新たに見つかった「御土居」片にふれた
4/17(金)はれ
くずし字入門に出講。儒者の京都居住地の位置を読む。
なんで儒者だけで、蘭学者はいないのか。まだ洋書輸入の禁がとかれていないから。
で、新井白石や青木昆陽、前野良沢といった蘭学者の系譜をしゃべった。
新井白石のはなしをしたのに、その師の木下順庵はとりあげなかった。関係ないと思ったし。
ところが、本文中に登場しながら無関心に通り過ぎた「木下平之丞」。
実はこれが木下順庵だった。きづかなかった。恥ずかしいことだ。
終了後、千本七条にむかう。
いま職業安定所(ハローワーク)分室の建物建て替えにさきだって、京都市埋蔵文化財研究所による発掘調査が行われている。
そこで洛中惣構の土塁(いわゆる「御土居」)の基底部が検出されていると、同研究所の丸川義広さんから先日ご連絡をいただいた。
担当の小檜山一良さんも既知なので、うかがいやすい。で、お訪ねした。
実際の幅は約20メートルだが、そのま半分、約10メートル分が断続的に検出されていた。
高さはわずか数センチメートルしか残っていなかったが(写真。指でさししめされた部分)、それでも「御土居」の残存部である。
「よくぞ生きていたなあ」というところ。触れてきた。
直下の弥生時代の地層はたたきしめた感じがあるのに、土塁はそうでもなかった。とてももろかった。
洛中北辺の土塁とは差異があるように思えた。地域性があるのだろう。
翌日、一般公開があると聞いたが、いけなさそうだったので、本日うかがった。ありがたかった。
小桧山さん、ありがとうございました。
あと、拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)に掲載した土塁・堀跡の推定位置にずれがないかも気になったところであった(181ページ、図4)。
ちゃんとハローワークの部分に土塁を示すスクリーントーンをはっていた。見事に一致していた。ほっとした。
伺えなかったが、この遺構はこのあとたぶん消失すると思います。泣いてやってください。
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