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2008.10.31

伏見、新選組奮戦跡の検出を見た

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 去る10月28日(火)の各紙朝刊に、江戸時代の伏見奉行所跡の発掘調査で、伏見城の「指月」時代かと思われる石垣や堀が出た、という記事をみた。

 現地説明会が11月1日(土)午後1時からある。参加したい。

 が、その時間、名古屋市の栄中日文化センターで新選組講座を担当している。参加することは困難である。

 そんなとき、山田邦和博士から、「絶対見ておけ」といわんばかりのおススメメールがきて、それに後押しされて、本日事前に、運良く見ることができた。

 現場の責任者、村尾政人さん(西近畿文化財調査研究所代表)のご厚意による。心より感謝を申し上げます。

 おそるべき規模の堀だった。幅20メートルはゆうに超えていた。

 その堀をまたぐように木柱が数本刺さっていた。その延長上の堀の肩に石垣がないことも気になった。これは橋脚ではないか。

 東西に長ぼそい建物跡も2棟検出されている。これは奉行所以前の伏見城下町の大名屋敷、すなわち富田信濃守屋敷の一部ではないか。絶句した。

 が、一番驚いたのは、新聞はほとんど報じなかったと思うが、鳥羽伏見戦争で焼けた跡が如実だったことだ。

 土が真っ赤になって堆積している。そのなかに多数の瓦が埋まっている。これはすごい(写真中央)。

 なお石垣や排水路に接して、当時の路面も検出できている。土方歳三が立ったかもしれない、その当時の地面だ。

 「享保十一丙午年」(1726)の銘のある鬼瓦も見つかっている。この戦争で崩れおちたものに相違ない。この瓦は新選組を見たことだろう。

 新選組ファンは絶対に行った方がいい。万難を排してでも。名古屋の方も僕の稚拙なはなしを聞くより、さぼって伏見へおこしください。

 本日、たくさん写真を撮った。明日の講座ではそれをお見せする。城南伏見で行われている現地説明会の内容を、同じ時間に名古屋で御話しする。けっこうおもしろい。

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