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2008.11.28

龍馬の寺田屋脱出のあとを追跡した

Dcf_1469 11/27(木)はれ夜雨

 めっちゃめずらしく、出かける仕事がない日。

 なのに、一昨日だったか、空いていることがばれて伏見案内を頼まれた。

 午前中、洗濯して干す。最近、人任せになっていたから、反省して、した。

 そのあと理髪に。9月6日以来のこと。二か月以上ぶり。三宅清治郎には全然勝てない。

 午後から京都龍馬会のA尾さんとOりょうさんの依頼で伏見の幕末案内をいたす。

 御香宮神社に移築された、伏見街道に建っていた弘化4年(1847)丁未の道標を見にいったら、車石が個人から寄贈を受けて、新設されていた(写真)。おどろいた。

 みたら先月のことだった。車石の啓発団体のお仕事。すばらしい。どんどん啓発してください。お願いします。

 寺田屋跡で、三吉慎蔵の手記の寺田屋遭難部分を朗読する。龍馬の当該内容の手紙もいっしょに読んで、寺田屋脱出コースを検討する。

 3人寄れば文殊の知恵で、けっこう多く歩んだコースなのに、これまで気づけなかったことに気づけた。

 材木納屋伝承地で濠川におりて、血のついた着物がないので汚れた靴を洗ったり、草履をさがしたりした。

 まじめに三吉の逃亡ルートを検討して、伏見薩摩屋敷跡に到達。ここにたつと感慨ぶかいなあ。最近、来すぎている。こないだは篤姫のルートをと東福寺即宗院から歩いた。

 A尾さんとOりょうさんと丹波橋で別れ、帰る。

 夜、なべもの。しぬほど食べた。りんごも出てまた食べた。皮まで食べた。

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