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2008.06.29

京都の幕末史情報の出典不明記の現状をなげく

6/28(土)あめ
 昼から大谷大学の生涯学習講座に出講。
 先週から始まったので、今回2回目。

 60人ほどのご参加。
 主テーマは「京都の江戸時代の大事さを考えよう」である。

 今回はいつもの御土居堀と「是より洛中」標石。
 建石の直後で、タイミングばっちりである。
 
 終了後はいつもの受講者と喫茶。
 雨がつよくなってきたころ、解散。

 夕方、必要な家具が格安で販売されていることを知り、閉店まぎわに駆けつけて速攻購入。
 スピーディであった。

 何事もこうありたいものだ。

 龍馬の妻お龍とされてきた古写真の鑑定結果について、某所に書くことになった。
 それにともなって、京都のある古典的古写真研究書を古書店で購入。

 今日届いて読んで驚いた。
 疑問に思っていたいくつかの有名なはなしのネタもとがこれだと分かったから。

 なんとなあ。
 恥ずかしいですわ。
 こんな有名な本をよまず、「わからんなあ」と思っていたのが。

 でも不勉強も恥じますが、どう頑張っても見落とす文献はかならずあります。
 つまりは京都の幕末史情報が、いかに出典不明記で出回っているか。

 実はそれが最大の問題なのだ。
 これからそれを是正していかないといけませんわ。
 
 と、思ったしだいです。

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2008.06.26

京都大仏と大名屋敷解体を考えた

6/25(水)はれ
 午前中、京都女子大学へ出講。
 PCの調査がわるく、まともな授業ができなかった。反省。

 それでも感想文はいつもながら読ませるものばかり。
 たいしたものだ。

 終了後、受講生(でも実は昨年単位取得ずみ)のFさんから、豊臣期京都につきご質問。
 本格的な質問はめずらしいので、まじめに考えてみる。

 京都の大仏のこと卒論にされる由。
 河内将芳さんの近著をご紹介する。

 場所をうつす。
 同学生Mさんの調査報告をうかがう。
 前回、総合資料館に閲覧にいってから、わずか10日弱。 
 それにもかかわらず、ていねいな整理がなされていた。
 
 まじめなお仕事に感心。
 ひきつづき頑張ってください。

 夕方、佛教大学へ。
 今日は前回より大目。
 前回とちがうネタ。

 次回は巡検です。
 休まれた人々、出歩く用意をしてきてください。
 
 しめきりすぎた仕事、完成させるため、夜は家にこもる。
 はたしてできるか。

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2008.06.25

是より洛中標石再現の意味を述べた

6/24(火)はれ
 基礎からまなぶ日本歴史に出講。

 今朝の朝刊の記事をうけて、「是より洛中」標石がなぜ大事なのか論じる。
 もう1点は、その2日前に特集された「応仁の乱ではさほどの被害はなかった」みたいな新聞記事。
 これをとりあげて、解説する。

 よい連載ですね。
 前回は本能寺でした。
 毎回楽しみにしております。

 本日は京都女子大学の現役生、3人も受講。
 室内、活気付く。
 どうぞまたきてください。

 いつものNさんからお祝いの和菓子(水無月)をいただく。
 お気遣いありがたく思いました。
 
Photo

 夜、いつもの木屋町三条「龍馬」にたちよる。
 予想通り、「えらいこっちゃ」が動いていた。

 思いがふかい。

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2008.06.24

是より洛中標石、続報

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 昨日の記事。
 いつもと意味がちがうと感じられた方が多数あられたようで、驚くほど多くの方から祝辞メールが届いた。
 ありがとうございます。

 今朝の京都新聞朝刊24面(市民版)に写真入りで報じられていた。
 市民版だから八幡・田辺など郊外版には載っていないかも。

 写真は昨日の除幕直後の様子。

 念のため銘文を以下にそえます。

【表】是より洛中荷馬口付のもの乗へからす

【左側面】此付近は江戸時代の「京の七口」のひとつ丹波口である。当時の京都には、都市全体を囲む城壁・環濠の御土居堀があったが、町奉行所は当地を含むその出入り口など約三〇ヵ所に本銘辞を刻む標石を建設した。すなわちここから東が同時代の京都(洛中)であった。(歴史地理研究者 中村武生)

【右側面】平成二十年五月吉日
       京都五月村クラブ建立

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2008.06.23

監修第1号の建碑なる

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 本日午前11時、
 京都中央卸売市場正面入り口ちかく(下京区新千本七条)、すなわち近世の丹波口跡に、
「是より洛中」標石が建てられた。

 近世に建てられていたものがいつのまにか消失していた。
 それをこのたび復興したのだ。

 建立者は京都五月村クラブ。
 僕がコーディネートした初の紀念標石である。
 意をくんで実現に尽力くださった、代表A野さん、元代表W田さんをはじめとする京都五月村クラブのみなさんに感謝申し上げる。

 ほらふきがほらふきでなくなった瞬間である。
 キャンパスプラザなどのいつもの受講のみなさんが多数集まってくださった。
 中村武生の「お目付け役」を自認なさるE原さん、予備校生のとき御世話になったK藤さんとは「やったなあ」と握手した。

 感激である。

 実は、拙著『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター、2005年)にすでに「夢」を記していた(182-183ページ)。
 この地に「是より洛中」標石が再現できないものか、と。

 このページに、近世丹波口跡そのものズバリの地の現況写真も入れた。

 わざわざ娘を連れて行って撮った写真である。

「あなたをわずらわせたかいあって、父は夢を実現しましたよ」。
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2008.06.22

江ノ島で京都の篤姫をかたり日帰り

6/20(金)くもり
 朝9時、同志社大学に出講。

 昨日のこと伝える。
 喜んで受け入れたもよう。
 帰ってきてよかったと思えた。
 ありがとうございます。

 長井雅楽の航海遠略策と、島津久光の東上を論じた。
 
 その足で京都駅へ。
 江ノ島へむかう。

 午後2時すぎ、江ノ島で「篤姫の京都」論。
 不思議な活動。

 江ノ島は初めて。
 龍の口の日蓮聖蹟、龍口寺の前をとおりながら参拝できなかった。残念。

 宿泊せず、すぐ帰路につく。 

 もっともちかい新幹線駅は「小田原」だと知り、そこから乗るが、失敗だった。
 
 こだましか停まらない。名古屋まで2時間もかかってしまう(のぞみなら新横浜・京都間が2時間)。
 しかも超満員で自由席が座れない。

 たっていられないので、やむを得ずグリーン車に乗った。

 すばらしい。
 静かだ。
 勉強する気になる。
 長旅が楽しくなった。

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2008.06.20

同志社大学の学生さんを大事にしたかったのだ

6/19(木)雨
 某所の古本市、また行き忘れた!
誘ってくれたK野君(D志社大学)、申し訳ない。

 名古屋に出講。
 栄中日文化センターの「日本の城と合戦」、「京都学ことはじめ」両講座。

 いつもながら前者は40名ちかくの受講者である。すごい。
 専門ではない講座の方が受講者が多いというこの現象、考えなければならない。

 オリジナリティ豊かな内容の方がうける、という意識は、一般の求めているものと異なるということだ。
  
 ちなみに今回とりあげた城は、摂津有岡城(せっつ・ありおかじょう)なので、専門領域である。
 摂津有岡城は惣構(そうがまえ)をもっていることで知られる。

 惣構(そうがまえ)論は、中村武生の大事な専門領域である。
 忘れられがちだが。

 あ、そういえば、京都学講座もミヤコの惣構(そうがまえ)のはなしだった。
 偶然だ。ねらってないと思う(企画書を書いたときの記憶がない)。

 担当Oさんから10月講座の打診をいただいた。
 ありがたいことである。
 
 Oさんからはじめてメールをいただいたのが、2003年6月12日だった。
 たまたまこの日は一生忘れられないできごとがあった日だった。
 地獄に仏とはこのことか、と思った。

 それ以来、ずっと講座をいただいている。
 もう六年目だ。

 明日、江ノ島(神奈川県藤沢市)で講座がある。
 日帰りで行こうと思っていたのだが、勧める人があったし、名古屋と江ノ島は同じ方向だし、前日宿泊することにした。
 数日前、横浜に宿をとった。

 が、今日、名古屋に来てきづいた。
 「明日、朝1番に同志社の講義があるやん」。
 絶句した。
 なぜそんなことに気づかなかったのか。

 臨時休講にする手もあったが、「せっかく大学に来たのに休講かい、先週いうとけや」と思われるのが予想できた。
 それは無責任というものだ。
 自分が学生だったときの記憶がある。
 なるべくしてはいけない行為だ。

 で、名古屋から宿にキャンセルの電話をした。
 キャンセル料は宿代全額で、来週現金書留で送らないといけない。
 が、これでよかったのだ。

 へろへろになりながら帰洛。
 またまた木屋町三条「龍馬」へ。
 
 女将お龍さんからメールがあり、常連客の「変態ブタゴリラ」さん(コードネーム)から僕宛にステキな贈り物があると聞いたから。
 拝受しました。いつもありがとうございます。心より喜んでおります。

 ここで大事な仕事をする。
 ある文章を書く。
 店主赤尾さんに渡す。

 いつになく赤尾さん、緊張の顔。
 ことの重要性を再認識なされたか。
 
 しばらくして退出。
 
 帰っても仕事。
 あるモノをスキャニングして、赤尾さんに添付ファイルで送る。

 明日も仕事、早いなあ。
 疲れきっているが、なんて楽しい日々なのだろう。

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2008.06.19

信じられないものをみていた

6/18(水)はれ
 午前8時50分、京都女子大学に出講。

 先週の僕の「目玉」を伝えなければならない。 
 先週のみなさんからのコミニケーションカードにお返事をしないといけない。
 講義すべき内容も進めなければならない。

 とてもとても1時間半ではたりなくて。
 ついつい早口になる。
 「ほとんど息継ぎをしていない」と今回のカードにあった。

 なるほどなあ。
 そんな気がする。
 それではいかんが、思いは伝わっているらしい。

 つづいてキャンパスプラザへ。
 午後0時30分、くずし字入門。

 いつもと曜日がちがうせいか、出席者少々少なし。
 「板倉の条々」を読む。
 文字は読みやすいのだが、内容は難解と思われた。

 このあたりで疲れはてる。
 途中で栄養ドリンクをのみ、電車のなかで仮眠をとり(数分)、北上。

 1時間ほど自宅で休憩したのち、午後4時10分、佛教大学へ出講。
 すこしエネルギー回復。

 折れて移動した、ある石の道標のことをお話。
 K岡市文化資料館のK林さんからいただいた御題。

 銘文から旧所在地を推定し、地図上におとすという作業をしてもらう。

 おどろくほど賢い子がいる。
 ものの数分で場所を指摘された。

 かといえば、等高線と道路のちがいがわからない子もいて。
 非常におもしろかった。

 講義はこういう少人数でしないとだめだ。
 ちなみに今日は6人。
 前回は2人だったので、3倍になった。

 終了後、木屋町三条、いつもの「龍馬」へ。
 午後6時半、ある会議はじまる。

 おそるべきものをみる。
 絶句。言葉にならない。

 こんなものを生でみている自分が信じられん。

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2008.06.18

蔵書100余冊を各100円で放出した

6/17(火)はれ
 キャンパスプラザに出講。
 本日から戦国期。
 鎌倉府の対立から北条早雲登場のはなしをした。

 転居のため、荷物を整理すべく、蔵書のうち100余冊を放出する。
 すべて1冊100円にし、売上金はみな建碑費に寄贈した。
 1万円以上の収入となった。ご協力ありがとうございます。

 夜は友人H氏から食事に誘われたので、旧宇治郡D村にでかける。
 野菜いっぱいで、体が喜んだことでしょう。

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2008.06.17

京都大名屋敷の解体過程の研究を助ける

6/16(月)はれ
 大谷大学に出講。

 まえおきは「若き日のお龍」写真の検討。
 先月中旬、各新聞をにぎわせた記事について、自説を展開。

 本題は、大学周辺の天皇火葬塚の意味について。
 紫式部墓も検討対象にした。

 いつもの中村の「史蹟はつくられる」論。
 
 おもしろがっているのか、つまらないのか、よくわからなかった。
 残念だ。
 もっと反応してほしい。

 府立総合資料館へ移動。
 ながく休館されていた。
 ひさしぶりだ。

 K都女子大学のS口M宏さんから依頼を受け、そのゼミ生Mさんの卒論を少し助けることにした。

 明治維新期、京都の大名屋敷の解体過程の研究である。
 僕がながくしたかった研究の一つである。

 いいきっかけなので、夢を託すとともに、僕も勉強しようと思った。

 で、当館蔵の京都府庁文書の大名屋敷処理の史料をまとめてみる。
 いつもながら、松田万智子さん、福島幸宏さんの手をわずらわせる。
 おかげで、たいへんスムースにすすむ。
 ありがたいです。

 歴史資料課の閲覧室には、友人U田C尋さん(近世史)がおられ、再会をよろこぶ。
 
 おびただしいコピーを依頼し、退出。

 Mさんとわかれ、旧宇治郡へむかう。
 転居予定地の内部をみせてもらう。

 まもなく書庫に着手。その底部にレールをひく。
 その前に、どのていど基礎を堅固にしてくださったか見たかった。
 
 洛中へUターン。
 いつもの木屋町三条「龍馬」へ。
 また「龍馬プロジェクト」を検討する。

 夜、大事なお客さん来店。
 「夢」の話をする。

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2008.06.16

【案内】長州屋敷跡などをめぐるイベント

 既報の、長州屋敷跡である広誠院の特別公開と、木屋町三条付近の幕末史蹟めぐりの告知がなされました(講師、中村武生)。
 詳細は以下の京都民報社のサイトを御覧ください。

http://www.kyoto-minpo.net/kouenkai/bakumatu.html

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2008.06.15

明治維新史学会で武州に下る

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 明治維新史学会(於青山学院大学)で武州に下っておりました。

 2日間、勉強になりました。
 とても楽しかったです。

 いろんな意味で御世話になったみなさまへ、心より感謝申し上げます。

 K野S人さんは6/13(金)に木屋町三条(京都市)でお目にかかったのに、15日(日)、渋谷(武州)で歓談した。
 なんということだ。

 写真はハチ公。
 恥ずかしながら、はじめて参観しました。

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2008.06.14

「龍馬」にわいた

6/13(金)
 目がまわるほどとびあるいた。

 京都国立博物館でM川T一先生とおめにかかり、あるものを拝見したのはそのほんの一部。

 夜、いつもの木屋町三条下ルの「龍馬」で、おそるべき集会あり。
 2010年をめざして「信じられないこと」を論ずる。

 「可恐(おそるべし)、可恐」。

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2008.06.12

山科本願寺・寺内町を考える市民の会の明日を考えた

 6/11(水)くもり
 朝1番、京都女子大学に出講。
 あいかわらず楽しかった。

 昨年の受講者がちらほら。
 ありがたいことだ。

 「来年もうけます」といって、受けられたためしがなかった。

 今年は京都女子大学、同志社大学で昨年受講者にふたたびあう。
 うれしいことだ。

 午後から基礎からまなぶ日本歴史。
 特別バージョンだったからか、すこし人は大め。

 つづいて建碑の打ち合わせ。
 すでに掲示した、「是より洛中」標石の件。

 急に現地に行くことになった。

 まだ建ってはいない。
 最近「源氏物語千年紀」の関係で、こちらの建設予定地のちかくに「西鴻臚館(にし・こうろかん)跡」の解説板が建った。
 その兼ね合いをみるために。
 まったく問題がないとわかった。

 つづいて喫茶店に入る。

 きたる7月13日(日)と7月19日(土)に、「河原町長州屋敷」にまつわる講演と、現地見学会をする。
 タイトルは「幕末史における長州毛利屋敷―広誠院の特別公開と木屋町幕末史蹟めぐり」(主催、京都民報社)。

 その告知チラシの原稿チェックの返事が遅れていた。
 至急ほしいみたいな感じだったので、喫茶店でチェックをし、ケイタイメールで送信した。

 参加は先着順ですので(初日は40人。二日目は20人)、おはやめに(有料)。

 横で総務のK畑さんが女将(おかみ)と世間話をしていた。
 K畑さんと何するわけでもなく、ほんとうに待っていたただいただけで、別れる。
 コーヒー代だけごちそうになって。ほんとうに申し訳ありませんでした。

 K畑さんは京都駅付近にもどられる。
 建碑のことでメンバーと打ち合わせ。

 こちらは佛教大学へ出講のため北上する。
 グッドタイミングで206番市バスに乗れる。

 午後4時10分、講義開始。
 本日の受講者、たった2人。どうなっとる。
 この2人は皆勤だ。すばらしい。

 また千本鞍馬口あたりをあるきたおす。本日は東入ル地区。
 楽しいなあ。
 郵便配達の兄さんに負けないぐらいこの地域の地形がわかってきたのではないか。

 そのあと洛東山科へ。
 午後7時から、山科本願寺・寺内町を考える市民の会の事務局会議。
 
 この会1997年に創立した。
 もう12年目。

 この間、いろいろなことがあった。
 山科本願寺・寺内町跡の一部の国史跡指定をみた。
 和島誠一賞も受賞した。

 が、いつまでも同じ形ではいられない。見直しのときがきた。
 その会議。

 よい方向にむいていけそうな予感がした。
 また僕がキャップにならないといけないが。
 もうすぐ山科のある旧宇治郡の住民になる予定だし、よいことと思われた。

 終了後、K野k之先生のお誘いで、川端泰幸博士、k田さんと懇親に行く。

 僕以外、全員kさんだ。
 はじめてきづいた。
 だからどうした。

 エライ人といると、エライ空気をもらえてよい。
 今日も賢くなれた(気がした) 。
 ありがとうございました。

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2008.06.11

元気なのです

 更新滞り申し訳ありません。

 病気はしておりません。
 元気です。 

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2008.06.07

大河「龍馬」にむけていろいろあり

 6月4日午後2時、恒例の池田屋事件戦死者の法要が、左京区岩倉花園町の三縁寺で行われた。
 当然、出席した。
 
 今年は京都龍馬会メンバー5人がおこしだったので、にぎやかになった。
 それで計8人。いかにいつもさみしい会かお分かりいただけよう。

 子孫はもうひとりも来れていない。
 大高忠兵衛の子孫の方はながくおこしだったが、ご家庭のご都合で2年連続断念されている。

 ←京都龍馬会のブログに参加者6人の紀念写真が載っている(撮影は京都龍馬会のT吉氏)。

  僕が映っていないのは、先に帰ったから。
  午後4時10分から、B教大学(京都市北区)の講義があったので。

  その日以来、「えらいこっちゃ」ということが相次いでいる。
 「まさか」と思っていたことが実現にむけて動いている。

 昨日、京都龍馬会本部に行き、そのことを聞かされた。
 原則酒を断っている僕が驚きのあまり深酒をしてしまった。
 それほどだ。

 大きなきっかけは、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」決定だ。

 そのうちいろいろ明らかにされていくだろうが、とにかく楽しくってしようがなくなった。
 生きてきてよかった、みたいな感じだ。

 いますべきことをしっかりしよう、そう思えた日でもあった。

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2008.06.05

再来年の大河は「龍馬」に決定

速報です。
 2010年のNHK大河ドラマは、福田靖氏脚本「龍馬伝」に決定したと報じられました。

 1968年(昭和43)以来、40年ぶりの龍馬主役の大河となります。
 
 中村の龍馬論は、2009年秋には刊行せよと、S社のUさんから指令がきそうである。

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2008.06.04

御土居堀ものがたり、重版となる

6/3(火)あめのちくもり

 拙著『御土居堀ものがたり』の重版が出たと知った。
 購入された方から聞いた。

 これも初版を買ってくださったみなさまのおかげです。
 ありがとうございました。

 若干の訂正をいたしました。
 よろしければ重版もお買い上げください。

 申し訳ありませんが。

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2008.06.03

中村武生のFM番組が開始されます

6/2(月)あめ
 午前中、大谷大学に出講。

 天気がわるいからなのか、受講者すくなし。
 次回はまた巡検です。
 歩きやすい履き物できてください。
 
 河原町三条へ出る。
 あるインド料理屋に喫茶に行く。

 兄妹のように親しくしていたH嘉M子さんが勤務しているから。
 お元気そうでなにより。

 午後2時すぎ、京都三条ラジオカフェというFM放送局に入る(FM79.7)。

 今月から僕のFM番組が始まる。
 なづけて「中村武生の京都歴史探偵」。

 その収録のため。

 毎週木曜日の午前10時30分から33分まで、3分間の番組。
 6月5日がその第1回。 

 無責任に、だらだらと京都史のマニアネタをのべていく予定です。

 さすが第1回放送分は緊張した。
 あとから聞きなおしたがすこし声がうわずっているようだ。

 第1回は「ごあいさつ」。
 第2回(6月12日)は、本能寺。
第3回(6月19日)は、近世京都の範囲
 第4回(6月26日)は、池田屋事件

について、だらだら語りました。

 ぜひご視聴ください。

 夜はいつもの「きなこの会」に出講。
 室町通のなりたちについてお話。

 早く終わらせるつもりが、K久さんの熱意にずるずる長引いた。
 ええんかいな。

 うちにはラジオも、カセットテープレコーダーも、MDプレーヤーもない。

 自分の声さえ聴けないので、今日買った。
 画期的な日になった。

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2008.06.02

上七軒の芸舞妓おふたりとおでかけ

6/1(日)はれ
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 今日は豪華な日。

 上七軒の芸妓K江さん、舞妓K瑠さんとおでかけ。
 
 だいぶ以前から伏見稲荷社を参拝したい、連れて行ってほしいと望まれていた。
 話題が出てからちょうど1年。
 ようやく実現した。

 お昼は木屋町三条に帰ってから。
 おいしいお蕎麦屋さんで。

 寺町三条の「スマート」で食後のコーヒーも。
 スマート、行き過ぎているようで、領収書を御願いしたら何も言ってないのに店員さんに「あて先、中村さんでいいですか」といわれた。
 常連さんになってしまった。

 スマート前で解散。

 のつもりが、K瑠さんが地下鉄での帰り方がわからないという感じだったので、地下鉄今出川駅まで送ってゆく。

 それもあわせて楽しかった。
 
 帰宅して、昼寝して、夜また原稿。
 しめきりぎりぎりのものがある。
 しんどい。

 「篤姫」をみる。
 家定、フィクション、やりすぎ。
 愚昧でも智恵遅れでもないが、英邁は無理です。

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2008.06.01

「お龍の写真」科警研成果のこと

5/31(土)あめのちくもり
 名古屋市の栄中日文化センターに出講。

 一昨日につづいて、また名古屋。
 
 新選組の手紙を読む、という講座。
 受講者、とても多い。数えたことないけれど。

 池田屋事件をするはずが、池田屋事件直前で終わる。
 またか。

 さっそく来週、またある。
 記憶にとどまっているうちに再開できるのは幸い。

 受講者数名と喫茶。
 先日、新聞などで報じられた、龍馬の妻お龍の写真の科警研の成果が話題になった。
 
 僕はまだ結論を保留にしていたい。

 残念ながら歴史研究者は科警研の成果の是非が問えない。
 報告書の内容を吟味し、評価を与えられる理系の第2、第3の研究者の出現をまつべきだと思っている。

 ただ同席されたお龍の年譜研究者、F橋A子氏から、「お龍は若いとき写真を撮らなかった」というはなしは信用できる史料では裏付けられないという指摘があり、驚いた。

 もしそれが正しいなら、「お龍の写真」否定説は根拠のひとつを失う。

 「お龍の写真」を評価してこられた宮川禎一氏でさえ、根拠をあいまいにしておられる(『龍馬を読む愉しみ』、158ページ、臨川書店、2003年)。

 きづいておられたなら、否定材料につかえたわけだから。
 これは正直盲点だっただろう。

 夕方、京都へとんぼ帰り。
 しめきりすぎたものが、多数まっている。
 もったいないことだ。

 西尾市の近衛邸遺構をいまだ参観できていない。
 忙しいだけではない。
 つかれて行く気がしないのだ。

 京都駅では雨があがっていた。 

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