直江兼続の洛中宿舎、本国寺跡と現本圀寺を参拝する
6/25(木)はれ
京都新聞文化センターに出講。
「直江兼続のみた京都」の最終回で、巡検。今回は下京の本国寺跡をあるく。午後1時、阪急四条大宮駅改札集合。
天正14年(1586)6月、初めて上洛した上杉景勝や直江兼続にあてがわれた宿舎が、本国寺(現本圀寺)である。
その境内は、北は五条小路(現松原通)、東は堀川小路(現堀川通)、南は七条坊門小路(現正面通)、西は大宮大路(現大宮通)である。現西本願寺の北半分も、もと本国寺寺内(境内)だったという。
とても広い。洛中屈指である。残念ながら1971年(昭和46)に東郊御陵(山科区)に移動している。その跡地をくまなく歩く。
何も残っていないように思われがちだが、意外なほど残っていた。痕跡があった。
上杉本「洛中洛外図屏風」や『都名所図会』、森田恭二さんの復元案(「中世京都法華『寺内』の存在―六条本国寺を中心として」『ヒストリア』96号、1982年)を片手に、あああそこに本堂が、祖師堂が、五重塔が、と跡地を示してあるく。
どこに景勝や兼続がいたのでしょうねと想像しながら。
二時間あるいた。そのあとは、現在地にも参拝しようということになった。
暑い日だったようで、もうとてもしんどいと3分の1が下京でリタイヤ。
有志で地下鉄に乗り、現山科区御陵の本圀寺へ参拝する。
これまたおもしろかった。下京から移築したもの、新築したものはどれか、なんて想像し、議論しながらとても狭くなった境内を歩きまわった。
やはり加藤清正廟が一番興味をひいた(写真)。神社なのである。神仏混淆の時代の産物である。新規のものではない。
『都名所図会』に描かれる墓石と近似したものが残っていた。それが清正の側室の墓とわかる。
終わってみれば、御陵駅で5時。暑い中、4時間も。ありがとうございました。また聞き上手のみなさんに助けられました。
次回からは「直江兼続のみた洛中洛外―伏見を中心に」と題して、舞台を伏見に移します。伏見城と武家地をまなび、濃密に歩きます。よろしければおこしください。主催は京都新聞文化センターです。
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