陸奥宗光の旧埋葬地で胸を痛める
5/31(日)はれ
締め切りすぎた原稿にたちむかうつもりだったのに、おもいがけない御誘いがあって、そちらへ行った。
大阪龍馬会のO谷さんが、私的な巡検を催されることを、名古屋のF橋さんからうかがった。
そのコースに大阪・夕陽丘の陸奥宗光の原えい地(最初の埋葬地)が入っていたので、参加したくなった。陸奥宗光にはそれほど関心がない。陸奥宗光の原えい地近くに、小松帯刀の原えい地もあったと聞いている。以前からそこへ行ってみたかった。去年の大河をまだ引きずっている。
まだ人数にゆとりがあったので、無理言ってメンバーに入れていただいた。
詳しいことは書くゆとりがないが、小松帯刀よりも、その陸奥の原えい地の現状に驚いた。改葬されたあとに、多数の石造物が放置されている。先妻の墓碑さえそのままだった。少々胸をいためた。
いろいろ事情があったのだろうが、当時なんとかならなかったのだろうかという思いだ。現在その地はお寺になっていることが救いではあったが、その場所は墓地でもないので気になった。守ってくださっている現住職さんにはありがたいと思った。
ほかにも貴重な経験を多数した。時間がなくてこれ以上書けないが、O谷さん、ご参加のみなさま、ありがとうございました。たいへん学ばせていただきました。
| 固定リンク