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2009.02.28

【講座】京都の江戸時代を歩く

拙著『京都の江戸時代をあるく』に準じた講座を大阪市で行います。

よろしければおこしください。

NHK文化センター大阪教室「京都の江戸時代を歩く」

講師:中村武生(歴史地理研究者)

 京都は平安時代以来の都市だと思っておられませんか。応仁の乱で壊滅した京都は、豊臣秀吉によって現在の形がつくられました。知られざる、現在の京都の誕生秘話を語ります。

カリキュラム:

4月13日(月) ①「先の大戦」は応仁の乱!?-大事にされない京都の江戸時代((教室)
5月11日(月) ②秀吉の京都の城「聚楽城」を歩く(現地)
6月8日(月)  ③直江兼続はどこに住んでいた?-聚楽城の大名屋敷跡(現地)
7月13日(月) ④ミヤコが囲まれたー京都の城壁・環濠「御土居堀」(教室)
8月10日(月) ⑤鷹峯・大宮・紫竹の御土居堀ー現存最良部分(現地)
9月14日(月) ⑥8キロメートルにわたる宗教ゾーンー寺町(現地)

時間:13時~14時30分(現地は13時~15時)

会場:NHK文化センター大阪教室(守口教室ではありません)詳しくは以下に↓

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_487061.html

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【案内】基礎からまなぶ日本歴史3月日程

 中村武生が出講している、「基礎からまなぶ日本歴史」のスケジュールです。    

 よくお問い合わせをいただくので、掲示いたします。  

 今後の予定: 3/3(火) 12時30分~13時40分   

         3/10(火) 12時30分~13時40分

         3/24(火)12時30分~13時40分

                   3/31(火)12時30分~13時40分

       (4月以後は、3月上旬に決定いたします)  

 会場:キャンパスプラザ京都(下京区西洞院塩小路下ル東側)5階の第3・4演習室 http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=585&frmCd=14-3-0-0-0

 参加費: 500円  

 ※予約不要です。直接おこしください。  

 ※3/17(火)は現地見学の予定です(場所未定)。

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2009.02.27

二条城と京都の城のはなしをした

2/26(木)はれ

 京都新聞文化センターに出講。いつも笑顔をみせる吉田係長が不在だった。珍しい。聞いたらやっぱり病欠だった。元気出してください。

 二条城と京都の城のはなしをする。京都ではないのだけれど、やっぱり伏見城のはなしもした。

 最近、帰宅がおそくて疲れていたので、さっさと帰る。

 たまっている原稿が多くある。ながく続いていた室町通の連載、ついに終える。最後の原稿を提出した。ようこんなにつづけたなあ。とにかく感心。

 明日には近江龍馬会の講演レジュメを出さないといかんし、また講談社メルマガの締め切りもくる。

 二月ももう終わりやなあ。信じられん。こないだ、やっと春休みに入ったと思ったのに。もう半分終わろうとしている。

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2009.02.26

家康が二条城で征夷大将軍になったという看板がなくなっていた

2/25(水)午前中あめ午後くもりのちはれ

 午後から二条城へ。町田市の朝日アウトドアの御一行をご案内。

 おどろいたことがあった。徳川家康は二条城で征夷大将軍になった、と記した解説板がなくなっていた。団体さん入り口に少し前まであったのだ。「まちがい指摘」の場所だったから、よく覚えている。

 いろんなところで書いたりしゃべってきたからなあ。伏見城です、二条城ではありませんって。どなたかが指摘されたのだろうか。

 それでもまだまだある。二条城の誤り。「ごまかし」が驚くほど散見される。すごいことだ。

 つづいて北野社へ。惣構(そうがまえ)の土塁(御土居)の解説をいたす。

 今日は梅花祭。なんという偶然。残念ながら僕らがいった時間には、もう舞妓芸妓はいなかった。D文字のおかあさんにはばったり会った。例年のごとく、北野をどりに誘っていただいた。

 これでお別れのはずだったのだが、依頼がありバスのなかで拙著にサインをしていたら、鹿苑寺に運ばれていた。なんの用意もしていなかったが、こちらの案内もした。

 二条木屋町の「がんこ」が夕食地。御誘いいただいたが、こちらはお断りし、木屋町六角の龍馬へ行く。予期せず原稿をかくはめになる。しようがない。

 まもなく日野市の新選組資料館の藤井和夫さんがおこし。歓談する。

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2009.02.25

【講演】坂本龍馬と近江

 きたる2月28日(土)午後2時から、表題の講演をいたします。

 「坂本龍馬と近江」、一見関係がないようにみえる。それをどう話題にするのか。中村武生の力量が問われる。困った。さてどうなるか。

「近江龍馬会」、発足記念講演会・交流会のご案内

<記念講演>
「坂本龍馬と近江」
講師:中村武生
 歴史地理研究者 同志社大学嘱託講師

日時:2009年(平成21)2月28日(土) 午後2時から 3時30分ぐらい

場所:明日都浜大津 4F 大ホール
滋賀県大津市浜大津4-1-1
http://e-asuto.co.jp/index.html
京阪電車「浜大津」駅下車すぐ

参加費:¥1,000
定員150名 当日受付
 ※記念講演のみご参加の方は直接会場へお越し下さい。

<交流会>
場所:ホテルピアザびわ湖 6F クリスタルルーム
http://www.piazza-omi.jp/mappage.html
大津市におの浜1-1-20]

参加費:\10,000(記念講演参加費含む)
至急、郵便振替にて参加費のご送金賜りますようお願い申し上げます。

なお当日は振替用紙の入金控えをお持ち下さい。
00980-4-170563 近江龍馬会

記念講演終了後、交流会場までマイクロバスによる送迎があります。

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伏見城公開を論じてラジオ収録をして友人の仕事を羨望する

2/24(火)あめのちくもり

 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 冒頭まず、先週の伏見城跡(明治天皇陵)公開について、濃厚なコメントをする。

 本講座にかぎらないが、僕は必ず出講すると最近の歴史情報を話題にし、それへコメントをしている。歴史は昔ばなしかもしれないが、新聞などに載るネタは「現在」なのだ。それを論じないと、いまやるかいがない。

 本題もようやく、伏見城。

 天正19年(1591)は京都の歴史にとって重大な変化の年だったが、豊臣政権、いや個人秀吉にとっても、忘れがたい年だったはずだ。

 実弟秀長、千利休が死んだ。そしてなによりも鶴松の夭折。

 秀次への家督相続がこの年末。鶴松の死が影響しているに相違ない。これにより秀吉は関白と聚楽城を秀次に譲渡し、みずからは伏見へうつる、というはなし。

 聚楽城と伏見城のその後は、まだまだこれから。

 終了後、特定非営利活動法人(NPO法人)京都歴史地理同考会の幹部会議。

 つぎの建碑をいつにするか。お金は足りるか、などを議論。建立地は決まったのだ。NHK大河ドラマ「天地人」ゆかりの地、京都(洛中)の上杉景勝邸跡、および直江兼続邸跡推定地だ。が、お金が足りなかった。

 どうか寄付をお願いします。大口でなくていいです。まずは千円、いや500円からどうですか。「私がお金を出したから建てられた」といえますよ。

 その後、寺町三条へ出て、三条ラジオカフェ(FM79.7)に入る。ラジオ収録である。「龍馬の時間」と「中村武生の京都歴史探偵」である。3月分をまとめて録った。 

 「龍馬の時間」(毎週水曜日午後1時30分~3分間)は今回は俳優のしげるさんがゲストで、楽をさせてもらった。あんまりしゃべらなくても済んだ。

 「中村武生の京都歴史探偵」は、ひとり語りなので、そうはいかん。

 伏見城跡公開のこと、NPO山科醍醐こどものひろばのシンポジウムのこと(3月8日です)、久住真也さんから恵贈された高著『幕末の将軍』(講談社選書メチエ)のことなど語る。

「中村武生の京都歴史探偵」は、三条ラジオカフェ(FM79.7)毎週木曜日午前10時30分から3分の番組です。

 いまだ「聴いている」という人に会ったことがないので、よろしくお願いいたします。聴いてください。

 その後、河原町三条に出て、来年のための、ある「龍馬プロジェクト」を議論。

 つづいて河原町パルの「ジュンク堂書店」7階の人文コーナーへ行き、ダメージをうける。いつもここにくると、多数の新刊・既刊に圧倒される。「友人が論文集出していた、やられたー」とか、「こんな本出てたのか、知らんかったー、また金がいるー」とか。

 自分の不勉強を指摘される場所なのだ。つらい。

 木屋町六角の「龍馬」に立ち寄って、うっぷんを晴らして、帰宅。おいしいご飯をいただく。まもなく疲れ果てる。倒れるように寝る。

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2009.02.23

坂本龍馬づくしだった

2/22(日)あめ

 坂本龍馬の「ある」表をつくっている。おもしろい。やっと文久3年(1863)まできた。そのうち公表します。出版物で。

 午後5時、京都龍馬会の理事会に出席。なぜか僕は「監事」なのだ。

 もうひとりの監事、わざわざ堺市からこられたH沢さんから、よいはなしをたくさん賜った。元気をいただいた。うかがったかいがあった。

 夜は自宅で夕食。ハンバーグをつくってもらった。はじめてだ。たいへんおいしかった。ひとり2個だった。もっと食べたかった。

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2009.02.22

伏見城跡、公開をうけての現地見学会

2/21(土)くもりのちはれ

 京都おこしやす大学に出講。今回も大河「天地人」直江兼続にからめて伏見城・城下町跡をあるく。

 とにかくタイムリー。昨日午後、伏見城跡が16学会の研究者14名に公開された(なぜ16人でないのか)。朝刊各紙にそれが載った。http://kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009022000185&genre=M2&area=K00

 豊臣期都市論も専門とする立場から、感激このうえない。ついつい加熱した解説となった(であろう)。

 次回は3/15(日)です。まだ空きがあるようです。詳細はこちらhttp://kyoto-okoshiyasu.jp/plan/plan_2/203041.html

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2009.02.20

伏見城を攻めて御土居薮支配を考える

2/19(木)はれ夜あめ

 名古屋へ。栄中日文化センターに出講。

 まず「日本の城と合戦」。慶長5年(1600)7月の伏見城攻めを論じる。まもなく伏見城跡である明治天皇桃山御陵が研究者に公開される。なんて、タイムリー。

 2時間目は京都学講座。今回は京都町奉行の誕生。角倉与一の「御土居薮支配」にからめてお話しする。

 終了後、へろへろに。身をけずってお金儲けしてるって、感じ。

 夜、わりと大雨。ぬれて帰宅する。

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2009.02.18

【シンポ】山科の地域活性化シンポジウム

 山科(京都市山科区)の明日を考えるシンポジウムが行われます。

 僕もパネラーで参加します。よろしければおこしください。当日は、山科の、できたばかりのよみやすい冊子を差し上げます。無料です。 

地域活性化シンポジウム
日時:2009年3月8日(日)午後1:30~3:30
場所:山科アスニー 実習室(JR・地下鉄山科駅下車、南へ徒歩5分ていど)

ご参加頂く方:山科醍醐に興味・関心を御持ちの方ならどなたでも
参加費:無料(予約不要)

 この1年間の、山科子どもNPO実行委員会の活動を振り返り、どのような成果があったのかを検証すると共に、これからの私たちは、地域でどういう動きを創れるのか、創るべきかを話し合います。

 御来場の皆様には、新たに完成した、地域紹介のパンフレットを御持ち帰り頂きます。

 コーディネーター 幸重 忠孝(社会福祉士・スクールソーシャルワーカー)
 パネラー     中村 武生(歴史地理研究者、同志社大学嘱託講師)
          中澤 博子(民生児童委員)
          山元 恵 (ノーバディーズパーフェクトファシリテーター・保育士)
          松原 弥生(高校生・町たんけんボランティア)
          朱 まり子(NPO法人山科醍醐こどものひろば理事長)

【コーディネーター・パネラーのプロフィール】(敬称略)
幸重忠孝(ゆきしげ・ただたか 社会福祉士・スクールソーシャルワーカー)

 1973年岡山出身。

 学生時代から山科で生活をし、NPO法人山科醍醐こどものひろばでユースリーダー、ボランティアコーディネーターとして活動。

 大学卒業後、児童養護施設の指導員、大学教員を経て、現在は小学校でスクールソーシャルワーカーとして勤務している。

 学校現場で課題のある子どもや家庭と関わる中で地域に家庭や学校と違う第三の居場所、親や先生と違う第三のおとなの存在の必要性を感じている。

中村武生(なかむら・たけお 歴史地理研究者、同志社大学嘱託講師)
 1967年(昭和42)、大阪府出身。
 佛教大学大学院文学研究科修士課程(日本史学専攻)修了。
 山科との縁は、1993年~1998年、修養団体一燈園(四宮柳山町)につとめ、高校教員や創始者西田天香の調査・研究に従事したことにはじまる。
 在職中に、西野左義長町での山科本願寺・寺内町遺跡破壊問題に直面し、以後「山科本願寺・寺内町を考える市民の会」の運営にかかわる。
 1998年からフリーの研究者となる。
 市民への歴史啓発の一環として、路傍に石碑を建てることを推進中。
 昨年は「是より洛中」、「小松帯刀寓居参考地」、「坂本龍馬妻おりょう実家跡」、「伏見薩摩屋敷跡」などの建立にかかわった。
 現在、京都女子大学・天理大学などの非常勤講師、特定非営利活動法人京都歴史地理同考会理事長。
 単著に『御土居堀ものがたり』、『中村武生の京都検定日めくりドリル500問』(以上、京都新聞出版センター)、『京都の江戸時代をあるく―秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』(文理閣)がある。

中澤博子(なかざわ・ひろこ 安朱学区主任児童委員・社会福祉協議会副会長)。
 平成6年から足掛け15年、安朱学区主任児童委員として地域の0歳~18歳の親子を支援。
 個別支援の傍ら平成14年よりエンゼル・サポート・サロン事業を学区社協と共催で実施。
 子育て講座た他団体の協力を得て幼児・小学生を対象にしたプログラムや山科区で初めて中学校区で思春期連続交差を展開。
 平成16年よりさらに0歳~就園・就学前の親子の子育て相談を兼ねたtea capサロン事業実施。
 現在年10回の継続事業に成長。
 2人の孫娘のばあばとして毎日が真に小春日和の日々を送りながら、この地域で子育てしたい・してよかったと思える地域づくりを目ざして活動継続中。

山元恵(やまもと・めぐみ ノーバディーズパーフェクトファシリテーター・保育士)
 両親が共働きのため保育園で育てられ、同じように働く親を持つ子どもに接したいと保育士になる。
 子どもが幼稚園に行くまでの遊び場所として何もしないサークル「ピーターパン」を立ち上げ、より親子で楽しむ子育てサークル「あそぼっぽ」に参加、現在は代表を務める。
 山科区で子育ての情報を共有したいという思いで「山科子育てサークル連絡会」に関わる。
 3年前から元の職場に復帰。ノーバディーズ・パーフェクトのファシリテーター。

松原 弥生(まつばら みつき 市立高校1年・町たんけんボランティア)
  平成5年に生まれ、幼い頃から『観劇』『わんぱくクラブ』『町たんけん』などを中心に、こどものひろばの活動に参加していた。
 高校1年の春からは『町たんけん』のボランティアスタッフとして活動している。

朱 まり子(しゅ・まりこ、NPO法人山科醍醐こどものひろば理事長)
 1952年、山科本願寺南殿跡 (国の史跡)近くで生まれ育ち、保育園から高校まで徒歩で通学する。
 ホタルの舞う、豊かなこの地で過ごした子ども時代を思い起こし、年齢層に拡がりを持つ地域ネットワークを構築することでの地域再生を目標に活動をしている。
「町たんけん」「地域紹介パンフレットの作成」「げんきスポット0-3」(乳幼児と親の施設)を中心に、「NPO法人山科醍醐こどものひろば」で活動している。

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2009.02.17

尊卑分脈と吾妻鏡が各105円。

2/16(月)

 いつものように、ブックオフ某店にいく。

 国史大系『尊卑分脈』3巻と4巻があった。おどろいた。1冊105円だった。3巻の定価は7,200円である。とてもいかん。

 実はもっていなかった。3巻は源氏系図である。

 先日、山田邦和博士と六孫王神社の由緒に議論したとき、『尊卑分脈』に奇異なデータがあることを教えていただいた。そのうち図書館にみに行こうとおもっていた。それが105円でやってきたわけだ。呼ばれたにちがいない。

 『全訳吾妻鏡』1巻、2巻、4巻も、それぞれ1冊105円だった。とんでもないことだ。

 とにかく全部買い占めた。すでに持っているものもあったが、そんなことは知ったことではない。どうとでもなる。

 ブックオフ通いはやめられない。わかっていただけると思う。

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2009.02.11

直江兼続と上杉景勝の京都屋敷への建碑、また相談

2/10(火)はれ

 基礎からまなぶ日本歴史に出講。また「直江兼続のみた伏見」から入る。ネタあんのか、という聴講者のつっこみをかわし、継続。

 本日は「秀吉の京都改造」のつづき。京中やしきがえ、御土居堀の構築のはなしなど。次回は鶴松の死、秀頼の誕生、秀次の滅亡、聚楽城の解体だな。

 終了後、たまたまNPOメンバーと喫茶。直江兼続と上杉景勝の京都邸(屋敷)跡への建碑のこと、相談。今週末、また一軒、土地所有者へお願いにあがる予定。

 さて喫茶店にこもって原稿執筆、と思っていたら、京都龍馬会のA尾さんから呼び出しを受け、木屋町六角の店舗に行く。また某所の建碑につき、ご相談を受ける。

 ひさしぶりの来店のため、おもわず長居してしまう。

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2009.02.09

直江兼続のみた伏見をあるく

2/8(日)はれ

 京都おこしやす大学に出講。「直江兼続のみた伏見をあるく」みたいな講座・巡検である。

 上越や会津若松・米沢など、北陸・東北地方を、直江兼続の「自宅」だと思っておられる方が多い。

 忘れてはならない。直江兼続や上杉景勝は豊臣大名なのだ。豊臣大名はみな、洛中の聚楽城や、紀伊郡の伏見城の城下町に強制的に住まわされていた。

 江戸時代の参勤交代みたいに、1年おきに領地と政権の拠点を行ききしていたわけではない。原則、聚楽もしくは伏見に、無期限の居住義務があった。

 すなわち直江兼続や上杉景勝の本邸は京都や伏見だったのだ。

 藤森神社の参集殿でまず語る。ちなみに、藤森神社も伏見大名屋敷地区跡である。

 で、午後から巡検へ。伏見街道から南下する。

 直江兼続や上杉景勝が構築を担当した、惣構(そうがまえ)の土塁・堀の跡をあるき、少しずつ町の中心部へ進む。

 直江兼続や上杉景勝の伏見屋敷はどこにあったか。伏見区に「景勝町」の地名があるため、ここに景勝や正妻が住んでいたと信じられている。

 そのように書いた観光ガイドブックやサイト・ブログをちょくちょくみる(たとえば『天地人直江兼続』メディアポーイ、2008年12月、116ページ)。

 恥ずかしながら、僕もJR西日本の冊子『京都散策』冬号にそのように書いた(JR西日本の各駅にいま無料でおいてあります。京都駅とか山科駅とか六地蔵駅とか)。

 が、おそらく違うだろう。ではどこか。

 結論はなかなか出せない。だからいまいえることを述べた。

 2/21(土)、3/15(日)にもありますから、よかったら来てください(景勝町には行きません)。

↓詳しくはこちらへ。

http://kyoto-okoshiyasu.jp/plan/plan_2/203041.html

注意【伏見は「京都」ではありません】伏見を「京都の伏見」と書くものを多くみるが、ちがいます。伏見は「京都」(平安京、平安城)ではありません。「京都」から約8キロメートル離れた別の集落です。ながく紀伊郡伏見町、あるいは紀伊郡堀内村などでした。京都市に含まれたのは、平安遷都より1,137年もたった、1931年(昭和6)4月1日以後です。まだ70年余しかたっていません。前近代の歴史をかたるとき、伏見を「京都」だと認識すると、さまざまな誤解をおこします)。

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2009.02.08

西本願寺時代の新選組を論じてあわてて帰京する

2/7(土)はれ

 名古屋へ。栄中日文化センターに出講。「新選組、土方歳三と沖田総司の手紙をよむ」その5。慶応2年(1866)のものを読む。

 からみで松本良順の回想録を読んで、意外とイメージされていない、西本願寺屋敷時代の新選組にこだわってみた。

 大石鍬次郎や宮川信吉の手紙も読んだ。次回、最終回。慶応3年から4年まで行く予定。

 受講者と懇親しているときに、緊急督促をうけ、あわてて帰京する。どこにもよらずに帰宅し、すぐファックスを送った。たいへんごめいわくをおかけしました。申し訳ありません。

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2009.02.07

直江兼続の京都屋敷跡の建碑を話し合う

2/6(金)はれ

 くずし字入門に出講。ようやく伏見土佐屋敷史料がおわった。次回はもっときれいな文字にもどることにした。大名屋敷ネタは変えずに。

 終了後、監事のKさんとつぎの建碑のことでお話し合い。既報だが、つぎの建碑予定地は、本年NHK大河ドラマ「天地人」主人公、直江兼続の京都屋敷伝承地である。

 「池田屋事件への道」の検討、きのうより継続。興味深い。

 夜、物置が安いと知ったので買いに行ったが、諸条件があわなかった。残念。

 

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2009.02.06

池田屋事件への道

2/5(木)はれ

 昼から出かけて、ある論文を読んだ。メモをとりながら読んだ。珍しい。よほど思いれがあるのか。あるのだ。

 久しぶりにまじめに読書をした。閉店まで寺町六角「スマート」にいた。見えにくくなっていたものが見えてきた。もう少しだ。

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2009.02.05

素敵な信長と秀吉をはなして上七軒でおばけを体感

2/4(水)はれ

 基礎から学ぶ!日本歴史に出講。

 昨日は雨なのに、本日は晴れ。昨年なら逆だった。巡検の日が晴れることが圧倒的に多かった。今年は神通力がきかない。

 本日は「僕の大好きな信長と秀吉」、ということで、秀吉の妻宛信長書翰と、毛利輝元上洛時の家臣日記(「天正記」)の天正16年(1588)8月19日条を読む。

 本題はついに「秀吉の京都改造」。専門中専門である。大急ぎでまとめたが、来週もつづけるつもり。

 終了後、既知のイベント屋さんH野さんと打ち合わせ。京都・大阪・兵庫をまたいだイベント企画に乗る。さて実現するか。

 夜、上七軒のお茶屋さん「大文字」に出講。おばけのイベントの日。それにあわせて、また歴史こばなし。今回は何をしよう。悩んだ結果、「江戸時代の京都観光」というのをした。

 全然受けないだろうと思っていたら、めっちゃ受けた。2004年からこの仕事をさしていただいていると思うが、いままでで一番うけた。うれしいけど、読みが浅い。反省だ。

 今年のおばけは「オバマ」だった。おもしろかった。おかあさん、すごい。

 帰りに、また木屋町六角の龍馬に寄り、ある仕事のはなしをして終電で帰った。書き仕事が進まない。申し訳ありません。

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2009.02.04

山崎合戦の舞台地をあるいた

2/3(火)あめ

 「基礎からまなぶ日本歴史」、ひさしぶりの巡検。

 山崎合戦の舞台をあるいた。

  午後1時、JR山崎駅に集合。雨なのに、わりとたくさんの人。雨かあ、今年は神通力がきかない。

 西国街道を進む。東黒門跡(勃発地)をとおり、久我畷へ折れ、主戦場の小泉川と河原をのぞく。ここに石碑がないのは信じられない。

 途中久我畷をはなれ、北上。光秀布陣の「御坊塚」(『太閤記』)とされる境野古墳群にのぼり、合戦場をのぞむ。みえない。

 光秀の本拠、勝龍寺城跡でトイレ休憩をもくろんだが、失敗。火曜日は定休日だった。よほどこの館とは相性があわないようだ。

 神足神社にのこる、勝龍寺城の立派な惣構(そうがまえ)の土塁・堀をながめて、午後3時半、JR長岡京駅に到着。

 京都駅にもどって有志と喫茶。おいしい紅茶をたくさん飲む。満喫。

 帰宅して、また原稿にむかう。最近けっこう仕事をしている。

 が、どれも進まない。勉強不足、はなはだしい。書き出すととまる。書こうと思っている内容が、理解できていないことにきづく。なやむ。

夕食、巻きずしだの、いわしだの、お吸い物だの、節分行事のごちそうが出る。ありがたいことだと、かなり思った。

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2009.02.02

鷹峯「有明」の最後に立ち会えた

1/31(土)夕方から京都雨にきづく

 名古屋の栄中日文化センターに出講。「新選組、土方歳三と沖田総司の手紙をよむ」の4回目。

 慶応元年(1865)のものばかり読む。

 長州征討のはなしばっかり。土方歳三の手紙に色濃く出る、現実政治のなかの新選組の位置。政治には関心がなく、ただ組織「新選組」をつくることにしか関心がないような『燃えよ剣』『新選組血風録』イメージは事実ではない、という。

 ついでに読んだ井上源三郎の書翰もしかり。みな現実政治のなかで生きている。きづいてみればあたりまえのことだった。

 また受講者と懇親会をして、京都へもどる。雨がふっていた。驚いた。朝は降っていなかった。名古屋もさっき降っていなかった。

 木屋町六角下ルの龍馬に立ち寄り、ある「龍馬表(ひょう)」をつくってみせた。まだ途中だけれど。いつかお披露目できるだろう。

 夜、北区鷹峯旧土居町の「有明」(「オアシス」)に行く。本日が最後の日だから。ミヤコの惣構(そうがまえ)の北西角をのこすお店。

 このたび京都市に譲渡されることになった。それゆえの閉店。

 堀から土塁をながめる。ビールを飲みながら。これがもう最後。たくさん、たくさんの人だった。

 20年を回顧する。年をとった。いろいろありがとうございました。

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