豊臣秀頼の右大臣辞任をどうみるか
6/9(火)はれ
基礎からまなぶ日本歴史に出講。まだ関ヶ原の戦後処理のはなし。石田三成、小西行長、安国寺恵瓊、宇喜多秀家、島津義弘のその後のはなしをした。まだつづく。
東京の歴史作家、桐野作人さん上洛を知る。夜、いつもの龍馬でHさんをまじえて歓談。相変わらずいろいろ教えていただいた。
最近気になっている、関ヶ原以後の豊臣秀頼(とよとみのひでより)の評価。
慶長12年(1607)1月11日、秀頼は右大臣を辞している(公卿補任)。これをどう理解するか。
笠谷和比古さんは『関ヶ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月)でそれにまったくふれず、豊臣・徳川二重公議体制論を展開されている。
これに悩んでいたが、桐野さんから魅力的な見解をいただいた。ありがとうございます。基礎歴史講座の受講のみなさん、きっとそのうちご紹介するでしょう。
今日は少し池田屋事件論も進んだ。とてもいい日だった。
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