« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008.05.31

「是より洛中」標石を復興します

5/30(金)はれ
 午前9時、同志社大学に出講。
 以前、受講者から依頼のあった、大河ドラマで取り上げた人物や団体の信用できる文献一覧をつくって配布する。
 2004年の「新選組!」から今年の「篤姫」まで。
 昨年の「風林火山」をのぞいてすべて試みた。

 その解説だけで時間をとった。
 が、けっこうおもしろかった。うけたみたい。

 午後からくずし字入門に出講。
 「京境」、すなわち京都の境界を示した江戸中期の記録をよむ。
 「京境」と「洛中」の範囲のちがうことを示す。

 「京」って、「洛中」ではないのですね。
 
 「洛中」の範囲は、「是より洛中荷馬口付のもの乗るべからず」の標石の位置によってわかる。
 このあたり、ていねいに整理すべきだろうと思う。

 そのためにも、いま現地にすべて失われた「是より洛中」標石復興を進めてきた。

 いってみるものだ。
 このたびその第1基目が建つことになった。

 京都五月村クラブが、僕の思いをうけて、その15周年紀念イベントとして建てられることになった。

 近世「丹波口」跡付近だ。

 現、新千本七条の京都中央卸売市場入り口ちかく。
 きたる6月23日(月)午前11時、除幕式をおこないます。
(先日まで「午後11時」にしていて失礼しました。誤りです)
 
 よろしければおこしください。

 夕方、京都民報社へ。
 7月におこなわれる、同社主催の講演会・見学会の打ち合わせ。
 
 終了後は、親睦会をしてくださる。
 楽しくありました。

|

2008.05.30

能楽師河村隆司さんを悼む

5/29(木)あめのちくもり
 名古屋の栄中日文化センター出講の日。

 友人のおとうさまにして、能楽師の河村隆司さんの本葬があったが、うかがえなかった。
 寺町の喫茶店「スマート」で、ホットケーキをごちそうになった日が思い出される。
 あることがらに怒りをもっていたとき、ぼそっと「中村さん、おこったらあきませんよ。」とさとされたことがある。
 
 お電話をいただいて、菩提寺の名士のこと、熱っぽく語られたこともあった。
 ご冥福をこころよりお祈り申し上げます。

 1年ちかくなるべく酒をひかえている。
 人との交流では少しなら飲むようにしている。
 が自宅で自主的に飲むことは皆無にひとしくなった。

 ところが今週は毎日飲んでいた。
 驚くほど交流会がつづいたからだ。

 金曜日、友人H氏に誘われて飲んだ。
 土曜日、京都龍馬会の総会で飲んだ(既報)。
 日曜日、平安京・京都研究集会の懇親会で一杯だけ飲んだ。
       たまたま同じ店にいた京都民報社の会にもすこし顔を出して、気持ちだけ飲んだ。
 月曜日、ジパング倶楽部の担当者Y田M紀さんとイベント終了前夜の打ち上げをした。
 火曜日、ジパング倶楽部・岡山編参加の京都メンバー3人と痛飲した。
 水曜日、大谷大学の非常勤講師の懇親会で飲んだ(既報)。
 
 びっくりだ。さすがに大いに疲れた。
 今日は名古屋からまっすぐ帰り、当然酒は断ち、部屋にこもった。
 しばしの休息。

|

2008.05.29

ながーい1日。

 出歩きすぎて更新ができなかった。申し訳ありません。

 5/28(水)はれ
 朝1番、京都女子大学。
 2週間ぶりの出講。あいかわらず楽しくすごす。

 終了後、S口M宏先生のゼミのMさんがおこし。
 卒論内容につきご相談あり。
 ちかくのなじみ店でうかがう。

 先日の京都女子大学の懇親会でS口先生からうかがっていた。
 僕がたいへん興味をもち、自分でしようと思っていたことをテーマにされる由。
 なるべくお助けしようと思った。

 昼からいつもの「基礎からまなぶ日本歴史」。
 京都女子大学で、知らない学生さんから手紙をわたされていた。

 なんだろうと思うと、いつものNさんからだった。
 病気で受講でない旨のご連絡。
 他の受講の常連さんへもことづてがあった。

 なんとていねいな。
 感嘆。すばらしい。
 教室で一部を読み上げる。
 
 Nさん、どうぞお大事に。

 内容、一向一揆に入る。
 山科本願寺と寺内町を熱弁。

 次回につづく。
 そう簡単には終わらない。中村ワールドだから。

 終了後、某所の建碑のお話し合い。
 この件、そろそろみなさんにあかすときが来たようだ。
 いましばらくお待ちください。

 除幕式にはどなたもぜひおこしください。

 佛教大学へ出講。
 最近、船岡山西ふもとの地形探索のため、あるきまわっている。
 登録者たった9人なのでできること。
 実におもしろいと思っている。
 また知らなかったある「謎」がとけるのではと期待している。

 今日はゲストに亀岡市文化資料館嘱託のK林Y人氏をお招き。
 大学そばに近世の道標が落ちている。
 それを救出することをご相談にこられたので、受講生みんなで考えた。
 これまたつづく。

 K林さんと軽い喫茶をしたのち、(財)京都市都市緑化協会のK田さんの取材をうける。
 御土居堀とその啓発に関する僕のこれまでについて。

 写真家のN村さんがしゃべっている僕をたくさん撮ってくださる。
 『京のみどり』という冊子に載る。
 7月刊行予定。
 京都市役所で無料配布されるそうです。

 お車で大谷大学まで運んでくださる。
 同大の非常勤講師の懇親会に遅刻して参加。

 K野K之先生、K端Y幸先生などエライ先生方と歓談。
 山科の某問題研究、ずっと課題になっている。
 やりましょう、ぜひぜひと決まる。

 H野先生とはほぼ1年ぶりに再会。
 大事なプロジェクトをさぼってしまい、そのおわびを申す。
 また始めましょうとご意見一致。
 ぜひしたい。近世初期の京都研究会。

 いろいろ決まる。
 時間はないが、時間はつくるもの。
 寿命がみじかいので、いろいろしてはいけないが、でもだからいろいろしたい。

 K野先生のお誘いで、有志2次会へ。
 いろいろまた歓談。
 意外なコレクションをうかがったり、いやいやだからこそK野先生であるなとか、わいわいする。

 ながい1日だった。

 K野先生、5/26お誕生日だった。おめでとうございます。
 2次会の店の「おねえさん」は5/27誕生日だった。
 今日は、友人H氏のお誕生日だった。
 おめでとうございます。

|

2008.05.26

岡山に入った

 多忙のなか、岡山に入った。
 明日のJR西日本ジパング倶楽部のため。
 あっついなあ。

|

2008.05.25

京都龍馬会の総会に出席

5/24(土)あめ
 午後1時、恒例の一件のため、旧U郡O村に行く。
 また少し進んだ。

 夕方、京都龍馬会の総会にお招きいただき、参加。
 なぜかその場で本年度の監事に勧められてしまう。
 引き受けてしまったが、そんな時間や力があるのだろうか。

 総会後の懇親会中、大久保利通の忌年祭である「甲東祭」に参加中の、T京R馬会のM川M理子氏から電話ある。すごい偶然。
 同じくご参加の歴史作家のK野S人氏ともお話する。
 建碑の除幕式へのご出席を御願いする。
 今回の建碑はK野さんのご成果なくしては実現しなかったので。
 ご快諾くださる。

 夜、大雨。いっこもやまない。

|

2008.05.23

ブログランキング首位だ

おやおや。
 ブログ人気ランキング首位になっている。
 おどろいた。久しぶりのことだ。

 みなさま、感謝しております。

|

2008.05.22

角田文衛博士にお別れをつげ彦根に入る

5/19(月)はれ
 忙しかった日。

 午前9時、大谷大学に出講。
 歴史地理巡検。御土居堀跡をあるく。途中、故中村直勝邸の前で、友人K村Y子さんが通りかかるのを見た。
 思わず手をふってしまった。学生さんにウケた。

 終了後11時30分、洛中某地へ。
 建碑予定地で石屋さんをまじえて打ち合わせ。
 進んでいる。7月中旬に建設予定、というところまで来た。すごい。
 
 12時30分、油小路八条の斎場へ。
 角田文衛博士の告別式に出席。お別れにきた。

 Y田K和博士のお姿をみかける。当然だ。お弟子さんだもの。
 
 たくさんの人だった。研究者は当然だが、政治家、財界の人も多かった。
 瀬戸内寂ちょうさんと樋口隆康博士が弔辞を読まれた。
 ご遺族のおはなしで、安らかな最後と知った。
 お好みのお食事のあと亡くなられた由。

 柿の葉寿司を食されたのち長逝された末永雅雄博士(文化勲章受章者。考古学)を思い出した。
 ステキなことだ。

 お見送りしたあと、JR京都駅から新快速に飛び乗り、彦根へむかう。
 明日、またJR西日本ジパング倶楽部の巡検がある。
 先週の長浜にひきつづき。

 その下見のためにきた。
 午後4時に彦根駅についた。
 雨が降り出している。
 
 やれるところまでやるぞと歩きだし、結局、午後6時半まで歩いた。
 日がながくて助かった。

 おもしろい。彦根はおもしろいぞ。
 ホテルにもどり、到着されたばかりの担当Y田M紀さんと軽く明日の打ち合わせ。

 夜も部屋で明日の室内講義のためのスライド選択をいたす。
 めずらしく1人で部屋でビールを飲む。
 やむをえない。
 思うことがあるのだ。

|

2008.05.21

石清水八幡宮を論ずる

5/18(日)はれ
 嵯峨野学芸倶楽部に出講。
 「京都歴史講座」。また多くの受講者ご参加。ありがとうございます。
 いつもぎりぎりなのに、今日ははやめにつけました。

 本日は八幡の歴史。
 石清水八幡宮の歴史的意義のほんの一端をお話しておわる。

 次回は宇治。
 これで京都近郊ものがたりは一旦おわり。

 その次からは「京都史蹟ものがたり」。
 京都中心部と近郊に約400基ある、三宅安兵衛遺志碑の建立地のおはなしをシリーズ化します。
 またどうぞよろしく御願いします。

 終了後は恒例化している、「スマート」での喫茶。
 おいしいサンドイッチをいただく。

 夜、篤姫をみる。
 ついに輿入れ。
 アヒルを追いかけるシーンは、アフラックのCMを彷彿。
 偶然とはいえ、おもしろい。

|

2008.05.20

大事なイベントがあった

5/17(土)はれ
 ある集会があった。

 久しぶりにネクタイをしめた。

 楽しかった。意義ぶかかった。
 またひとつ進んだ。

 ご配慮くださった、浦鮨(木屋町三条上ル一筋目西入ル北側)のA立さんに感謝。

|

2008.05.19

角田文衛博士の長逝をしる

5/16(金)はれ

 朝、京都新聞朝刊の社会面をみる。

 一昨日夜の角田文衛博士の長逝をしる(95歳)。
 巨星、墜つというほかない。

 思いはとてもふかい。
 2度おなじ部屋にいさせていただいたことがある。

 大きな存在を失った。心に穴があいたようだ。

|

2008.05.18

また「秘密結社」に行った

5/15(木)はれ
 午前中、また「秘密結社」みたいなところへ行った。

 今日は日中なのでけっこう人がいた。
 「秘密結社」っぽくなかった。
 なれたということもあるかもしれない。

 今回はさほど名前も書かず、はんこもおさず、1時間ほどで終わった。
 これにより大層なモノが僕のものになった。

 昼、友人H氏に大事なモノを返却。

 夕方、木屋町三条下ルの酒場「龍馬」で、寺子屋龍馬に出講。
 今回で、はやいもので10回目。
 「幕末志士居所論」。
 
 受講者のYさんから不思議なモノをいただく。
 おどろいた。

|

2008.05.17

洛北の葬送地、蓮台野をあるく

 5/14(水)はれ
  午前中、京都女子大学。

  本日、名簿を手にした。
  実に185名の登録。絶句する。
  巡検は継続できるのか。

  講義の前の前置きがながすぎた。質問にいちいち答えているから。
  今後すこし考えないといかん。

  昼からキャンパスプラザ京都で「基礎からまなぶ日本歴史」。
  本日はNさんが出席されなかった、と思ったら同じく昨年の受講者Fさんが現れた。

  ていうか、Fさんはさっきまで受講していたじゃないか。
  昨年度単位さしあげたのに今年も受講しておられる。
  さっき京都女子大学で「さようなら」といったばかり。

  なんということ。熱心さに感心。
  Fさんは昨年、コミュニケーションカードの書体に特徴があり、よく覚えていた学生さんだった。

  本日で応仁の乱をおえた。
  ようやく戦国期に入っていく。
 
  夕方、佛教大学。
  千本北大路付近が葬送地であることを実証するため。

  当地に存在する天皇火葬塚を、山田邦和・外池昇両博士の「文化山陵図の異本」論文を片手にあるく。

  山田博士蔵「文化山陵図」の「三帝決しがたし」という土盛が、現在の近衛天皇火葬塚だと決め付ける基準として、上品蓮台寺塔頭真言院が現存することがありがたい。

  次回は上品蓮台寺12坊すべてをみてあるき、総門跡にたつ予定。

  雨ふりかけたが、ふらず。
  晴れ男の面目躍如。

  夜、友人H氏から大事なものをあずかる。

|

2008.05.14

長浜の太田浩司氏と感激の共演

5/13(火)はれ夕方からあめ
 長浜巡検。

 午前9時45分、長浜城歴史博物館に入る。

 敬愛してやまない太田浩司副参事に挨拶。
 今回初の「共演」である。
 
 太田さんの案内で、学芸員から昇格された中島新館長にご挨拶。
 母校の先輩である。もちろん以前より面識がある。

 高著を頂戴する。ありがとうございます。

 長浜は、まち全体を博物館とする構想がある。
 だからまちの各所に建碑がなされている。

 それをつよく推進したのが太田さんである。
 今回「共演」させていただき、僕の建碑欲は太田さんから甚大な影響をうけていたことにきづいた。

 太田氏をもった長浜市は幸せだ。
 きっと没後も「長浜市の太田浩司」は語りつづけられるだろう。

 建碑されたもののなかに「是より○○長浜領」という、まちの境界石がある。
 これは京都の「是より洛中」に通ずる。

 長浜はそれを30余基、このたび復元した。
 それを追っかけることを今回の主題とした。

 午後4時半までに約半数みつけ、おえた。
 終了すこしまえから降雨。ぎりぎりセーフ。
 「さすがは晴れ男、誤差の範囲です」といってもらえた。
 ありがとうございます。

 午後5時6分、長浜発。
 午後6時12分、京都駅着。

 午後6時30分、「きなこの会」に出席。
 また京都の歴史こばなしをいたす。

 3時間もおはなししてしまった。
 聴講の方々、おつかれになられたことでしょう。

 次回は終了時間をきめて始めましょうね。

|

2008.05.13

長浜に入り、歩きたおす

5/12(月)はれ
 午前中、大谷大学に出講。
 2週間ぶりは頭がまわらない。まだまだ本調子にない。
 次回は巡検です。

 午後から滋賀県長浜市へむかう。
 明日、JR西日本ジパング倶楽部のイベントで、長浜町をあるく。
 その下見のため、前日に入る。
 
 よく知った、なんども歩いたまちだし、ご案内をしたこともある。
 が、城下町案内は初めて。
 それゆえ万全をきしたかった。

 午後2時半から6時ちかくまで歩く。
 おもしろかった。
 明日の見込みがついた。

 久しぶりに外泊。
 こういう日に限って、いろいろなことがある。

 ご迷惑をおかけした方々にはおわびもうしあげます。

|

2008.05.11

旧U郡O村から北野上七軒へ

5/10(土)あめ
 午後、用事で旧U郡O村に行く。
 今週から着工予定のブツの打ち合わせ。
 
 夕方、友人H氏に送ってもらって、北野へ。
 御茶屋D文字で親しくさせてもらっているM会長のお誘い。

 えらい楽しい場をご用意くださる。
 ありがとうございました。楽しかったです。芸妓さん(K江さん)まで呼んでもらいまして。

|

2008.05.10

薩摩邸に非ず、同志社の門

5/9(金)はれ
 あっついなあ。
 まだ長袖きてる。暑がりなくせに。
 たんに衣替えがめんどくさいから。

 朝、同志社大学に出講。
 もうひとつ調子に乗らん。まだ連休ぼけか。

 前回のコミニュケーションカードのひとこと。
 「同志社には薩摩屋敷の門が残されていて」云々。

 これは事実ではないことを最近知った。
 だからそれを伝えた。

 正しくは閑院宮邸の門である。

 けっこうな衝撃を与えたようだ。
 今回のコミニュケーションカードに感想があった。

 まあ、そうだろう。僕だって知ったときは衝撃だった。
 が、予想はできた。
 なんらの物証がないのに「有名」だったからだ。

 史蹟の事実検証がいかに大事かわかってほしい。世の中、ウソだらけだ。

 昼、くずし字入門。
 また「都の記」。

 京都所司代や京都町奉行歴代の名前を読んでいる。
 単調だ。
 不評らしい。
 そうだろう。ながい間、あんなに難しいものを読んでいたのだから。
 考えます。

 夕方、ある一件の許可がおりたと連絡があった。
 来週から開始される由。

 うれしいので会う予定のなかった仲間に伝えに行った。

|

2008.05.09

篤姫のみた京都・伏見、を追っての掲載紙を入手

5/8(木)はれ
 午後から京都新聞文化センターに出講。
 また「篤姫」。

 篤姫は家定の妻としての顔ばかり知られ、次代将軍家茂の「母」としての姿があまり知られていない。

 これに注目されたのが、藤田英昭さん(徳川記念財団)「上洛中の家茂の早期帰還を求め大奥移転計画を阻止!?」(歴史群像シリーズ『篤姫と大奥』学研、2007年、70~73ページ)である。

 今回はこれをもとに展開させていただいた。

 文久3年上半期の家茂宛篤姫書簡を2通朗読する。
 政治的なことはまったくふれず、ただ家茂の大事を願い、一刻も早い江戸帰城を願う。
 ドラマが描くような政治にも関心がふかい人物にはとてもみえない。ただ「母」の姿でしかない、というようなことを述べる。

 上記書簡の釈文は大阪歴史博物館の篤姫展の図録に附属されていた。
 ありがたいです。
 
 帰途、京都民報にたちよる。
 とうとう今週号に「『篤姫のみた京都・伏見』を追って」(上)が載る。
 すでに印刷が終わっていることを知っていたので、いただきにいった。

 僕の歴代担当のAさん、Hさん、Tさんとお目にかかる。

 また仕事を引き受けてしまった。
 これでいいのか。いいのだ。

 夜、大阪へ。「秘密結社」のようなところに行き、たくさん名前をかいて、たくさん印鑑を押した。
 来週も来る予定。巨大なサギだったらこわいなあ。

|

2008.05.08

連休おわって

5/7(水)はれ
 連休が終わった。

 今日から仕事再開だ。

 まずは京都女子大学。
 2週間ぶりの教室講義。

 あいかわらずすごい人数。
 たくさん笑ってくださりありがたい。

 いつものコミュニケーションカードも楽しい。
 ええーっ、が連発の告白だらけだ。


 昼からはキャンパスプラザで「基礎からまなぶ日本歴史」。
 まだ応仁の乱がつづいている。
 6日間のヒーロー骨皮道賢や、山科七郷の抵抗のことなどお話しする。

 今週も京都女子大学のNさんご参加。
 終了後、常連の受講者、Kさん、Eさんに連れられてコーヒー店に行かれた。
 もう当会のマスコット化している。

 夕方、佛教大学へ。
 先週休みだった。
 早いなあ、もう一週間。

 船岡山周辺が葬送の地だったはなしをする。
 次回は巡検。
 
 連休あけのトリプルヘッダーはきつい。
 睡眠不足だし。

 夜は早く寝る。 

|

2008.05.07

三枝蓊展を参観した

5/6(火)はれ

080506_171433

 連休最後の日。

 奈良県安堵町へ。
 歴史民俗資料館の三枝蓊(さえぐさ・しげる)展に行く。

 たいへんおもしろかった。
 三枝蓊にこんなに史料が残っているとは知らなかった。

 「最後の攘夷志士」としてのイメージがつよすぎた。
 伴林光平の横で歌などを学んでいたこと、リアルによくわかった。
 彼の再評価にとてもよい展示だった。

 たいそうなものでなくて良い。
 今回の解説文をそのまま掲載したものでいいから、「図録」がほしかった。
 出品目録だけではおしい。ものたりない。

 その生家である大和郡山市椎木の浄蓮寺がちかいことを知り、はじめて訪問した(写真)。
 徒歩20分ていどだったと思う。

 常住している方なく、山門の外から拝んだだけだが、「最後の攘夷志士」三枝蓊(青木〈市川〉精一郎)の生家がわかるというのは感銘をうけた。

 碑もなにもない。
 大和郡山市で建碑、なんとかなりませんか。

|

2008.05.06

上賀茂神社参拝し「砂時計」をみた

5/5(月)あめ
 朝から天気がわるい。

 用事があって上賀茂神社におまいりした。
 たくさんの人がおいでだった。

 今日は競馬(くらべうま)の日だった。
 雨でたいへんだったことだろう。

 夕方、「砂時計」という映画をみた。
 僕の誕生地のある自治体が舞台地だった(島根県大田〈おおだ〉市)。

 見に行った理由はそれではないのだけれど。

 夜、雨がやんだ。
 そろそろ連休がおわる。

|

2008.05.05

伊藤つかささんとお話した

5/4(日)はれ
 タイトルどおりである。

 某所で、電話ではあったが、俳優の伊藤つかささんとお話をした。
 考えられないことであるが、事実である。

 いうまでもない。
 3年B組金八先生(第2シリーズ)に出演し、「少女人形」「夕暮れ物語」などを唄った人である。

 そのころ、たいへんなファンであった。
 部屋にはられた最初の女性タレントのポスターが伊藤さんだった。
 会いたい思いがつのって、タレントになろうと思ったぐらいである(失敗したが)。

 あれから25年以上。
 こんな日がくるとは。

 いやいや、とにかく、おどろいた。

|

2008.05.04

古書市でみつけたもの

5/3(土・祝)はれ
 郵便局に行ったついでに、すこし足をのばして左京区岡崎の勧業館へ。
 1日から古書市が行われている。

 1日以後、会う人会う人に「もう勧業館へは行ったか」と聞かれる。
 行っていないというのがくやしいので、閉店までわずか30分しかないが立ち寄る。

 こういうとき刊本には関心がうすい。
 まずは墨書の記録や文書をさがす。
 
 きっといいものがあると信じて。

 するとやっぱりあった。
 変なもの。
 
 15丁のうすい簿冊だが、おそらく幕末の江戸に滞在していた人物の日記だ。
 レジの店員も関心がわいたようで、「何の日記ですか」と聞かれた。
 
 「それはこれから考えます」とあっさりお返事。
 本当にそうだし。
 
 先日は洛中の商人の江戸後期の日記がやってきた。
 こちらは年次も記主もわかっている。
 内容も意義ぶかいものだと思っている。

 今度のは検討しないといけないことが多い。

 帰途、立ち寄った古書店では、年代不明の某所の手書きの図をみつける。
 一見、たいしたものではないように思えたが、「某所」であることが重要。

 その場所は幕末の有名な戦争の舞台地だった。

 事件から145年もたっている。
 新しい道がたくさんできたことだろう。
  
 その図には古道と新道が書き分けられていた。
 とすると、その事件関係者が通った道を推定するときに役に立つかも。

 その事件を書かずには死ねない、と公言している(注・池田屋事件ではない)。
 役割をはたすために天がこの店に呼んだのだろう。

 これを見過ごすのは愚かなことだ。

 楽しいことだ。

|

2008.05.03

古高俊太郎から京都所司代へ移動

5/2(金)はれ
 あつすぎる日。

 5月2日は土佐出身の幕末志士池内蔵太(いけ・くらた)の祥月命日。慶応2年のこと。
 池は龍馬の手紙にひんぱんにてでくる。
 大和天誅組に参加したのち、海援隊に所属、この日五島列島沖の船舶事故で亡くなった。

 慶応2年5月2日は、1866年6月14日だ。
 だから厳密には本日ではないのだが、中学生のときに覚えた数字は、この年になっても忘れられない。
 毎年5月2日が来ると、池の亡くなった日と思い出す。

 一昨年、高知市の居宅跡ははじめて訪問できたが、いまだ五島列島の墓参はできていない。

 くずし字入門に出講。
 連休中というのに、ほとんど受講者へらず。
 みなさん、熱心すぎる。

 今回で古高俊太郎関係文書を一旦停止する。
 もっと気楽なものを。

 で、また府立総合資料館蔵「都の記」にもどる。
 上巻の1から。

 京都所司代歴代就任者の一覧表。
 答えはバレバレなのだが、みなさん気にせずほがらかに進められる。
 とにかく気楽でステキな会。
 よろしければ1度、みなさんおこしください。

 夕方、某所へ清めの砂をまきに行く。
 こんな経験はじめて。

 三軒ものブックオフをひやかし、夜は木屋町三条下ル「龍馬」へ。
 いま奈良県安堵町の資料館での「三枝蓊(さえぐさ〈さいぐさ〉・しげる)展」が開かれている。
 先日、地元の研究者の講演があった由。
 そのレジュメをみせてもらう。

 三枝は大和出身の天誅組志士で、最後は内裏に参内するイギリス公使パークスの殺害未遂により逮捕され、粟田口で斬首・さらし首にされた人物。慶応4年2月30日(1868年3月23日)のこと。

 この事件に震撼した木戸孝允は、修正中の「五箇条の御誓文」に、「旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ」の一項目を足したとされる(4条目)。

 旧来の陋習、すなわち外国人排斥(攘夷)を国是としないことの宣言である。

 三枝蓊、無名かも知れないが、司馬遼太郎の短編小説「最後の攘夷志士」の主人公である(『幕末』所収、文春文庫)。

 天誅組や「攘夷」に関心のある僕は、三枝をけっこう気にしている。
 研究は少なく、吉見良三「三枝蓊の人と作品」が比較的最近のまとまった成果といえる(『霊山歴史館紀要』10号、1997年、85~99ページ)。

 今日は天誅組のネタがふたつもあった。

 連休中、すきをみて訪館予定です。

|

2008.05.02

同志社大学も休講だった

 毎週、金曜日朝1講時目に同志社大学へ出講している。
 本日だ。
 平日である、行く予定だった。

 が、ふと、まさかと思い、同志社大学のサイトをみてみた。

 驚いた。
 休講だった。

 あぶなかった。
 ゴールデンウイーク中ゆえ平日でも休講にするのは佛教大学だけではなかった。

 学校によって方針がさまざまだ。
 5大学も出講していると、キャパのせまい僕はなかなかついていけない。

 ともあれ、気づいてよかった。

|

2008.05.01

松田聖子と中森明菜、を読んで

4/30(水)はれ

 午前中、京都女子大学に出講。
 法住寺殿跡をあるく巡検、その2(B班)。

 A班とすこし違うルートをとった。
 これはこれでおもしろい。

 最後はいつもどおり後白河天皇陵。
 「大阪皇陵巡拝会」の標石のはなしができず、残念。

 夕方、佛教大学に出講。
 が、講師室まっくら。
 休講だった。

 今日は平日なのだが、連休中ということで一斉休講らしい(なぜか補講期間中)。
 へー。
 年暦表の見落としである。だから僕がわるいのである。

 実害がほとんどない大学でよかった。歩いて帰る。

 夕方から夜にかけて、しなければいけない用事がゴマンとあるが、コーヒー店で新書1冊、一気に読み上げる。

 タイトルは、中川右介氏『松田聖子と中森明菜』(幻冬舎新書)。 

 学術書ではないが、実におもしろかった。
 自分史を考える上できわめて興味ぶかかった。考えること大であった。

 著者の意図とは別と思うが、すでに自分たちが歴史のなかにいるのだと感じさせられた。

 明日からのガソリン暫定税率の復活の騒動。身近でも感じた。
 どのガソリンスタンドでも車がいっぱいだった。
 この日のこと、車を運転する方々、みなさんわりとながく記憶していると思う。

 暫定税率の復活、まもなく歴史年表に載る。
 載ったとき、ああ、あの日のことか。
 そのとき自分がなにしてたか覚えていれば、歴史のなかの自分が感じられる。
 
 一般的に歴史のなかの自分って意識しにくい。
 今回のことは政治と生活がとくに密着していてわかりやすいと思った。

 そんな日にこの「松田聖子と中森明菜」論を読んだので、よけいに感慨深かった。

 本に出てくるできごと、大半知っていた。
 なぜなら僕の青春時代そのものだから。

 で、その松田聖子と中森明菜はすでに歌謡史はおろか、日本文化史の一員といってよい存在である。
 自分の青春が歴史に位置付けられていることを感じて興味深かった。

 僕がふだん専門としている歴史地理や史蹟論って、「現代」の研究だと思っている。
 現代からの歴史学の描き方、自分の歴史叙述のあり方を考えてしまった。

 とりわけTBS「ザ・ベストテン」、「オリコン」などのデータ、松田聖子・中森明菜関係のタレント本の一節をつぎつぎと引用される叙述法は、僕らの手法とまったく同じだったので、よけいに親近感を覚えた。

 ただその典拠を僕は全く所有していないので、内容の吟味ができないのが残念。

 『夢で逢えたら』とか『聖子20歳』とか『本気だよ』とか、知っているけれど読んだことがない。
 「ザ・ベストテン」の毎週の順位をメモしていないし、「オリコン」もほとんど購入していない。

 僕は同時代の方々がいう「聖子派か、明菜派か」という議論にはまったく乗れない1人だった。
 どちらのファンでもなく、いまから振り返れば、その横にいる3番目以降のタレントへの関心がつよかった。

 が、時間が過ぎ、自分が支持したタレントのほとんどがリタイヤするか、当時のスタイルを変えてしまった。
 支持したものとして、残念でならない。
 
 そんななか、この両人、とりわけ松田聖子の歩み方は、同時代人のひとりとして、憧憬に値する。
 ディナーショーで「赤いスイートピー」を聴くまで死ねないとさえ思っている。

 それゆえに本書を手に取ったわけだが、くどいがおそらく著者のねらいとは別のところで感銘をうけた。

 気持ちのよい読後感だった。

|

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »