あさって上杉景勝京屋敷跡碑除幕式です
4/24(金)はれ
あさって「聚楽城 武家地 上杉景勝屋敷跡」標石の除幕式である。だから京都府庁に記者発表資料をもっていった。話題になっていただければよいが。
昼からくずし字入門。本日は京都の「扶持人儒者」の居所を読んだ。つまり大名家に仕えていた儒学者の一覧である。
全体的に意外と人数の少ないこと、大名屋敷のそばに住んでいないこと(これは武家家臣と異なる)、尾張徳川家に仕えた人が四人もいるのに、同時期(元禄・宝永期)に尾張徳川の京屋敷がみあたらないことなどが話題になった。※
夜、ひさしぶりに木屋町六角下ルの龍馬へ。オーナー赤尾さんの誕生日だったから。意外な宴会に遭遇。珍しく飲んだ。
※後日譚。以上のはなしは、京都府立総合資料館蔵「都の記」(いわゆる「京都覚書」の一種)による。同時期の絵図である、元禄4年(1691)9月刊行の「京大絵図」にも記載がない。
が、帰宅して、元禄4(1691)~10年「京羽二重」巻5の「諸大名御屋敷所付」(新修京都叢書2、P178)をみると、尾張中納言屋敷はちゃんと記載されていた。錦小路室町西入ルである。ちなみにつづく宝永版にも(同書P268)。
なお幕末の元治元年(1864)の絵図(西四辻版)にも、同じ場所に「尾州」の表記がある。
単なる書洩らしと考えるほかない。
| 固定リンク

