8/5(火)はれ

さすが夏休み。
あいた時間がでてきた。
本日は出勤の仕事まったくなし。
いくつか原稿に立ち向かう。
史料もいくつかよめた。歴史研究はひとつでも多くの史料に目を通すことが大事。
研究成果をいくら知るよりも、史料を読む方が大事。
史料をみていないものに明日はない。
『楫取家文書』1巻所載の、よく知られているであろう、久坂玄瑞の妻文宛書簡にいまさらながら感銘をうける。
妻の兄杉梅太郎(吉田松陰の兄でもある)への借金を妻文にいいわけしたもの。
「金の事、先日より梅兄へ御めんどう申上、おそれ入候へども、是もいたし方無之事とそんし参らせ候、金位にて上様の名折と武士の面目をけがし候様に相成候てはあいすまず、人にすくひを頼まれては人も助けずてはならぬ、やしなはずてはすまぬ事もあり候ゆへ、金も人並よりは沢山に入申候、これは兄様へもよろしくおんことはりなさるへく候」(年不詳〈文久元年[1861]か〉4月3日、119~120ページ)
【意訳】「借金のこと、先日より梅太郎兄さんへご面倒をかけ申し訳ないのだが、これも致しかたないと思っています。金ぐらいのことで、殿様の名前が落ちたり、武士の面目がけがれたりしては問題で、他人から救援を求められたら助けてあげないといけませんし、養ってあげないとならないこともありますので、金も人並みより多くいります。これは梅太郎兄さんにもよろしくお伝えください」
この意をくんで、いっしょに苦労してくれる妻がいる人は幸せだろうと思う。
なかなか思えないようで。
玄瑞の政治活動を助ける多数の人々は、この投資によって得られたと思える。
だからこの姿勢は正しかったとみてよい。
自分の横にいる人間への価値判断は、その人の能力をいいえる。
【写真解説】文の実家、杉家〈山口県萩市〉。この手紙はここで読んだのだろう。1983年3月25日、15歳5ヶ月当時の中村武生が撮影。