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2008.11.03

刺客はなぜ龍馬の居所を知れたか

11/2(日)つづき

 夜、「篤姫」をみる。失笑するシーン多数。詳しくは桐野作人さんのブログをご覧ください。中村武生はまったく同じ立場です。

 龍馬殺害の場面。刺客にピストルをはじかれるシーンは、三谷幸喜氏脚本の大河「新選組!」の模倣ではないか。

 「寺田屋事件」でも過去の大河「翔ぶが如く」と近似のシーンがあった。創作品として、なさけなく感じた。

 刺客は単身まっしぐらに龍馬のいる部屋に踏み込んでいった。どうしてその場所に龍馬らがいることがわかったのだ。ありえないだろう。

 玄関で龍馬の家臣藤吉に名刺(「名札」)を渡し、それを龍馬のもとへ持ってゆく藤吉の後を追ったのだ。だから龍馬の居所がわかったのだ。

 事件直後に報を受けた土佐山内家重臣寺村左膳の日記に、

(刺客は)「才谷(龍馬)ニ対面致度(いたしたし)とて名札差出候ニ付、下男之者(藤吉)受取、二階へ上り候処、右之三人あとより付したひ、二階へ上り、矢庭に抜刀ニ而才谷、石川(中岡慎太郎)両人へ切かけ候」

とある(横田達雄編『寺村左膳道成日記』3、50ページ。高知県立青山文庫後援会、1980年)。

 この史料は立場上、当該事件の過程についてもっとも信用できるもののひとつである。

 興味深いことに、翌日、山内家重臣福岡藤次から事件を聞いた越前松平家の重臣中根雪江の日記にも同様の記載がある。

 「夜中一人あって手紙を持来り、僕(藤吉)を呼出し、届呉候様申に付、僕二階へ上候後より、両人之刺客附上り、直様龍馬眉間へ切込候由」

(「丁卯日記」国書刊行会編『史籍雑纂』第4、227ページ、続群書類従完成会、1974年)。

 今回のドラマはナンセンスだが、龍馬殺害事件は、これら事件直後の身近な人間の記録によって論じなければならない。

 そばで見聞きしたとはいえ、田中光顕や谷干城の後世の回想録や、歴史家岩崎鏡川「坂本と中岡の死」などの研究成果は参考程度にとどめないとだめだ。うそが入る。

 藤吉の斬られる音を聞いて龍馬は「ほたえなっ!」と叫んだ、その声により刺客は龍馬の所在地を知ったという話も有名だが、おそらくフィクションだろう。

 刺客は藤吉の後を追い、彼が入った部屋を龍馬の居所と理解して侵入し、斬りつけたというのが素直な解釈といえる。

 ドラマでは刺客はまっしぐらに部屋に侵入した。部屋にも藤吉らしき人物はまったくいなかった。残念だった。

 いま近江龍馬会では、藤吉誕生伝承地の標石を滋賀県大津市に建設しようと努力しておられる。これが実現すると、龍馬遭難事件を描くおりにも、藤吉を無視しなくなるかもしれない。実現を期待している。

 なお細かな龍馬殺害事件については、龍馬研究会の機関誌『龍馬研究』所収「龍馬十景」に連載中です。

 また来年秋に出す予定の新潮新書の拙著『龍馬』に詳しく論じたいとも思っています。

 予定にすぎないが。

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