本能寺の変の舞台地を歩いた
10/14(火)あめ
いつもの基礎からまなぶ日本歴史、今日は会場がとれなかったので、お外にでる。
ひさしぶりの巡検。いま信長を講じている。せっかくだから、まだ先の内容だが、本能寺の変の舞台地を歩いた。
阪急四条大宮駅にあつまる。予想していたが、巡検には不向きなほど人が集まった。雨なのに。みなさん熱心で。
旧本能寺跡の四至をまわり中心部(旧境内)にも入る。南は四条坊門通(蛸薬師)、東は西洞院通、北は六角通、西は油小路の一町四方。
中心部では『信長公記』の天正10年(1582)6月2日条を朗読する。「是非に及ばず」のところである。
雨のなか、迷惑なことでしょうが、現地で原史料を読む臨場感をお伝えしたかった。いつものことなので、あきらめておられるか。
その後、室町通を通って、嫡男信忠滅亡の地へむかう。本能寺から室町通を北上するルートは天正9年(1581)の馬揃えの進路と同じである(やっぱり『信長公記』)。そのことをお伝えして、信長気分で進めと受講者に申し上げる。
三条坊門こと御池通と室町の交差点にたつ。ここで信忠の最後の宿所妙覚寺跡と、終焉の地二条殿跡をのぞむ(となりどうし)。
室町通を北上し「二条殿御池跡」の標石をみたあと、御池の一本北の押小路で右折、両替町通でまた南下。大好きな京都市教育会建立の「此付近二条殿跡」標石をたずね、ついでわりと最近建立の二条殿跡庭園遺構のプレートをみる。
最後は「二条殿交番」で解散。ごくろうさまでした。
有志と昼食に行く。二条殿跡に建つうどん屋。そのまま食後のコーヒーへ。これまた二条殿跡にたつマンガミュージアム内の小川コーヒー。あらためて広い敷地だなあ、二条殿跡。
みなさんと別れて、京都新聞社へ。文化報道部で取材をうける。拙著『京都の江戸時代をあるく』の件。一時間ほど、思いをかたる。
今月26日(日)の書評欄に載る予定の由。写真もとっていただいたが、いい顔していたかどうか。
夜はつくっていただいていたカレーライスをひとりで食し、仕事をつづけながら疲れはててしらんまに寝る。おけいこから妻が帰宅したことも気づかず寝続ける。
※【追伸】参加者おりょうさんが、(←の)「龍馬」のブログに参加記を記されていた。あわせてご覧ください。
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