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2009.08.15

また僕蔵の江戸日記のはなし

8/14(金)はれ

 くずし字入門に出講。

 本日も拙蔵の「在府逗留日記」(江戸滞在日記)を読んだ。今回は三回目。

 日記の筆者(記主)は「勘解由」というらしい。

 その記主が、中山備中守の家来で御勝手方御用人の藤田市郎右衛門を訪ねた。

 記主は難波備前守からの「引合セ書状」(紹介状のようなもの)をもって行ったようで、そこに「内願之趣」(訪問内容)のあらましは記してあったが、詳しくは「勘解由」自身が申し述べるので、万事世話をしてやって欲しいと認めてあった。

 が、初めての訪問なので御目にかかることがでぎず、手紙のみ手渡し、読んでほしい、1~2日ののちに再びうかがいますからと辞去した。

 なおこの中山備中守は、「水戸様」の御附家老で、「水戸様」の「伯父君」にあたる。石高は1万石で、老中にも毎度会いに行ける人で、江戸ではよく知られた方だそうだ。

 そのあと記主は、その足で「壬生様」の手紙を持って、芝口の松平伊予守屋敷を訪問した。玄関で取次の林■介という人に申し入れたところ、用人の森孫三郎がたしかに手紙を受け取った、さっそく「堀川様」へさしあげると返事をした。

 なぜ「堀川様」への書状を森孫三郎が引き受けたかというと、森孫三郎の父森嘉左衞門が「堀川様」の用人を勤めているからなのだそうだ。

 以上が今回読んだところの概要である。

 「壬生様」も「堀川様」も平出(わざわざ改行してその人の名前を行の先頭に持ってくること)や欠字(その人の名前の前を一字空白にする)をなされている。かなり身分の高い人らしい。公家ではないかと思っているのだが、いまのところ確証はない。

 「壬生様」の手紙を持って行っているところからすれば、記主は「壬生様」に仕えているのかも知れない。

 ちなみに中山備中守は、歴代、水戸徳川家の御附家老をしている家だが、その歴代当主のうち、水戸徳川家当主の「伯父」(叔父)にあたるのは、たった一人のように思う。

 水戸徳川家5代宗翰(むねもと)の9男、中山信敬(のぶたか/中山家10代)である。

 水戸7代治紀(はるとし)からみて、父の弟すなわち叔父にあたるのだ(伯父ではないのが気になるが)。

 治紀の水戸家当主の期間は、文化2年(1805)から文化13(1816)である。ここまでの推定が正しいとすると、本日記の年代はこの期間にあたるということか。

 恥ずかしながら、難波備前守や、芝口に屋敷をもっている松平伊予守が誰のことなのかも、いまだ不詳である。

 受講者から、「堀川様」は公家ではなく、高家の堀川広益ではないかと意見を頂戴した。すごいそれは気づかなかった。堀川広益は公家久我通名の子だし、石高は500石と低いが、官位は従四位上、兵部大輔である。

 が、堀川広益の没年は宝暦6年(1756)である。だから、さきほどの文化2年(1805)から文化13(1816)かという推定にあてはまらない。

 それ以後の堀川広益の子孫はどうかであるが、彼以後は「有馬」苗字をなのり、「堀川様」ではなくなる。ここにも矛盾が発生する。

 いかに近世真っ只中の江戸の情報に僕が浅いか、今回思い知らされた。

 本日記は、これから老中なども登場し、情報満載といえる。だから年代決定は急がないでいよう。とにかく久しぶりに「くずし字入門」を楽しんでいる。またお話いたします。

 関心のある方は、ぜひ「くずし字入門」にお越しください。原則、毎週金曜日、JR京都駅前のキャンパスプラザ京都の5階です。参加費はワンコイン(500円)です。予約不要です。

 次回は、8月21日(金)午後0時30分から1時40分までです。

 次回以後は、8月28日(金)、9月4日(金)、9月11日(金)、9月18日(金)です。

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