お龍(鞆)の新碑銘を掲示します
3/29(日)記事のつづきです。新碑銘の全文を掲示しておきます。副碑原文には総ルビをふりましたが、こちらでは省いています。お許しください。
(表面)此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡
(側面)此付近 京都府知事 中井弘 幕末期寓居跡
(裏面)二〇〇九年三月 特定非営利活動法人京都龍馬会建之
(副碑文)
こののち一家は離散し、お龍(鞆)は単身七条新地の扇岩なる店に入ります。母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の河原屋五兵衛(五郎兵衛)隠居所の土佐亡命志士の居所に住み込みで働きました。その縁で龍馬とお龍(鞆)は出会うことになります。木屋町の住居は、その直前まで住んでいた地として無視できません。
というのも、龍馬の書翰に記載されたお龍(鞆)の個性を知るエピソードに、妹光枝が悪い輩にだまされて大坂の遊郭に連れて行かれたが、彼女が単身乗り込み、ついに連れ戻すというものがあります。それが木屋町時代のことです。正確な位置は不明ですが、龍馬が「まことにおもしろき女」と愛したお龍(鞆)のゆかりの地として、ここ木屋町通に建碑するものです。
なお龍馬やその終焉地の主人近江屋新助とも交流のあった、滋賀県知事や京都府知事を歴任する中井弘も、中井弘蔵や田中幸助と名乗った幕末当時、木屋町の近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。あわせて顕彰します。
歴史地理研究者 中村武生
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