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2008.10.31

伏見、新選組奮戦跡の検出を見た

Cimg1711  

 去る10月28日(火)の各紙朝刊に、江戸時代の伏見奉行所跡の発掘調査で、伏見城の「指月」時代かと思われる石垣や堀が出た、という記事をみた。

 現地説明会が11月1日(土)午後1時からある。参加したい。

 が、その時間、名古屋市の栄中日文化センターで新選組講座を担当している。参加することは困難である。

 そんなとき、山田邦和博士から、「絶対見ておけ」といわんばかりのおススメメールがきて、それに後押しされて、本日事前に、運良く見ることができた。

 現場の責任者、村尾政人さん(西近畿文化財調査研究所代表)のご厚意による。心より感謝を申し上げます。

 おそるべき規模の堀だった。幅20メートルはゆうに超えていた。

 その堀をまたぐように木柱が数本刺さっていた。その延長上の堀の肩に石垣がないことも気になった。これは橋脚ではないか。

 東西に長ぼそい建物跡も2棟検出されている。これは奉行所以前の伏見城下町の大名屋敷、すなわち富田信濃守屋敷の一部ではないか。絶句した。

 が、一番驚いたのは、新聞はほとんど報じなかったと思うが、鳥羽伏見戦争で焼けた跡が如実だったことだ。

 土が真っ赤になって堆積している。そのなかに多数の瓦が埋まっている。これはすごい(写真中央)。

 なお石垣や排水路に接して、当時の路面も検出できている。土方歳三が立ったかもしれない、その当時の地面だ。

 「享保十一丙午年」(1726)の銘のある鬼瓦も見つかっている。この戦争で崩れおちたものに相違ない。この瓦は新選組を見たことだろう。

 新選組ファンは絶対に行った方がいい。万難を排してでも。名古屋の方も僕の稚拙なはなしを聞くより、さぼって伏見へおこしください。

 本日、たくさん写真を撮った。明日の講座ではそれをお見せする。城南伏見で行われている現地説明会の内容を、同じ時間に名古屋で御話しする。けっこうおもしろい。

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ばかなはなし、丁卯日記

 ばかなはなし。

 龍馬殺害事件を検討したいので、中根雪江の「丁卯日記」を必要に思っていた。

 「丁卯日記」といえば日本史籍協会叢書に入っている。これを手に入れたい。が、品切れで古書店にもほとんど出ない。

 かりに出ても、すでに所有している同じ中根雪江の日記(続再夢紀事)とセットで高額である。困ったもんだと思った。

 たまたま「日本の古本屋」サイトを見ていたら、別のところで「丁卯日記」が入っている史料集に気づいた。・・・『史籍雑纂』第四。

 え、『史籍雑纂』って。

 全巻もっているで。

 まさかと思ってみたら、ええ、持っていた。第四も。

 いうまでもない。入っていた。

 絶句。

 ええー、あんだけ探してたのに、持っていたなんて。

 無意識でいいものをちゃんと買っている。それはいい。

 が、使わないと意味ないじゃん。

 こないだもそんなこと書いた。今回ははらがたった。

 ばかなはなし。

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2008.10.30

方広寺道場って何だろう

10/29(水)はれ

  京都女子大学に出講。先週のつづきで、幕末、天誅組論。

 大和で挙兵し転戦する天誅組だが、出発は洛東「方広寺道場」。すなわち京都女子大学のおひざもと。それゆえにとりあげる。場所の意義を考える歴史地理を教えているから。

 「方広寺道場」が出発地であることは、文久3年8月14日付の中山忠光の廻状によってわかる。

 「有志之徒は、正八ツ時限り方広寺道場へ遅滞無く参着致されるべき者也」とある。とても興味ぶかいのだが、その来歴がわからない。

 唯一、平尾道雄の『吉村虎太郎』に、平井収二郎と板倉筑前介がはなしあって、彦根の岡本半介が金を出してつくったものある(220ページ)。

 が、典拠がわからない。

 大日本維新史料稿本にも該当綱文がないのできづけない。『山内家史料 公紀綱文集』でも拾えない。

 ご存知の方、教えてくださるとありがたいです。

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2008.10.28

「第3子」がさっそく活躍してくれた

10/27(月)はれ

 朝、大谷大学に出講。京都・寺町を論じる。

 すぐ帰宅し、新事務所でいろいろ作業。

 いろいろなところから、いろいろな依頼あり。メールや電話で応対。

 T京大学のY本H文先生からメールあり。A姫にかかわる某史料についてご教示くださる。 某史料、来月14日と15日に東京・神保町で一般公開される。無理をしてでも閲覧に行く予定。

 夜、N文化センターO教室のEさんとお目にかかる。新年度の講師の打診をうけたため。拙著『京都の江戸時代をあるく』を読まれての由。生まれたばかりの「第3子」がさっそく活躍をしてくれたわけだ。

 夜、いつもの木屋町三条の龍馬に立ち寄り、事務的な話をする。西洋からのお客さんあり。店中、英語が広がる。

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2008.10.27

「篤姫」の龍馬とお龍に思うこと

 先週と今週の「篤姫」をみて思ったことはいっぱいあるのだが、それを書き込むととてもエネルギーがいるというのと、そんなヒマがあるかと思われたくない。

 だから龍馬とお龍のことのみを書く。

 お龍とお近(小松帯刀の鹿児島妻)の二人だけのシーンで、お龍はお近に「あの井伊大老の大獄で、私の父は重いお咎(とが)めを受けました」といった。その背景映像は、捕り手に縄で縛られて連行される男性だった(開始から24分ごろ)。

 が、これは事実ではないだろう。

 お龍の父は楢崎将作といい、青蓮院宮に仕える内・外科医であった。

 楢崎将作が安政の大獄に連座したといわれてきた間接的な史料根拠は、ふたつある(と思う)。

 ひとつめ。

 「先年、雷(頼)三木(樹)三郎、梅田源二(次)郎、梁川星巌、春日(潜庵)などの、名のきこ(聞)へし諸生太夫が朝廷の御為に世のなん(難)お(を)かふむ(被)りしものありけり。その頃其同志にてありし楢崎某と申医師、夫(それ)も近頃病死なりけるに・・・」(慶応元年(1865)9月9日付、乙女・おやべ宛、龍馬書簡)

 ここで龍馬は姉などにお龍の父として楢崎の紹介をする。そして安政の大獄に連座した者を列挙し、その者と同志だとはいっている。これが根拠だと思う。

 が、ちゃんと読めば、一緒に連座したとはしるさない。

 それどころか近頃病死したという。刑死でも獄死でもない。

 菩提寺西林寺の過去帳から亡くなったのが文久2年(1862)6月20日とわかるから、大獄から3年もたっている。

 もうひとつ。 

 慶応2年(1866)12月4日付、乙女宛龍馬書簡。また姉にお龍の紹介をした部分で、

 「京師柳馬場三条下ル所、楢崎将作、死後五年トナル、此所にすミしが、国家のなん(難)とともニほろび、あと(跡)な(無)くなりしなり」とある部分である。

 が、「国家の難とともに滅び、家は無くなった」とあるが、安政の大獄への楢崎の連座だとは記していない。

 なんといっても、お龍には明治になってからの回想録がある。質問者にこたえて、龍馬のこと、父母のこと、さまざまを物語っている。

 が、そこにも父が安政の大獄に連座したとは述べていない。

 「私の父は楢崎将作(注記略す)と云ふのです。青蓮院宮様の侍医でしたが、(略)あの梁川星巌や其妻の紅蘭も同門でした。又、頼三樹(三郎)さんとや池内大角(学)(注記略す)などゝも親密で、私が幼少(ちいさ)い時分には能(よ)う往来(いき)きして居ました(「千里駒後日譚」4回)。

 ここでもやはり安政の大獄メンバーと交流があったことをふれるのみで、父も犠牲者だったとはいわない。

 ほかでも父を失ったあとの生活難をふれた部分があるが、国事殉難者のようにはふれない。

 そんなわけで、たぶん事実ではない。

 ながくなりすぎた。ほかにも書きたいことがあったのに、あきらめだ。

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2008.10.26

京都新聞の読書欄に拙著が紹介された

 今朝の京都新聞「読書」欄(10面)に、拙著『京都の江戸時代をあるく―秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』(文理閣)の紹介がのった。

 『高知新聞』(2008年10月9日付)につづいて2紙目。

 写真がいまイチ。残念!

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2008.10.25

まだまだ「ベストセラー」研究者

 おどろいたことに、大垣書店(中京区烏丸三条上ル)のベストセラーランキングでも、拙著『中村武生の日めくりドリル500問』が10位にランキングされていた(10月19日付)。

 なおそれを裏付けるように、早くも増し刷りが決まった。まだ刊行2週間だぞ。来週もう刷る由だ。すごいなあ。

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【講演】篤姫のみた洛中洛外

 つぎのような講演をいたします。無料ですので、たくさんおこしください。

「篤姫のみた洛中洛外」
講師 中村 武生(なかむら たけお)
    (歴史地理研究者,同志社大学嘱託講師)

【日時】 2008年(平成20)11月9日(日) 
      午前11時~正午(開場は午前10時40分から)

【場所】 京都市醍醐交流会館ホール(地下鉄醍醐駅すぐ パセオ・ダイゴロー西館2階)
        定員 200人 ※先着順

【主催】 伏見区地域女性連合会,伏見区明るい選挙推進協議会,伏見区選挙管理委員会

※入場無料,事前申込不要

お問い合わせ

伏見区選挙管理委員会事務局
電話: 075-611-1295(直通),075-611-1101(代表)

伏見区政治・文化セミナーとは

 区民が,政治や選挙をはじめ,その他幅広い知識を身に付けることによって,現代社会における自らの立場を自覚するとともに,政治や選挙への自主的,積極的参加の姿勢を養うことを目的に毎年開催しています。

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2008.10.23

尾下成敏さん、内田浩平さんから玉稿・高著を拝受

 昨日にひきつづき、高著・玉稿拝受の御礼を申し上げます。

 ①尾下成敏さんより。同氏「『上杉加級宣旨案』の紹介―近世初期武家官位に関する一史料」(『史林』91巻5号、2008年9月)

 ②内田浩平さんより。清水聡氏『気骨の判決―東條英機と闘った裁判官』新潮新書、2008年8月

 ③内田浩平さんより。島内景二氏『源氏物語ものがたり』新潮新書、2008年10月

(2008年10月22日分)

 尾下成敏さん(京都橘大学非常勤講師)は、新進気鋭の織豊期研究者のひとり。とりわけ上杉氏に詳しい。来年の大河ドラマに向けて大活躍されることだろう。

 内田浩平さん(新潮社新書編集部)とは2冊の本の製作をお約束している。とくに大事なのが、坂本龍馬に関するもの。来年の秋に出す予定。できるか。

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「ベストセラー」研究者になってしまった

10月22日(水)

 

 本日付の『産経新聞』(京滋版)23面の「ベストセラー」欄をみると、拙著『中村武生の京都検定日めくりドリル500問』(京都新聞出版センター、2008年10月)が、売れゆきランキング8位にランクインされていた(ジュンク堂書店京都店調べ)。

 信じられないことである。

 「ベストセラー」研究者になってしまった。

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2008.10.22

たくさん本を謹呈いただき喜ぶ

 拙著を御送りした御礼に何人かの方から高著が届けられている。ありがとうございます。記して謝意を表します。

  ①草野顕之さんより。井上鋭夫氏『本願寺』講談社学術文庫、2008年10月

  ②河内将芳さんより。同氏『秀吉の大仏造立』法藏館、2008年11月

  ③上田純一さんより。京都府立大学旅ともてなしの比較文化研究会編『旅ともてなしの文化論』春風社、2008年3月

  ④太田浩司さんより。長浜市長浜城歴史博物館編著『戦国浅井戦記―歩いて知る浅井氏の興亡』サンライズ出版、2008年9月

  ⑤高田徹さんより。同氏『廣島城残影』2008年6月、私家版

  ⑥高田徹さんより。同氏『城郭と絵葉書―戦前絵葉書資料化の試み』2008年9月、私家版

  ⑦高田徹さんより。同氏「初期の織豊系城郭居城における天守台について―縄張りからの検討」『城郭史料学』5号、2008年5月

   ⑧高田徹さんより。高田徹氏・岡村弘子氏「尾張小牧山模型の資料的検討」『城郭史料学』6号、2008年7月

(2008年10月21日拝受分まで)

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2008.10.21

【講演】龍馬を斬ったのは誰かー薩摩黒幕説を否定する

来月、以下の講演会を開きます。ぜひきてください。

 京都龍馬会創立15周年記念特別講演会

「龍馬を斬ったのは誰かー薩摩黒幕説を否定する」

   講師:中村武生(歴史地理研究者/同志社大学嘱託講師)

日時:2008年(平成20)11月16日(日)11:00〜12:00
場所:京都ホテルオークラ(京都市中京区河原町御池上ル東側)
参加費:1,000円

  お問い合わせ:特定非営利活動法人京都龍馬会

  〒604-8017 京都市中京区木屋町通三条下ル材木町184都会館1F 「龍馬」内

  TEL・FAX:075-211-3666

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2008.10.20

旧交をあたためたようで

10/18(土)はれ

 拙著が本屋に並んで一週間が過ぎた。『日めくりドリル』は京都市内の書店、どこにいっても置いてあるという感じだが、『京都の江戸時代をあるく』はあまり見られない。

 大垣書店三条店で一冊みたぐらいだ。大垣書店三条店は比較的多めに仕入れてくださったことは聞き知っていたのだが、もうない。書店にある在庫検索機で調べたら、たしかに「在庫僅少」とあった。売れたのだろう。

 友人Sさんも河原町や富小路のジュンク堂の両方になかったので、大阪で購入されたと教えてくださった。なにやら売れているらしい。

 お世話になっている先生・学兄などには文理閣から郵送をお願いしたのだが、一昨日あたりから「届いた」という礼状が届きだした。

 そこにも書店で探したが見つからなかったというお声がちらほらある。

 最初の拙著『御土居堀ものがたり』のときは、身辺いろいろありすぎて、御世話になっていながら遠方の方へ御送りすることがほとんどできず、失礼をした。

 その思いもこめて今回気づくかぎり、御送りをしたつもりである。

 ですので、届いた方から順次御礼状を賜り、旧交をあたためたようで、たいへんうれしく存じております。

 どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2008.10.17

伊達政宗の屋敷跡だったのか、とショック

10/15(水)はれ

  京都女子大学に出講。今日は巡検。方広寺旧境内南門付近をあるく。坂本龍馬の寓居跡である。まだ石碑はない。解説板もない。そのうち建てよう。

 仲間のMさんがお車でお迎えに来てくださる。その足で文理閣へ拙著50冊を引き取りに行く。キャンパスプラザの中村ゼミで売るため。

 午後からキャンパスプラザ京都でくずし字入門。いろいろ思うことがある。京都の大名屋敷の解体を検討しているのだが、驚くことばかりだ。とにかく受講生の熱心さに頭がさがる。くずし字「米原」という字だと思ったら、ある方が「半原」じゃないかという。

 まあ、「米」と「半」はくずし字たいへん似ている。ありえることではある。が、何をいうのだ。「半原」はないやろ、「米原」やろと思った。

 が、史料の文字はそのあと「県」がつづく。だから「米原県」だと思っていた。

 が、その方は「半原」と読み、「半原藩って現在の愛知県に実在したんですよ。半原県はわからないですが、だから「半」の可能性はないかと思って」といわれた。

 その解説聞いて驚いた。なんの疑いもなく当然「米原」だと思ってた。もしかしたらそうかもしれない。

 先週そんなことがあったら帰宅して調べたら、たしかに「半原県」、実在したのだ。むしろ「米原県」なんてなかった。

 なんということか、恥ずかしいことだ。たよりない講師だ。みなさんに教えられて生きている。

 午後2時半から、つくったばかりの京都歴史地理同考会(特定非営利活動法人認証申請中)の研究報告会をした。

 同会幹事の郡邦辰さんの、「聚楽城・上杉景勝邸の位置の検討」研究に感銘を受けた。聚楽城の大名屋敷って、文献史料でこんなにわかるのだ、と恐れ入る。

 恥ずかしくってならなかったのは、先日建碑した堀川一条の松之下町は伊達政宗屋敷跡の可能性が高いと知ったこと。

 それなら銘文にくわえるべきだった。知らなかったもんなあ。年配の受講生からいろんなことを教えてもらっている。楽しくってならない。

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2008.10.15

本能寺の変の舞台地を歩いた

10/14(火)あめ

Cimg1096  いつもの基礎からまなぶ日本歴史、今日は会場がとれなかったので、お外にでる。

 ひさしぶりの巡検。いま信長を講じている。せっかくだから、まだ先の内容だが、本能寺の変の舞台地を歩いた。

 阪急四条大宮駅にあつまる。予想していたが、巡検には不向きなほど人が集まった。雨なのに。みなさん熱心で。

 旧本能寺跡の四至をまわり中心部(旧境内)にも入る。南は四条坊門通(蛸薬師)、東は西洞院通、北は六角通、西は油小路の一町四方。

 中心部では『信長公記』の天正10年(1582)6月2日条を朗読する。「是非に及ばず」のところである。

 雨のなか、迷惑なことでしょうが、現地で原史料を読む臨場感をお伝えしたかった。いつものことなので、あきらめておられるか。

 その後、室町通を通って、嫡男信忠滅亡の地へむかう。本能寺から室町通を北上するルートは天正9年(1581)の馬揃えの進路と同じである(やっぱり『信長公記』)。そのことをお伝えして、信長気分で進めと受講者に申し上げる。

 三条坊門こと御池通と室町の交差点にたつ。ここで信忠の最後の宿所妙覚寺跡と、終焉の地二条殿跡をのぞむ(となりどうし)。

Dsc00170_640_2  室町通を北上し「二条殿御池跡」の標石をみたあと、御池の一本北の押小路で右折、両替町通でまた南下。大好きな京都市教育会建立の「此付近二条殿跡」標石をたずね、ついでわりと最近建立の二条殿跡庭園遺構のプレートをみる。

 最後は「二条殿交番」で解散。ごくろうさまでした。

 有志と昼食に行く。二条殿跡に建つうどん屋。そのまま食後のコーヒーへ。これまた二条殿跡にたつマンガミュージアム内の小川コーヒー。あらためて広い敷地だなあ、二条殿跡。

 みなさんと別れて、京都新聞社へ。文化報道部で取材をうける。拙著『京都の江戸時代をあるく』の件。一時間ほど、思いをかたる。

 今月26日(日)の書評欄に載る予定の由。写真もとっていただいたが、いい顔していたかどうか。

 夜はつくっていただいていたカレーライスをひとりで食し、仕事をつづけながら疲れはててしらんまに寝る。おけいこから妻が帰宅したことも気づかず寝続ける。

  ※【追伸】参加者おりょうさんが、(←の)「龍馬」のブログに参加記を記されていた。あわせてご覧ください。

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2008.10.13

【研究報告会】聚楽第・上杉景勝屋敷の位置の検討など

以下の研究報告会を開催いたします。ご関心のある方、おこしください。

京都歴史地理同考会(特定非営利活動法人認証申請中)  

第1回研究報告会のおしらせ

日時:2008年10月15日(水)午後2時30分~5時ごろ(受付は午後2時から)

場所:キャンパスプラザ京都 4階第2講義室

    ※(JR京都駅下車、西へ徒歩5分。ビッグカメラの前)

報告者:「聚楽第・上杉景勝屋敷の位置の検討」(郡邦辰京都歴史地理同考会幹事)

「小松帯刀寓居参考地碑の史料根拠」(中村武生・同志社大学文学部嘱託講師)

参加費:500円

※予約不要です。会場へ直接おこしください。

主催:京都歴史地理同考会(特定非営利活動法人認証申請中、理事長:中村武生)

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テレビ放映のあとの喧噪

 昨夜、NHK大河ドラマ「篤姫」に、わが京都歴史地理同考会(特定非営利活動法人認証申請中)が建てた、小松帯刀寓居参考地の標石が映った(既報)。

 今朝、その碑に次から次と人が訪れていると連絡があった。

 予想されたことではあるが、いまさらながらテレビドラマの影響はすごい。 

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2008.10.12

小松帯刀京屋敷跡碑が映った!

 BSハイビジョンで、今週の大河「篤姫」をもう見てしまった。

 予定通り、エンディングの「篤姫紀行」に小松帯刀寓居参考地の標石が映った。感無量だ。願いがかなった。

 多くの方は8時40分ごろですね。どうかお見逃しなく。

 もちろん僕は映っていません(でもその日、横にいた)。

 なお碑の所在地は、京都市上京区堀川通一条東入ル南側です。

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日本史研究会大会に出席する

10/11(土)はれ

 本日、花園大学で日本史研究会大会があった。会員なので、報告内容が自身の専門と直接関係ありませんが、出席した。

 近世史研究者、梅田千尋さんから以下の玉稿をたまわる。

 ①「近世京都惣検校職屋敷の構造」(『世界人権問題研究センター研究紀要』13号、2008年3月)

 ②「近世奈良の盲僧組織」(青柳周一ほか編『近世の宗教と社会』<地域のひろがりと宗教>吉川弘文館、2008年5月)

 ありがとうございます。勉強させていただきます。

 たくさん書店が出ていた。すべて2割引だからとてもありがたい。必要なものなれど購入を控えていたものがある。そういうものを買うときである。それでもけっこうな金額にのぼった。

 文理閣も出展なされていた。拙著も販売くださる。3冊売れた由。ありがたし。

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2008.10.10

高知新聞に紹介記事が載った

10/9(木)はれ

 昨日から京都市内の書店などで、拙著『中村武生の日めくりドリル500問』が売りに出されていると聞いた。明日発売なのに。二日も早く。

 今朝は高知新聞に、『京都の江戸時代をあるく』の紹介記事が載ったと文理閣からファックスが届いた。内容をよく理解してくださっての記事だった。たいへんありがたいと思った。

 高知市内からの注文があいついだ由。明日発売である。いよいよである。

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2008.10.08

和宮の想像妊娠は事実だった

 先日、先週の大河「篤姫」について、(もう消したけど)「フィクションの想像妊娠だけであれだけ時間をさいて」と不満をのべた。

 が、これについて、拙ブログをご覧になられた友人藤田英昭さん(徳川記念財団)から、「これは史実ですよ」とご指摘があった。

 根拠は和宮の側近、庭田嗣子の日記である(『静寛院宮御日記』下)。庭田嗣子はいま、中村メイコさんが扮しておられますね。

 その場所を引用します。

 元治元年(1864)6月26日条(同書247~248ページ)。

 前日より「少し御むかつきにて御水出られ候由、今朝御せんも御すくなし御化粧もあそはし候へ共、とふも御むねの御工(具)合御よろしからす候」とあり、和宮の不調がはじまります。

 これについて「極内々の所、御めて度御事御催しのほとも分かりかね」、つまり懐妊の可能性を意識しだします。

 7月9日条、医師中山摂津守が診断し、「矢張り恐悦の御催し(懐妊)かと伺候由申入らるゝ」とあり、医師も懐妊かもしれないといったらしい(251~252ページ)。

 笑えないのは、8月30日条(261ページ)。

 「和宮様御くわゐにん(懐妊)の御催しにもあらせられ候哉に付」、つまり懐妊らしいので、着帯の作法はどうするかと問題となった。

 関東風にするか、京風にするかが議論の対象となる。

 で、結局、「御著帯の御式御降たんの御式は殿様のかたに御したかひにて関東風義にまかせられ候」となる。着帯は関東風にすることになった。

 ただ「宮様御身なり上らふはしめの身まわりは京風にて御よろしくとの御事」とありますから、和宮の衣装などは京風となった。

 想像妊娠という結果をしっている者からすれば、早合点で、しなくていいもめごとをおこしているなあと、苦笑である。

 ながくなるからもうやめるが、この話、本年刊行された辻ミチ子さん『和宮』(ミネルヴァ書房)にも載っていた。

 ちなみに同書はもちろん、庭田嗣子日記をおさめた『静寛院宮御日記』下巻も僕は所有している。

 本は持っているだけではだめだ、読まなきゃ、とあたりまえのことを思った次第でした。

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2008.10.07

昨日のこと新聞に載った

10/6(月)午前中雨、午後はれ

 昨日の建碑の除幕式、各紙朝刊に載る。

 読売と朝日、京都新聞は載らなかったと思ったら、夕刊に載った。朝日以外は僕も写真に入っていたが、いずれにも名前は載らなかった。ま、いいか。縁の下のなんとかだ。

 昨日の篤姫、ひどかった。とくに小松帯刀の京都妻。目をそむける描きかただった。

 せっかく「のだめカンタービレ」のパロディみたいな、龍馬と小松のツーショットだったのに、小松の京都妻のどたばたで台無しに感じた。

 ものすごいスピードで進んでいる。時間がたりないからだろうが、「想像妊娠」だけであれだけ時間をさいて。あれはいらんやろ。

 来週のドラマエンディングの「篤姫紀行」で、7月建立した小松帯刀寓居参考地の標石が紹介される。楽しみだ。

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2008.10.05

龍馬の妻お龍の実家跡に建碑がなされた

Dcf_1402b 本日、京都市内に初の「龍馬の妻お龍」の石碑が建った。

お龍の実家、楢崎家跡を示すものである。

場所は中京区柳馬場三条下ル東側「晃庵」という店の前。

午前11時から除幕式。

約60人の参加者があった。

 感激である。

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2008.10.03

『京都の江戸時代をあるく』がやってきた

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 拙著『京都の江戸時代をあるく―秀吉の城と龍馬の寺田屋伝説』(文理閣、1890円)が拙宅に届いた。

 「第3子」である。感慨ぶかい。「平成の『寺田屋騒動』」の根拠になった内容がふくまれる。

 10月10日(金)、書店に並ぶ予定だそうです。

  みなさんにかわいがってもらえるだろうか。よろしくお願いいたします。

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2008.10.02

東京にいっておりました

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 わけあって東京に行っておりました。

 昨夜は某幕末史研究会に出席。町田明広氏の寺田屋事件に関する実に興味深い報告に接した。

 身内の研究会で参加者少なく、町田さんに申し訳ないぐらいだった。

 本日は午前中S社のYさんと、某出版物の今後についてご相談。お目にかかってお話ししてよかった。展望がみえた。

 早く帰城(山城国に帰る)して次の仕事を進めるべきなのだが、せっかく東下(関東へ下る)したのだ。1~2の史蹟はまわっておきたい。ただでさえ東京の史蹟巡りは不足しているのだから。

 まずは篤姫の墓参に、上野寛永寺へ。もちろん初めてではないが、今年はさんざんにお世話になったので、お礼も兼ねて。

 扉がしまっているので塔の前にはたてないが、遠望して合掌する。

 ついで小石川後楽園に。こちらははじめて。水戸徳川邸跡。すばらしい庭園だった。いっぱい京都の名勝が模してあった。舟入も残っていて、とても気に入りました。

 ここが藤田東湖終焉の地と知っていた。徳川家光がよくきたとか、吉宗が模そうとしたができなかった橋があるとか、全然しらなかった。

 僕にとって小石川後楽園は、安政大地震によって、藤田東湖が母ともに圧死したところという思い入れがつよかった。

 だから今日はじめて記念碑をみれた。気になっていたことをこなしたみたいなうれしさがあった。

 が、はっときづいたのだが、今日10月2日はその祥月命日ではないか。安政大地震の日。

 もちろん安政2年10月2日は旧暦で、現暦に換算すると1855年11月11日で、実際は別の日なのだが、やっぱり数字の一致はめずらしく、驚いた。機縁だ。

 つづいて伝通院へむかった。

 恥ずかしいが、こちらも初めて。いろいろ思い入れのあるところ。家康母の菩提寺だし、清河八郎の墓所だ。

 そしてなにより新選組となる連中が集合し、ここから京都へむかった場所。門前にそのとき集まった塔頭跡だという解説板と、当時のものかわからないが門前の標柱が残されていた(写真)。けっこう感激。

 が、実は一番思い入れ深かったのは、沢宜嘉の墓所だったこと。また恥ずべきことだが、知らなかった。

 七卿のひとりで、但馬生野の乱の首領である。こんなところにおられたのか。「生野の変」は先日も名古屋・栄中日文化センターでとりあげた。

 大和天誅組の乱と但馬生野の乱へは思い入れがふかい。これを書くまで死ねないと思っている一つだ。ゆかりの地はけっこう歩いた自覚がある。

 なのに、沢の墓所がこことは知らなかった。清河八郎の墓参とは異質な思い。立ち去りがたかった。二度とこないかもしれないから(そう思ったところは、必ず二度来る)。

 ちかくに徳川慶喜最後の住居跡がある。帰りが遅くなるが、足を延ばした。終焉地でもある。それを示した表示板があった。

 その地は最近、私立大学が入手したらしい。埋蔵文化財調査中だった。慶喜邸の実態を明らかにするのだろうか。

 午後9時、家に帰り着いた。もよりの駅にお迎えがあった。楽して帰れた。ありがとうございました。

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