三宅碑論文をまとめようと決意した
月末・月始は忙しくていかん。締め切りが多く、気がせいてしまう。これが更新滞りの原因です。
11/30(日)はれ
嵯峨野学芸倶楽部に出講。参加者は少ないのだが、いつもながら熱心な受講生に支えられている。
三宅碑の5回目。今回は嵯峨野や石川丈山らの三宅碑の意味を述べる。
忘れられた近代京都の文化人、小西大東のはなしをした。
小西大東を「発見」したのは、京都府立総合資料館の松田万智子さんである。松田さんには毎度お世話になっている。松田さんと知り合いでなければ、僕のここまでの学術成果はもっとうすいものになったはずだ。
その松田さんとの出会いも小西大東だった。小西が三宅清治郎と親しいことをしった松田さんが、三宅碑研究を進めていた僕に封書をくださったからだ。縁深いことである。
人の縁はどこからはじまるか、何に展開するかわからない。すばらしいことだし、おそろしいことでもある。
参加者のT田さんが僕の未発見の三宅碑を見つけ出そうと、熱中しておられる。いつも見つけてこられては、「それはすでに知っています」と僕はいってしまう。
そうなると、いったい中村武生は何を見つけているのか、知りたいはずだ。ウソをいっているかもしれない。
で、来年上半期には、三宅碑成果は一度まとめあげてしまおうと決意した。池田屋本も龍馬本もあるのだが、2001年からひきづっている三宅碑も、いいかげん手をはなさないといけない。実はこれも出版計画がある。が、N社長にまってもらっている現状だ。
夜は某原稿しめきりに立ち向かう。つかれはてるまで進めるが、とどめをさせず。
心の健康をとりもどそうと、いつもの木屋町三条下ル都会館1階の「龍馬」に立ち寄る。O社長がおられて歓談。
しばらくするとマスコットガールが彼氏をつれて訪問。予期せず好男子なり。
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