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2008.07.20

木屋町御池と大谷大学で史蹟論

7月19日(土)
 朝から暑い。
 京都民報社主催で、木屋町御池界隈の幕末史蹟をあるくイベントに従事。
 いつもながら、建碑により史蹟は認識されるという視点(史蹟論)での解説。

 すると主人公は幕末志士などではなく、建碑主体者たる近代の人間。
 たとえば京都市教育会(寺井萬次郎)だったり、新三浦(白井凌三)だったり、京都高知県人会(川本直水)だったり、三宅清治郎だったり。

 マニアな内容である。
 それでもついてくださる方々。ありがたし。

 暑さと重さにへろへろになりながら、すこし休憩。 

 午後は2時から、大谷大学で生涯学習講座。
 「なれなかった天皇陵」というおはなし。

 山田邦和博士から教えていただいた、北区紫野の「衣掛塚(きぬかけつか)」という、近世の地誌にも書かれた旧蹟が主人公。

 これ実は近世後期の文化年間、天皇陵候補だった。
 が、見捨てられて、しかし破壊もされず現存しているという奇跡。

 これを、そもそも天皇陵は根拠なく治定(じじょう)されるものだという、考古学などの成果をふまえて、「史蹟はつくられる」というあいかわらずの中村史蹟論にもってゆく。

 ついでに最近立ち上げた、市民団体「京都歴史地理同考会」(理事長中村武生)の建碑事業を紹介。
 「内緒」だといって、第1号碑除幕直前写真をお見せする。

 建碑による史蹟論の研究者が、みずから主体的に、しかも組織的な建碑を行おうとしている。
 他の団体の建碑事業にも監修として参加もしている。

 この功罪は後世問われるにちがいない。

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