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2008.09.22

広隆寺と南禅寺金地院になぜ三宅碑が建つか

9/21(日)はれ時々あめ

 嵯峨野学藝倶楽部に出講。「平成の寺田屋騒動」について濃厚なコメントをしたのち、三宅碑のはなし。

 今回は広隆寺と南禅寺金地院について。南禅寺金地院は現存碑が後世のもので、当時のものは失われたこと、金地院に碑が建つのは父安兵衛の墓があること、それは次男安次郎が洋画家浅井忠と交流があったことによるのではないかと推定しておいた。

 浅井忠の墓所が金地院ですから。

 今回、ひさしぶりに出席者が少なかった。予約を入れていてこられなかった方が多かった。午前中、大雨が降ったからか。

 夕方は5時から、木屋町三条下ルの「寺子屋龍馬」に出講(於「龍馬」)。中津川市岡家文書がいかに薩長同盟論、龍馬論に影響を与えたか、かなりあつく語った。

 終了後は恒例のたこ焼きパーティに参加。いま執着しているタレントさんのあるモノを拝受。ありがたし。

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