大坂天満八軒家旧蹟であそぶ
3/31(火)はれ
年度末である。かわらず「基礎からまなぶ日本歴史」に出講。
とうとう豊臣秀吉が亡くなった。次回からは関ヶ原合戦前夜である。せっかくだから近々に東山大仏跡と豊国社跡の巡検をすることにした。
「基礎からまなぶ日本歴史」受講の方にはお知らせした。次回はまだまにあいますので、次回またお知らせいたます。
終了後、突然N古屋のF橋A子さん(龍馬・お龍夫妻研究者)がこられて驚いた。これから大阪市内に向かうとうかがったので便乗させてもらうことにした。
寺田屋伊助が提携していた商店に、大坂天満八軒家の堺屋重兵衞がある(『登船独案内』増補、藤屋九兵衞、天保8年(1837)。吉田酔痴編『伏見史話』121ページ、1979年)。
寺田屋伊助の船が伏見南浜を出たあと、大坂天満八軒家に到着し、堺屋重兵衞の店が世話をするということだ。
天保8年(1837)は慶応年間から約30年も前なのでストレートど真ん中ではないが、もし契約がつづいていたなら、坂本龍馬もこのなかにいたことになる。
はずかしながらこんな大事なことを最近まで知らなかった。先週末、京都でたまたまお目にかかった旧知の皆川真理子さん(東京龍馬会)からまなんだのだ。
大坂天満は幼少のころより縁のふかいところだが、そういう視点で歩いたことがなかったので、あるいてみたくなった。そんなときのF橋さんの来訪である。まさに「渡りに船」であった。
さきに生国魂神社(大阪市天王寺区生玉町)に参拝。境内に堺屋重兵衞や新撰組ゆかりの京屋忠兵衞の銘のある燈篭が現存すると聞いたから。
拝殿の北側に2基あった。「寛保三癸亥六月吉日」の銘のある「願主八軒家旅籠中」の「御神燈」である。
寛保3年(1743)は慶応年間より約120年も前である。この「堺屋重兵衞」が寺田屋伊助と提携していた堺屋重兵衞の先祖であるかどうか注意すべきであるが、願主が八軒家旅籠中とある以上、可能性は高いと思われる。けっこう感激した。
そのあと天満にうつり、八軒家船着き跡の標石や当時の段差を楽しむ(京阪電車「天満橋」駅南側一帯)。
たまたま大川(淀川)に近寄ると、「桜ノ宮(大川)お花見遊覧船」が実施されているのを知った。乗ったことがなかったので、乗せてもらった。ほかにお客はなく、完全に貸し切り状態だった。
龍馬や新撰組、中山忠光の往来を想像して楽しかった(寒かったことと、船頭さんたちの過剰サービスに要注意)。
旧大阪砲兵工廠の舟入をみることができたのは、望外の幸せだった。
降船ののちは京阪電車で京都へもどり、いつもの木屋町六角下ル「龍馬」で夕食をとる。「龍馬」はこちら→http://kyoto-ryoma.jp/blog/index.php
K都K立博物館のM川T一先生とT田敏Kさんがおられた。
滞在中、突然三条ラジオカフェから来月分の収録がなされていないとご連絡があり、急きょ店主A尾H章さんとかけつけ、収録する。
濃密で、いろいろい思うことが多い日だった。
明日から、新年度。またどうぞよろしくお願いいたします。
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