和宮の想像妊娠は事実だった
先日、先週の大河「篤姫」について、(もう消したけど)「フィクションの想像妊娠だけであれだけ時間をさいて」と不満をのべた。
が、これについて、拙ブログをご覧になられた友人藤田英昭さん(徳川記念財団)から、「これは史実ですよ」とご指摘があった。
根拠は和宮の側近、庭田嗣子の日記である(『静寛院宮御日記』下)。庭田嗣子はいま、中村メイコさんが扮しておられますね。
その場所を引用します。
元治元年(1864)6月26日条(同書247~248ページ)。
前日より「少し御むかつきにて御水出られ候由、今朝御せんも御すくなし御化粧もあそはし候へ共、とふも御むねの御工(具)合御よろしからす候」とあり、和宮の不調がはじまります。
これについて「極内々の所、御めて度御事御催しのほとも分かりかね」、つまり懐妊の可能性を意識しだします。
7月9日条、医師中山摂津守が診断し、「矢張り恐悦の御催し(懐妊)かと伺候由申入らるゝ」とあり、医師も懐妊かもしれないといったらしい(251~252ページ)。
笑えないのは、8月30日条(261ページ)。
「和宮様御くわゐにん(懐妊)の御催しにもあらせられ候哉に付」、つまり懐妊らしいので、着帯の作法はどうするかと問題となった。
関東風にするか、京風にするかが議論の対象となる。
で、結局、「御著帯の御式御降たんの御式は殿様のかたに御したかひにて関東風義にまかせられ候」となる。着帯は関東風にすることになった。
ただ「宮様御身なり上らふはしめの身まわりは京風にて御よろしくとの御事」とありますから、和宮の衣装などは京風となった。
想像妊娠という結果をしっている者からすれば、早合点で、しなくていいもめごとをおこしているなあと、苦笑である。
ながくなるからもうやめるが、この話、本年刊行された辻ミチ子さん『和宮』(ミネルヴァ書房)にも載っていた。
ちなみに同書はもちろん、庭田嗣子日記をおさめた『静寛院宮御日記』下巻も僕は所有している。
本は持っているだけではだめだ、読まなきゃ、とあたりまえのことを思った次第でした。
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