中山家10代)と推定していた(水戸徳川家5代宗翰(むねもと)の9男)。

 すると水戸治紀の当主期間、文化2年(1805)から文化13年(1816)だろうと考えていた。

 実はほかにも年代を明らかにできそうな情報がいくつもある。

 たとえば本文にふたりの老中が登場する。

 「松平伊豆守」と「牧野備前守」である。

 「松平伊豆守」と「牧野備前守」は、江戸時代全体ではいずれも複数いて、そのうちの誰であるか、にわかには分からない。

 が、在任期間が重なるのは、ひと組しかない。

 松平信明と牧野忠精である。

 それがいつなのかといえば、

享和1年(1801)7月11日~享和3年(1803)12月22日と、

文化3年(1806)5月25日~文化13年(1816)10月13日である(『歴史手帳』2009年、44ページ、吉川弘文館)

 

 上記、水戸治紀の当主期間とも矛盾しないのである。

 その上で、本日記中の特異なひとつの情報に注目した。7月11日条の冒頭に「今日八ツ半時大地しん(震)」とあることだ。

 もし他の史料によって、7月11日八ツ半ごろ(午後3時ごろ)、江戸とその周辺に地震があった年が明らかにできれば、年代決定できる。

 で、京都府立総合資料館の司書松田万智子さんである。

 上記のことを尋ねると、即座に東京大学地震研究所編・刊『新収日本地震史料』(1984年)という史料集の存在を教えてくださった。

 まったく知らない史料だった。

 やはり尋ねてよかった。

 いつも言っていることだが、司書の鑑みたいな人だ。

 京都府立総合資料館は、松田万智子さんを雇われて本当に得をされている。

 さっそく文化3年(1806)5月25日~文化13年(1816)の間で、7月11日に地震がなかったか、見ていった。

 世の中、そんなにうまくいこくとはない。

 過去の地震が漏れることなく把握されていることはありえない。

 まあ、ないだろうと思っていた。

 が、載っていたのである。

 当該史料集をまったくなめていた。

 編者の先生方に失礼をわびるとともに、深甚の敬意を表したい。

 その4巻によれば、推定していた文化3(1806)13年(1816)の間の文化9(1812)が唯一、711日の地震を記録していた(325ページ)

 その典拠は、八王子郷土資料館蔵「石川日記」である。

 「十一日 晴天 八つ時大じしん」とあった。「八ツ時」なのである。

 しかも八王子。八王子なら江戸近郊であるので、まったく問題はない。すごい。

 が、このまま受け入れてよいか。もうひとつ確認を試みた。

 

 江戸の武家の紳士録といえる、「江戸武鑑」である。文化9(1812)のものが現存しているし、刊本にもなっている(石井良助監修『編年江戸武鑑/文化武鑑』6、柏書房、1982年)。

 日記に登場する大名たちはこの年に実在するか、どうか。

 するとまず「松平伊与守」が「江戸武鑑」にあった(92ページ)。

 御小姓組御番頭の松平伊予守定能(5,000石)である。

 興味深いことに、居住地は「あたこ下」とある。

 当日記の、松平伊与守屋敷は「芝口」とあったから。

 ええ、愛宕下は芝口に所在するのである。一致したのである。

 ※たとえば嘉永3年(1850)刊行の絵図に「増補改正芝口南西久保愛宕下之図」がある(『別冊歴史読本/江戸切絵図の世界』24-25ページ、新人物往来社、1998年)。

 ※松平伊予守定能は、山梨県の地誌として屈指の評価がある『甲斐国志』の編者として知られる(松田万智子さんの教示)。

 

その他、日記に「勘定ニて柳生主膳正様」という記事がある。

「勘定」とは勘定奉行のことだろうか。

 

 当たりだった。

 「御勘定奉行」に「柳生主膳正久通」(1,100石)がいたのだ(11ページ)。

 こんなところで許してください。

 

 そんなわけで、当該日記が文化9(1812)の日記であることは疑いをいれられないだろう。

 僕が所蔵している程度のしょぼい史料の年代を決定できたことは驚くべきことだ。

 ひさしぶりに深い感激のなかにある。

 詳しくは、次回「くずし字入門」で発表します。

 2009年8月28日(金)午後0時30分~1時40分

 JR京都駅前のキャンパスプラザ京都の5階です。

 参加費はワンコイン(500円)。予約不要です。

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