« 函館五稜郭にきました | トップページ | 石清水八幡宮の寺院建物はどこにいったか »

2009.06.16

土方歳三箱館戦争跡をあるいた

6/14(日)くもりのちはれ一時雨

Dcf_1674

 函館2日目。明治維新史学会が催してくれた巡検に参加した。箱館戦争古戦場をバスで移動した。おおざっぱなコースは以下。

 函館市内→館城跡(国史蹟松前氏城跡のうち。厚沢部町)→開陽丸青少年センター→(昼食)→檜山護国神社(新政府軍墓地)→旧檜山爾志郡役所(以上江差町)→福山城跡(国史蹟松前氏城跡のうち)→国史跡松前藩主松前家墓所(以上松前町)→函館市内

 二股口古戦場を通った。土方歳三の知られた旧蹟である。山中には塹壕が現存するという。降りることはできなかったが、国道沿いに建つ碧血碑(函館市のものとは別)が見えて感激した。

 京都の新選組旧蹟を浴びるように生活している者として、よくぞこんな遠方までと涙が出そうになった。

 つづいて館城跡。こちらはバスが停車した。学芸員の方のご案内があった。館城は、松前が榎本武揚軍に落とされたあと、松前氏が政府を移した場所。

 南東隅の土塁の屈曲部が残っていてうれしかった。堀跡にもさきほど降った小雨がたまっていて水堀っぽくなっていた。こんなところに関心持つのは、中世都市史にかかわってきた僕ぐらい。

 江差・松前も感激。盛りだくさんすぎて触れる程度だったが、こんなツアーでもないと絶対これない。ありがたくってしょうがなかった。企画してくださった小泉雅弘先生以下、みなさまに御礼申します。

 写真は、江差の旧檜山爾志郡役所にある「土方歳三嘆きの松」。開陽丸座礁をみた土方が叩いたら曲がったそうだ。誰がいいだしたかもわかっているそうで(役場の人らしい)、こうして「史蹟はつくられる」を地で行く場所といえる。こわいことだ。

|

« 函館五稜郭にきました | トップページ | 石清水八幡宮の寺院建物はどこにいったか »