古高俊太郎から京都所司代へ移動
5/2(金)はれ
あつすぎる日。
5月2日は土佐出身の幕末志士池内蔵太(いけ・くらた)の祥月命日。慶応2年のこと。
池は龍馬の手紙にひんぱんにてでくる。
大和天誅組に参加したのち、海援隊に所属、この日五島列島沖の船舶事故で亡くなった。
慶応2年5月2日は、1866年6月14日だ。
だから厳密には本日ではないのだが、中学生のときに覚えた数字は、この年になっても忘れられない。
毎年5月2日が来ると、池の亡くなった日と思い出す。
一昨年、高知市の居宅跡ははじめて訪問できたが、いまだ五島列島の墓参はできていない。
くずし字入門に出講。
連休中というのに、ほとんど受講者へらず。
みなさん、熱心すぎる。
今回で古高俊太郎関係文書を一旦停止する。
もっと気楽なものを。
で、また府立総合資料館蔵「都の記」にもどる。
上巻の1から。
京都所司代歴代就任者の一覧表。
答えはバレバレなのだが、みなさん気にせずほがらかに進められる。
とにかく気楽でステキな会。
よろしければ1度、みなさんおこしください。
夕方、某所へ清めの砂をまきに行く。
こんな経験はじめて。
三軒ものブックオフをひやかし、夜は木屋町三条下ル「龍馬」へ。
いま奈良県安堵町の資料館での「三枝蓊(さえぐさ〈さいぐさ〉・しげる)展」が開かれている。
先日、地元の研究者の講演があった由。
そのレジュメをみせてもらう。
三枝は大和出身の天誅組志士で、最後は内裏に参内するイギリス公使パークスの殺害未遂により逮捕され、粟田口で斬首・さらし首にされた人物。慶応4年2月30日(1868年3月23日)のこと。
この事件に震撼した木戸孝允は、修正中の「五箇条の御誓文」に、「旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ」の一項目を足したとされる(4条目)。
旧来の陋習、すなわち外国人排斥(攘夷)を国是としないことの宣言である。
三枝蓊、無名かも知れないが、司馬遼太郎の短編小説「最後の攘夷志士」の主人公である(『幕末』所収、文春文庫)。
天誅組や「攘夷」に関心のある僕は、三枝をけっこう気にしている。
研究は少なく、吉見良三「三枝蓊の人と作品」が比較的最近のまとまった成果といえる(『霊山歴史館紀要』10号、1997年、85~99ページ)。
今日は天誅組のネタがふたつもあった。
連休中、すきをみて訪館予定です。
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