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2009.01.30

御土居堀をあるいて龍馬にたどりつく

1/29(木)はれ

 ひさしぶりの御土居堀を考える講座に出講。巡検である。

 午後3時に北大路駅集合。市バス37番に乗って加茂川中学前で降りる。御土居堀の北東角である。

 ここから西北角にむかってあるく。1929年(昭和4)の3,000分の1と、最近の2,500分の1都市計画図をもってあるく。

 土塁や堀が残っているところ4か所は当然なのだが、それ以外に残っているところを案内する。地割である。

 土塁や堀を失っても、道路や住宅の方向が、京都ならではの正南北ではなく、斜めをむいている。これだ。豊臣期以来の400年の痕跡だ。これを指定文化財にするべき価値がある、とさけぶ。

 大宮交通公園の閉園にぎりぎりまにあい、大宮土居町の最高部分をのぞいて、約束通り夕方5時半に北西隅の「有明」に到着。

 さっそく夕食会。焼き肉。「有明」、ずっとお世話になりました。1990年に御土居堀問題にかかわってすぐに見学によせてもらいました。ちょうど20年です。

 食事もしないのにどろどろの靴をはいて室内に入れてもらい、店をよごしました。すいません。なんにもおこられませんでした。なごりを惜しむ。

 1月31日(土)の深夜25時(2月1日午前1時)までやっておられます。

 終了後、みなさんがバスをまつなか、次の予定があったのでタクシーに乗る。木屋町六角下ルの龍馬へ。お目にかかりたかった一団がおこしと聞いていたから。

 来年のこと、思いのたけをぶつける。少しでもよい「龍馬」をと願いをこめて。

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2009.01.29

源家康ではなく豊臣家康だろうといった

1/27(火)はれ

 あたたかい日だった。

 基礎からまなぶ日本歴史、本日は聚楽行幸。

 「聚楽行幸記」にある、秀吉への忠誠をちかう起請文の有力大名の署名に「源家康(みなもと・の・いえやす)」とあるのは(桑田忠親校注『太閤史料集』114ページ、新人物往来社、1965年)、後世の改変をうけた可能性がある、正しくは「豊臣家康」(とよとみ・の・いえやす)だろう、とのべた。

 前田利家や宇喜多秀家が「豊臣利家」(とよとみ・の・としいえ)、「豊臣秀家」(とよとみ・の・ひでいえ)であるし、子息徳川秀忠が「豊臣秀忠」(とよとみ・の・ひでただ)として叙任した文書が宮内庁書陵部に蔵されている。

 『徳川実紀』正保2(1645)58日条に、徳川家光が朝廷に家康の叙任状を再発行させた記事がある。このとき改変された可能性が下村效氏によって指摘されている(『日本中世の法と経済』、続群書類従完成会、1998年)。

 教室内で異議が論じられたが、慶長8年(1603)の征夷大将軍宣下での「源家康」(みなもと・の・いえやす)はいいが、秀吉死去の慶長3年以前は「豊臣家康」(とよとみ・の・いえやす)だろう。来週もこのはなしをしよう。

 終了後、特定非営利活動法人「歴史地理同考会」監事Kさん、総務K畑さんと洛中某所の建碑について、地権者へお願いにあがる。好感触だった。喜ぶ。

 ちなみにその場所は、本年NHK大河ドラマ「天地人」主人公、直江兼続の京都屋敷伝承地である。

 夜、大阪・梅田の映画館で「少年メリケンサック」の試写会に参加。宮崎あおいさんの主演作品である。妹からの誘いである。宮崎あおいさんの舞台あいさつを期待したが、なかった。

 宮藤官九郎さん監督作品だが、宮崎あおいファン以外が喜べる映画のようには思えなかった。

 妹は急な仕事で試写会のあと、急いで立ち去ったので、夕食もせず帰京する。木屋町六角下ルの龍馬にすこし立ち寄る。

 数年前に話題となって以来、ブックオフでみつけたら買おうと思っていたベン・ヒルズ著、藤田真利子訳『完訳/プリンセス・マサコ』(第三書館、2007年)をみつけたので、手に入れて読んだ。

 予想通りおもしろかったので、あいた時間をつかって2日で読み切った。すべてが事実ではないだろうが、日本人ではきづけない視点や情報が多く、学ぶこと大だった。

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2009.01.26

御土居堀を考える講座と新年会

【巡検】ひさしぶりの「御土居堀を考える講座」

 ひさしぶりの「御土居堀を考える講座」を行います。終了後は、懇親会(新年会)を行います。ふるってご参加ください。

 実施日:2009年1月29日(木)

 集合場所・時間:午後3時、京都地下鉄「北大路」駅南改札

 参加費:500円(交通費は自弁ください)

 コース:市バスで「加茂川中学校前」に移動し、そこから北辺の御土居堀跡をあるく。

 解散予定:午後5時すぎ、「有明」(北区鷹峯旧土居町2番地)

 懇親会会場:「有明」(北区鷹峯旧土居町2番地)※御土居堀をのこすお店でしたが、今月末で閉店します。お別れイベントです。

 懇親会参加費:3,000円 ※懇親会は予約制です。ご希望の方は、1/28(水)午前9時までに中村武生までメールでお申し出ください。

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2009.01.23

京都女子大学本年度最後の日

1/21(水)

 京都女子大学の試験の日。今年もいろいろあったなあ。感慨ぶかい。楽しませていただきました。ありがとう、学生のみなさん。

 午後からくずし字入門。まだまだ伏見土佐屋敷の解体史料。今回はくせのきついやつ。たけた人たちも悩む、悩む。でもけっこうおもしろい内容だった。

 夜、急なことで木屋町六角「龍馬」にゆく。2010年の「龍馬」に悩む。楽しむ。いいことばかりだ。

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2009.01.22

木屋町三条でガスもれ

Dcf_1494 1/20(火)はれ

 基礎からまなぶ日本歴史に出講。ようやく聚楽城に入る。

 それでも、忘れてはいけない、秀吉の最初の洛中城郭、妙顕寺跡に築いたものに力をいれる。

 いわゆる「妙顕寺城」。そんな名前は同時代にはないのだけれど。

 終了後、有志とお茶を飲んで、用事で木屋町三条に出る。すると、周囲にロープがはられ、立ち入り禁止になっていた。ガス漏れらしい。

 近くには坂本龍馬の宿舎として知られる酢屋中川嘉兵衞家があるぞ。あぶない。

 おおごとだった。

 結局、何もなかった。よかった。

 写真は木屋町三条下ルから北を撮影したもの。

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2009.01.21

次の日も新聞に紹介記事が載った

 『京都新聞』のたいそうな記事の翌日(1/18(日))、『赤旗』にも、拙著『京都の江戸時代をあるく』の紹介記事が載った。ありがたいことだ。

 僕の写真も載った。背景が坂本龍馬の肖像画や写真で、購読者は「どういうところで撮影してんねん」と思ったはず。

 なんのことはない。いつもの木屋町六角下ルの「龍馬」で取材をうけたから。僕の自室ではない。

 左下に壁に貼られたサイン色紙がうつっている。まったく偶然ですが、それは僕の文字です。

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2009.01.20

山科は京都とちがうと叫ぶ

1/18(日)くもりのち雨

 山科醍醐こどものひろばに出講。また小学生に歴史をかたる修行のお時間。

 山科は京都とちがうで、「山科」やで。山科の西にある山を「東山」いうたらあかん、「西野山」といおう。東山は京都側からの名前や、山科の君らは「西野山」です、山科区西野山という地名はそういう意味や、という。わかってもらえたか。

 稲荷山を山科側から登山して、伏見稲荷社に参拝する。

 大石内蔵助旧蹟の道標とか、神奈備のこととか話す。寒かったので、気遣いしてあまり伝えられず。むずかしいなあ。荷田春満のことや風土記の記載のこととか、全然伝えられなかった。何のための出講か。

 夕方、寺子屋龍馬に出講。「小松帯刀と龍馬」。雨の中、ご参加ありがとうございました。つたない話を聞いてくださりました。吉井幸輔(友実)と龍馬の関係のふかさを訴えた。2010年の大河「龍馬伝」で、ぜひ吉井幸輔に大きな役割を与えてほしい。

 「龍馬伝」を意識して生きている。その思いも伝えたつもり。

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2009.01.17

京都新聞に大きく載った

 今朝起きて、京都新聞をポストから取り入れて、1面目みてびっくり。

 1面目に顔写真が載っているがな。「きょうの顔」やって。

 中身見て、もっとびっくり。とても大きな記事。

 むかし、平安京探偵団の山田ちさ子さんと対談したとき以来の記事の大きさ。いやその時、以上。しかもあのときは写真はモノクロやった。今回はカラー。

 また目立ってしまった。すいません。

 よかったらごらんください。26面です。「ひと、人、ヒト」のコーナーです。

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2009.01.16

桐野作人さん、町田明広さんから高著を恵贈される

 過日、以下の高著を恵贈された。ありがとうございます。

 ①桐野作人さんから。  

 堀新氏編『信長公記を読む』(吉川弘文館、2009年2月、2800円+税)

 ②町田明広氏から。

 同氏『島津久光=幕末政治の焦点』(講談社選書メチエ、2009年1月、1600円+税)

 いずれもたいへん親しくしていただいている研究者である。

 桐野さんは従来「歴史作家」と名乗っておられたが、学術誌にも論文を書かれる方だから、以前より「もう歴史研究者とお名乗りください」といっていた。なんと、今回の肩書は「歴史研究者」になっていた。

 今回も「信長と合戦」「本能寺の変」「お市と濃姫」を担当されている。いうまでもなく、魅力的な内容である。

 町田さんは、佛教大学から博士授与直前の研究者である。もとは長州毛利家の研究者としてお付き合いいただいていたのだが、最近は文久期の政治史全般、とりわけ薩摩島津家を中心とした論考が多くなっている。

 本書の姉小路公知殺害の猿が辻事件の検討などは、ほんとうにわくわくする。もちろん全体的におもしろいのだが。

 大河「篤姫」で、薩摩島津家の政治史に関心をもたれた方、ぜひご覧ください。従来の幕末史の枠組みが、いまいかに崩壊しているか、とてもわかりやすく意欲的にお書きです。

 簡単すぎるが、両高著ともにお勧めいたします。

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2009.01.15

山田邦和博士とシンポ打ち合わせ

1/14(水)はれ

 今年最初の「くずし字入門」に出講。あいかわらず大名屋敷の解体過程の検討。伏見土佐屋敷がおわらないのに、伏見紀州屋敷の史料が出てきた。なぜかまぎれこんだようだ。

 マスコットガールとお茶をしたのち、グランヴィア京都へ。きたる1/24(土)、山田邦和博士と「豊臣秀吉と京都」というシンポをする。その打ち合わせ。さすが山田博士。打ち合わせなのに、その場でもうシンポのような会話になった。

 当日が楽しみだ。「京都おこしやす大学」主催です。ぜひきてください。席はまだあります。

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2009.01.14

新聞取材をうけ、新年会で呼吸困難になった

1/13(火)はれ夕方から一時雨

 今年最初の「基礎からまなぶ!日本歴史に出講」。さて、今年はどこまで進むのだろうか。

 豊臣政権と京都というネタから入る。直江兼続の大河ドラマが始まったところで、これだ。みごとだ。ぐうぜんなのだが。

 午後2時30分、京都新聞のS記者から取材をうける。土曜日の「ひと・人・ひと」というコーナーに紹介されるそうだ。

 そういえば最近、同紙で新聞コレクターの山名さんや、墓めぐりの達人小川善明さんが紹介されていた。石碑を建てる男として「奇人」の仲間入りか。

 昨年6月に千本七条に建立された「是より洛中」標石の前で、たくさん写真を撮ってもらう。そのあと京都新聞社に移動して、またいろいろ聞かれる。いっぱい話す。17日(土)に載るらしいです。

 夜は、京都龍馬会のA尾さんに誘われて、ホテルでの某組織の新年会に行く。国会議員や府知事、京都市長も挨拶に来ておられた。こんな組織の新年会ははじめて。

 多くのえらい人が壇上挨拶をされ、時間もながく、呼吸困難になった。意図して深呼吸をしていた。幼いとき、朝礼で倒れる仲間をよくみたが、こんな気持ちか。

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2009.01.12

八幡の郷土史家による史蹟創出を論じた

1/11(日)はれ

 嵯峨野学藝倶楽部に出講。

 嵐山電鉄、満員。紅葉の時期でもないのに。途中、太秦広隆寺駅で大量に降りられる。何が、あったのか。

 講座内容「三宅清治郎建立碑からみた京都の史蹟」も折り返し地点にきた。

 八幡の郷土史家、西村芳次郎を取り上げた。事業の後半、西村によって多数の石碑が建立される。そこに西村の個性が入った。「場所の由緒」、とでもいうべきものがたりが創作された、と論ずる。

 熱が入りすぎて、30分もオーバーした。参加者、約15名。退出されることもなく。二次会のスマートでの軽食会も多くのご参加。今回は圧倒的に女性が多かった。

 夜、京都龍馬会の新年会に参加する。柳馬場三条下ルの晃庵で。昨年10月に「お龍の実家、楢崎家跡」標石を建てた場所だ。

 一昨日の京都新聞夕刊の一面にも取り上げられたばかり。儲かってもらわなければ。

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2009.01.08

今年最初の史蹟調査

1/6(火)はれ

 急に思い立って、府立総合資料館に行った。ある幕末志士の居所を確定するために。また司書松田万智子さんを煩わせる。

 歴史資料課に行って、こんどは福島幸宏氏をわずらわせて、青蓮院関係記録をみる。またある幕末史蹟の検証のため。松田さんも来られて、未刊行の『華頂要略』を出してくださる。

 『華頂要略』すごいわ。予期せぬ情報が多数。総合資料館は宝の山だわ。

 御土居堀研究の新資料もみつけたし、今年は幸先がよい。

 閉館時間がきて最後の客になるまでいて、地下鉄で某所へ。ある建碑予定地である。実現するとすごいがな、と思ってコーヒーを飲む。

 また地下鉄に乗って、さきほど検証した幕末志士の居所跡をみる。そうか、ここか。ここも建碑したいなあ。

 寺町三条にいき、いつものスマートでコーヒー豆を買って帰ろうと思ったら、京都龍馬会理事長のA尾さんから電話あり。今週のラジオ録り、どうする?というお尋ね。

 ちかくだったので、今年はじめて木屋町三条龍馬に行く。そしたら、ちがう話があって、驚いた。関係者もその後やってこられるし、おもしろすぎて夕食たべれへんようになったから、家族もよんだ。

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2009.01.05

「天地人」の隠れ舞台地、京都と伏見

1/4(日)はれ

 NHK大河「天地人」はじまる。

 冒頭、大坂城で、直江兼続・上杉景勝が秀吉に謁見するシーン。

 また大坂か。これだから豊臣政権の首都は大坂ではない、京都と伏見だ、が通じないのだ。

 「また今年の大河は京都は関係がない」が聞かれる。いややなあ。

 あ、だからいいのか。

 「ちがいますよ。京都と伏見こそが、今年の大河の主人公なのですよ」。誰もが知っているわけではないのだから、話がいがある。

 そうか、そうか。大坂城で謁見、よかった、よかった。

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2009.01.04

なぜ霧島神宮ではなく華林寺なのか

Cimg1969  しつこく鹿児島でのはなし。

 わからないことがあった。

 霧島神宮前に「龍馬、ハネムーンロード」という解説板が建てられている。そこに「龍馬とお龍 霧島新婚旅行」年表が掲載されてある。

 龍馬夫妻は、慶応2年3月29日、高千穂登山をしている。その日の宿泊地のことだ。

 「華林寺泊」とあった。

 龍馬の手記(坂本龍馬手帳摘要『坂本龍馬全集』4訂387ページ)や書翰(同年12月4日付乙女宛、同145ページ)によると、当日の宿泊地は霧島神宮(「霧島ノ宮ニ宿ス」「きり島の社・・・其所ニて一宿」)である。

 もちろん華林寺は霧島神宮の神宮寺であるから、同一といえばそうなのかも知れないが、でもやはりそれなら「霧島神宮泊」であるべきである。

 それにもかかわらず「華林寺泊」とするのはなぜだろう。何か、別の史料があるのだろうか。年譜の資料提供者が、薩摩龍馬会になっていた。知りたいものである。

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2009.01.03

鹿児島の高城書房に感激したはなし

 鹿児島市滞在中のことだが、城下町絵図をもってあるいてみたくなった。

 適切なものが県史料センター黎明館で販売されているのではないか、期待して訪ねてみたが、なかった。

 県立図書館を訪ねたら、塩満郁夫・友野春久編『鹿児島城下絵図散歩』(高城書房、2004年)という、良書をみつけた。

 今和泉島津家本邸(篤姫の生家)部分のみ、カラーコピーして退出したが、やっぱり全部ほしくなった。

 市内屈指の繁華街、天文館のジュンク堂書店で探したがなかった。

 東京の桐野作人さんに電話し、古書店を紹介してほしいといった。多忙にもかかわらず、親切にしていただいた。

 曰く、「版元の高城(たき)書房に直接電話して尋ねたらどうか。」

 なるほど。それに従い電話したら、在庫はあった。

 が、所在地は天文館から車で片道30分もかかる上、本日は御正月休み中。

 あきらめようと思ったら、なんと御店の方、ホテルはどこだ、届けてやる、と申し出てくださった。なんという親切、心意気。

 夜、宿についたら、本当に届けられていた。支払いは振込用紙で後日入金でいいそうだ。感激した。

 この書籍がその後、鹿児島滞在中の僕の座右の書になったことはいうまでもない。幕末薩摩志士の居所がまるわかりだった。

 今和泉本邸跡が、一般にいわれているより、はるかに大きいこともこの絵図によりわかった。なにが現大龍小学校が大龍寺跡にあたり、今和泉本邸はその西側の敷地、だ(たとえば『鹿児島県の歴史散歩』山川出版社、2刷、2008年、20ページ。引用「今和泉島津家本邸跡がある。(略)その東隣が大龍小学校である」)。

 現大龍小学校の一部も今和泉本邸跡に含まれるじゃないか。自分の目で確認しないとだめだ。

 ありがたいことだった。高城書房は、鹿児島にあって良質な歴史ものを刊行しつづけている出版社で、本書以外でも実はすでに多数御世話になっている。

 たとえば、芳即正氏『坂本龍馬と薩長同盟』(1998年)は、松浦玲氏の龍馬論に匹敵する近年のすぐれた龍馬論のひとつ。

 寺尾美保氏『天璋院篤姫』(2007年)は、一昨年・昨年と、あほほど出た篤姫便乗本のなかで数少ない役に立つ篤姫伝のひとつである。

 お礼とともに宣伝いたします。

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2009.01.02

杉森哲也先生から高著・玉稿の恵贈をえた

1/1(祝・木)

 年末、杉森哲也先生(放送大学)から、以下の玉稿・高著の恵贈をえた。

 ①杉森哲也「近世京都六条村文書について―香川大学附属図書館所蔵『神原文庫』所収史料から―」(『部落問題研究』第183号、2007年12月)

 ②草光俊雄・五味文彦・杉森哲也『歴史と人間』放送大学、2008年3月

 実は、杉森哲也先生にお目にかかったことはない。

 が、都市史研究の上で成果をまなばせていただいていること、日本史研究会編『豊臣秀吉と京都』(文理閣、2001年)で共同執筆者だったこと、同先生著『近世京都の都市と社会』(東京大学出版会、2008年8月、37ページ)などに、僕の研究を紹介くださったことなどから、感謝をこめてこのたび拙著をお送りした。その御礼であった。

 ①は京都の惣構、御土居堀関係史料が収録されており、たいへんありがたかった。

 ②は放送大学の教科書で、手に入れにくいものだった。天正少年遣欧使節などを題材に、初学者に歴史の学び方を平易にまとめてあり、勉強になった。

 ありがとうございます。感謝申し上げます。

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2009.01.01

2009年の到来

 新年がやってまいりました。

 昨年はすばらしい年でした。拙著を2冊も世におくりましたし、石碑建立は4本にかかわりました。

 いうまでもありません。みなさんのお力をおかりしたからです。あらためて御礼申し上げます。

 今年はもっと良い年にしたいと願っております。

 篤姫同様、直江兼続とよいお付き合いをいたす所存です。可能か。

 最大の課題は、秋に2冊の新書を世に送ることです。できるか。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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