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2009.04.30

有栖川宮邸・二条陣屋・慶喜若州屋敷をふらふらと

4/29(水)はれ

 祝日なのだが、京都女子大学に出講。

 文部科学省の指導で、定まった時間数分、必ず講義をしないといけないらしい。だから休日出勤なのだ。休講にすると補講が義務付けられる。学生が迷惑なのではないか。強制はいかんと思う。現場の裁量に任せるべきだと思う。

 本日、名簿が届いていた。登録者は220名をこえていた。たいへん。また歴史地理について、地理学と歴史学のそれぞれの視点の違いを論じた。それをミヤコの惣構(御土居堀)をつかって。まだつづく。

 終了後、上京区へ出た。平安女学院が旧有栖川宮邸の建物を公開している。本日まで。だから無理をした。昨日も京都御苑にきたのだから可能ではあったが、行かなかったから。

 入り口の解説板によると、禁裏御所の建礼門前にあった有栖川宮邸内の建物で、1891年(明治24)3月、現在地に移転されてきたという。

 有栖川宮邸はもと猿が辻そばにあった。それが慶応年間に、建礼門前の御花畑に移った。その時代の建物ということだから、旧邸の建物を解体移築していないかぎり、幕末以後の建物だろう。

 しかもその建礼門前の有栖川宮邸は、維新後、京都裁判所の仮庁舎などに使用されていたということだから、あるいはその時期に新築された可能性もあるのではないか。

 そうすると必ずしも幕末や有栖川宮邸の建物かどうかもうたがわしくなってくる。

 けれどそんな由緒のある建物はほかにはないので、拝観できて幸せだった。500円の入場料は高いとはまったく思わなかった。

 もしかしたら、王政復古直後の、品川弥二郎と有栖川宮諸大夫粟津駿河守義風の議論の場所だったかも知れない、なんて思った(村田峰次郎『品川子爵伝』266~276ページ、1910年)。想像は自由だから。

 そのあと総務のK畑さんの周旋で、国重文小川家住宅(二条陣屋)の参観に出かけた。同屋敷は、近々に解体修理に入られる。3年は参観不能の由。だからうかがった。

 実は参観初めて。近世の大名屋敷にこだわっているのに入ったことがないのは恥であった。ようやく恥をそそいだ。

 すごい屋敷だった。忍者屋敷みたいとかよくいうけれど、そんな問題ではなかった。実にぜいたくな建物群だった。

 退出後、K畑さんに誘われて近くの来迎寺へ。新門辰五郎の家来の供養塔がある。幕末期、このそばに一橋慶喜が住んだ若狭小浜屋敷があった。そのため家来の新門辰五郎一家がちかくの寺に分宿した。来迎寺もそのひとつ。

 徳川記念財団の藤田英昭さんが、若狭小浜屋敷をふかく調べておられる。藤田さんから教えてもらっていたのに、今回はじめて墓参した。

 夜は誘われて、祇園会館に音楽を聴きに行った。仮装をしていったのだが、評判がよかった。今後はこれを私服にしよう。

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