木屋町御池と大谷大学で史蹟論
7月19日(土)
朝から暑い。
京都民報社主催で、木屋町御池界隈の幕末史蹟をあるくイベントに従事。
いつもながら、建碑により史蹟は認識されるという視点(史蹟論)での解説。
すると主人公は幕末志士などではなく、建碑主体者たる近代の人間。
たとえば京都市教育会(寺井萬次郎)だったり、新三浦(白井凌三)だったり、京都高知県人会(川本直水)だったり、三宅清治郎だったり。
マニアな内容である。
それでもついてくださる方々。ありがたし。
暑さと重さにへろへろになりながら、すこし休憩。
午後は2時から、大谷大学で生涯学習講座。
「なれなかった天皇陵」というおはなし。
山田邦和博士から教えていただいた、北区紫野の「衣掛塚(きぬかけつか)」という、近世の地誌にも書かれた旧蹟が主人公。
これ実は近世後期の文化年間、天皇陵候補だった。
が、見捨てられて、しかし破壊もされず現存しているという奇跡。
これを、そもそも天皇陵は根拠なく治定(じじょう)されるものだという、考古学などの成果をふまえて、「史蹟はつくられる」というあいかわらずの中村史蹟論にもってゆく。
ついでに最近立ち上げた、市民団体「京都歴史地理同考会」(理事長中村武生)の建碑事業を紹介。
「内緒」だといって、第1号碑除幕直前写真をお見せする。
建碑による史蹟論の研究者が、みずから主体的に、しかも組織的な建碑を行おうとしている。
他の団体の建碑事業にも監修として参加もしている。
この功罪は後世問われるにちがいない。
| 固定リンク

