« 「幾松」の評価を再検討すべきと知る | トップページ | 松浦玲氏『坂本龍馬』に接して »

2008.11.19

篤姫の道中日記ではなかった

 「篤姫の道中日記」を見ての感想。

  ようやく述べる気になった。

 

 実は「篤姫のみた洛中洛外」の記事はなかった。

 いやそれどころか、そもそも「篤姫の道中日記」ではなかった。

 「嘉永六癸丑年正月 浦乃藻屑」という簿冊が該当史料だが、たとえば篤姫が近衛家に参殿した同年(1853)10月2日条、東福寺に参詣したとされる10月4日条、宇治萬福寺に参詣した10月5日条、いずれもそれぞれの場所の記載がなかった。

  で、8月21日条をみた。この日、篤姫は鹿児島を出発する。

 すると、この日の記事、なんと記主仙波市左衛門は鹿児島で篤姫を見送っていた。

 そう、つまり仙波は篤姫に同行していない。

「篤姫の道中日記」ではなかった、というわけである。

 これを報じたある新聞夕刊を読み直す(本年9月27日付)。

 「篤姫が徳川十三代将軍家定の正室となるために薩摩から江戸に向かった道中や、薩摩藩の姫たちの動静を詳細に記述した藩士の日記」。

 「薩摩と江戸との間の道中日記には、篤姫が、生家の今和泉家から薩摩鶴丸城に入り、江戸に出立した時期や様子、神社など立ち寄り先、日々の天気まで詳細に記されていた」。

 たしかに書いてある。報道が誤っていたのである。ショックであった。

|

« 「幾松」の評価を再検討すべきと知る | トップページ | 松浦玲氏『坂本龍馬』に接して »