すこしだけ
いくつか原稿が片付いてきた。
すこしのんびり気分がもてるようになってきた。
あらたな創作活動の意欲がでてきた。
やっぱりな。
時間がないとあきませんわ。
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あきすぎた。
ここまであいたのは珍しい。
ちょっとスランプ。
「『篤姫のみた京都』を追って」の執筆に苦闘したため。
今朝やっと提出した。
すこし気楽になれた。
某古書店で、息がとまりそうになった。
探していた本に唐突に出会ったから。
書物名はいわない方がいいな。
僕のひとことがこの業界の値段に影響することもあるらしいから。
ある本なんか、僕がすごい値段で買ったと発言したあと、さらに9万4500円にまではねあがった。
元古書肆Aさんから「おまえのせいだ」といわれた。
なるほど。
責任重大かも。
で、その本。
幕末史の重要人物の伝記。
僕のリンク先になっている方のブログでも話題にされたことがある。
友人町田明広氏の8月18日政変に関する論文で多く引用されているもの(『日本史研究』539号)。
伝記だが、その人の日記が掲載されている。
(わかる人にはわかってこられたか)
僕も入手を試みたが、日本の古本屋サイトにはすでに品切れ状態。
僕が出講している大学のいずれの図書館にも所蔵されていない。
それを今日、みつけた。
ぎくっ。
1959年刊行の非売品。500部限定。全767ページ。
さあ値段だ。
いくらだ。いくらまでなら出せるか。
1万円? 2万円?
心地よい緊張。
リンク先のKさんは安価とはいえなさそうな金額で入手された感じ。
そっと最終ページをみる。そこに値段が書きこまれている。
先頭に「45」の数字をみた。
4万5000円か、これは無理だ。
いや。
コンマのあと数字は3つしかないぞ。
4,500円か。
まさか。
何度も見直した。
まちがいない。
関心なさそうな顔をしてお金を出し、さっさと退店。
うれしくってならない。
本の値段って本当に難しい。
店主はその価値を知らないのだろう。
僕はたぶんかりに3倍でも買ったと思う。
高くつけたらよかったのに。
残念でした。
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4/23(水)はれのちくもり、夜あめ
京都女子大学に出講。
今期初の現地見学。
後白河法皇の法住寺殿跡を、山田邦和博士ご夫妻案の復元図をもとにあるく。
新日吉社、新熊野社、三十三間堂、後白河天皇陵などなど。
かなりの人数参加。
昨年受講し、単位もさしあげたはずのFさん、Yさんもなぜか参加。
「なぜ今日の巡検がわかったか」ときくと、Fさん実はすでに毎週受講していると。
知らなかった。
コミュニケーションカードをわざと提出していなかった由。
そうだろう。
Fさんは独特な書体で文を書く。
よく覚えている。
そのペーパーが提出されていたらその段階で気づいただろう。
気にせず提出してください、という。
帰る方向がおなじYさんとすこしおはなし。身の上話をきく。
いろいろ寄り道しながら、一旦帰宅。
夕方、佛教大学に出講。
こちらも本日は巡検。
雨がふりそう。ピンチ。
船岡山(京都市北区紫野)をあるく。
船岡山は中世山城だった。
高田徹氏の船岡山城の縄張り図を片手に土塁・堀をさがす(『図説近畿中世城郭事典』、城郭談話会、2004年、104~105頁)。
おおいに楽しめた。
高田さんのご成果に敬意を表します。
終了後、しばらくして雨が降ってきた。
たすかった。やっぱり運がいい。
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4/22(火)はれ
基礎からまなぶ日本歴史に出講。
1週ぶりの応仁の乱。
ついに洛中市街戦に突入。
同時代の記録にもとづき、最初にどの寺院が燃えたかをお伝えする。
百万遍(知恩寺)、革堂、誓願寺などである。
それぞれ現在、東山区東大路今出川、中京区寺町二条上ル、寺町六角下ルにあるので、別個におのおの焼けたように思ってしまう。
が、それはいまの景観。
豊臣期以前、この3か寺は上京区堀川一条東入ルの北側一帯に並んで存在していた。
つまり3か寺は類焼したのである。
それを上杉本洛中洛外図屏風で確認してもらった。
くわえてそれらの地にいまも地名が残っていることを指摘。
すなわち「元百万遍町」、「革堂西町」、「元誓願寺通」などである。
ついでにその上杉本洛中洛外図屏風の誓願寺の北側に、「飛鳥井殿がありますね」という。
カンのいい受講者多く、すぐにきづかれた。
「白峰神宮」、声がきこえた。
そうそう元誓願寺通の北側といえば、もう今出川通。
飛鳥井殿跡はそのあたり。
その飛鳥井殿跡を神社にしたことで知られるのが、崇徳上皇をまつる白峰神宮だ。
地名だけでなく、神社の由緒も上杉本洛中洛外図屏風の描くそのまんまだ。
京都にはまだまだいろんな形で秀吉以前が残っている。興味ぶかいとしめくくる。
そこでチャイム。
受講者、あたらしい方があった。
若い方。
この講座は平均年齢がかなり高い。
数えたことはないけど。
僕より低年齢の方はきわめて少人数。
そんななかびっくりするほど若い人の到来。
うれしい以前に、なんでやねんという感じ。
で、数秒の間があって、きづいた。
知っている人だ。
そうそう、去年の京都女子大学の受講者、Nさんだ。
熱心な学生さんだった。
そういえば、昨年同志社大の講義を受講してくださっていたKさん(男性)も、すこし以前からおこしだ。
今年の同志社大の講義も受講くださっている。
過去に教えた方が慕ってちがう形で受講くださること、ほんとうにうれしい。
アクがつよいのでこれまでむしろ好かれないことが多かったと思うのだが、この変化。
感激を特記しておきます。
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4/21(月)はれ
午前9時から大谷大学に出講。
「歴史地理学」という科目。
「歴史地理学」は、一般的に地理学の分野だが、歴史学の立場から研究する必要があることを論ずる。
次回につづく。
終了後、ビデオ撮影が行われた。
同大学の生涯学習講座の紹介ビデオだ。
でももう60余人も受講希望がある由。
教室講義と巡検を併用する講座である。
そんなに受講者がいて、いいの?
もう募集を停止した方がいいのでは。
某所で大急ぎの昼食。
商品受取り口で、店員さんが「センセイ!」
「どこかで教えましたか」
「京女(きょうじょ)です。」
「京女(きょうじょ)」とは、京都女子大学の略である。
また京都女子大学の元受講生から声をかけられた。
はずかしいやら、うれしいやら。
午後から東福寺即宗院へ。
篤姫は嘉永6年10月4日(1853年11月4日)、東福寺を参拝したらしい(『天璋院―薩摩の篤姫から御台所』展示図録、鹿児島県歴史資料センター黎明館、1995年)。
それが正しいとして、広い東福寺のどこを訪問したのか。わからない。
有力なのは在京の島津家家臣の墓所の地、即宗院。
たとえばJRの機関誌『ジパング倶楽部』2008年2月号〈特集篤姫の故郷薩摩を訪ねて〉、7ページ)もその説をとる(原口泉氏、寺尾美保氏が監修か)。
篤姫の京都論の語り部を任ずる僕は、なんとしても即宗院のお参りをしたい。
が、非公開寺院である。
それを歴史作家、桐野作人さんに無理をいってご紹介をいただき、実現のはこびとなった。
住職さんにご挨拶。
奥様お茶をだしてくださる。
「はじめまして」といおうとすると、とても意外なところですでに旧知だと知る。驚嘆。
なんと世の中、せまい。
急にリラックスする。
奥の山の墓参、感激。
有名人の墓碑だらけ。
これは興味深い。
在京の大名家臣の墓所に関心がある僕には、モデルケースにできそうな地だ。
今後も目がはなせない。
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4/20(日)はれ
嵯峨野学芸倶楽部に出講。
またも多くの受講者にめぐまれる。
伏見の歴史のおはなし、というより雑談。
篤姫からはじまり、近世伏見論、中世伏見殿、豊臣政権の伏見城下町などなど。
たくさん笑いがあった。
とてもよかった。
ひさしぶりに代表のH崎さんにお目にかかる。
お元気そうでなにより。
なぜしばらくお目にかかれなかったか、大きな山をこえようとしておられたから。
このたび、それをこえられた由。
ひとごとなのに、感激。
まけてはいられない(ではどうする)。
また受講者有志でいつものスマートで喫茶。
その後、蛇塚古墳へ行く。
蛇塚古墳へ行って石室部分だけ見て帰るのはつまらない。
周辺をあるくと地割に古墳の輪郭が残っていること、よくわかる。
それを歩いてみなさんに示した。
これが歴史地理のおもしろさですよ、講釈をたれる。
みなさん、聴き上手。
ありがたい。
つづいて夕方、上七軒歌舞練場へ。
北野をどりを観覧。
お茶屋大文字のお招き。
いつもより、とてもわかりやすいお芝居でした。
僕でも楽しめた。
おススメします。
夜はその大文字で接待をうける。
舞妓はん、芸妓はんと楽しいひととき。
ふだんは酒をやめているが、今日ばかりはいただく。
濃厚な1日でした。
4/19(土)はれ
岡山県津山市で篤姫のはなしをする。
美作大学の生涯学習講座の一環。
既知の研究者(博士)にして、同大学の事務方職員の渡邊大門さんからのお招きである。
到着までいくつかの「事故」があったが、無事講演行われる。
90人ほどの受講者であった。
京都をよくご存知の方が多く、篤姫と京都論という地域性高いはなしだが、助かった。
美作といえば、幕末期に、岡山出身の岡元太郎、土佐の島浪間(天誅組志士)、井原応輔、千屋金策が戦死した美作土居の事件が思い出されます、なんて講演冒頭ではなしし、終了後は渡邊大門さんに墓参をいつかしたいと思いますといったもんだから、なんと連れて行ってくださった。
えーっ、って感じで、本当に、本当に感激した。
高校生以来の思いをかなえられた。
志願して、20余年目のこと。
生涯2度とこないかも知れないと、帰り際、なごりおしいて、なごりおしいて。
ま、経験上、そういう場所は、かならず2度くるんだけど。
天誅組天辻本陣跡とか(奈良県西吉野村)、中山忠光終焉の地(山口県豊北町田耕)とか。
あ、三つとも天誅組だ。
渡邊大門さん、気をきかせてくださり、「ドライブ」と称して、とんでもないところまで送ってくださった。
ありがとうございます。
感謝にたえません。
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4/18(金)あめ
午前9時、同志社大学に出講。
プロジェクターを使用した、パワーポイントによるスライド上映で講義を進めているのだが、今回不手際あり。
指定された部屋はプロジェクター未設置だった。
持ち込んで使用する由。
聞いていなかった。
で、かなり受講者に迷惑をかけた。
終了後、受講者からプロジェクターが設置された部屋に変更願いを出してはどうかと勧められた。
なるほど。
ではさっそく、と交渉すると、あっさりまとまった。
次回からプロジェクター設置部屋に変更です。
部屋番号「S33」です。
どうぞお間違いなきよう。
内容は「幕末政治史の読み直し」。
今回は導入。
幕末史のわく組は大きく変わった。
その結果、史料用語の意味も再検討しなくてはならなくなった。
「攘夷」、「倒幕」という言葉をみなさんはどう解釈しておられますかと聞く。
青山忠正先生提唱するところの、「言語」の問題である。
(『明治維新の言語と史料』、清文堂)
次回から本題に入ってゆく。
次回は、和親条約と通商条約。
今後、故高橋秀直さんの『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の序章に準じて、幕末史概説を進めていきます。
いい忘れてましたが、今年から新町校地から今出川校地に教室を移しています。
すなわち二本松薩摩屋敷跡である。
おもいっきり幕末史の舞台地である。
そんな地で濃密な幕末史概説ができる。
こんな幸せな教員がほかにあろうか。
昼12時30分から、キャンパスプラザ京都で「くずし字入門」。
古高俊太郎関係文書はそろそろ終わりにちかづいた。
正直あきてきた。
そろそろちがうことをしようと思う。
終了後、JR京都駅から新快速に飛び乗る。
大阪市内へむかう。
明日から、大阪市中央区の大阪歴史博物館で「篤姫」展が行われる。
その内覧会(関係者による事前見学会)にご招待いただけたので出席するためである。
宮崎あおいさんや瑛太さんのゲスト参加を期待していた。
が、おこしではなかった。
でも徳川記念財団の柳田直美さんや、尚古集成館(鹿児島市)の寺尾美保さん、鹿児島県歴史資料センター黎明館の崎山建文さんなどがおこしだと知り、かえってそちらの方がありがたいと思った。
既知の徳川記念財団研究員藤田英昭さんからお声をかけられる。
展示協力に東京から滞在中とうかがった。
藤田さんが最近いろんなところに書かれている篤姫ネタは、本当に興味深い。
僕の知りたいこと、おもしろいと思うことに非常にマッチしている。
おそらくご関心のおありな対象が、僕のそれに近いのではないかと思っている。
その藤田さんから、上記柳田さん、寺尾さん、崎山さんをご紹介いただいた。
みなさん、ご著書や論文、その他さまざまな場所で僕に篤姫を学ばせてくださった「先生」たちである。
本当に感動した。
「篤姫のみた京都」に関する史料についても、情報交換ができた。
感激である。
同展は、すでに江戸東京博物館で開催ずみである。
友人T社のC野氏からすさまじい観覧客の多さだと聞いていた。
明日からの大阪展も同様だろう。
なのに僕は本日、人の少ないところでほとんど貸切状態でゆっくりゆっくり観覧した。
実に贅沢な時間だった。
最後のひとりになっても見続けていた。
閉館時間がすぎても見ていたので、さすがに出なくてはならなくなり、最後は少し見残してしまった。
またこれたらいいが。
御世話になったみなさまに心より感謝申し上げます。
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4/17(木)あめ
名古屋、栄中日文化センターへ。
また講座の再開である。
今回も引き続き、「日本の城と合戦」と「京都学ことはじめ」。
「京都学ことはじめ」は、まあいいのだ。
専門にちかいから。
信長の京都支配について。
主に高橋康夫先生(建築学)の旧二条城のご成果(『豊臣秀吉と京都』所収論文、文理閣)のご紹介だったのだが。
問題は城と合戦講座で、今回はこともあろうに恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱。
奈良時代ではないか。
よくぞそんな話するわ。
ところが、なんとこの講座がもっとも人気が高いのだ。
専門家の思いと一般の関心の齟齬をここにみる。
夜も庶務や原稿執筆などあり。
大学再開して2週間。
そろそろ疲れてきた。
夜、大雨。
雨降ると郵便局にいけない。
でも待たれている荷物は発送せねばならない。
こういうとき、自家用車をもちたくなる。
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4/16(水)はれ
京都女子大学に出講。
今朝も早起きに成功し、無事始業50分前に大学に着く。
途中、雨が降るのか、カサを持っている人を多くみかける。
受講者、先週の経験で、140人ぐらいと思えた。
ゆえにプリントを150枚用意したが、足りなかった。
昨週より増えているらしい。
なぜだ。
講義終了後に提出してもらっているコミュニケーションカードを読んだら、次の一文があった。
「先週はまだ授業、何をとるか決めてなくて、この授業出てなかったんですが、友達の間で不思議ちゃんな先生がいるって聞いて気になって取ることにしました」
「不思議ちゃんな先生」!?
昨年放映の映画「バブルへGO」で、広末涼子扮する主人公が「不思議ちゃん」とよばれていた。
「不思議ちゃん」ってかわいい表現だと思ったので、僕の周辺で変わった子を見つけたらそう呼ぼうと思ったが、見つからなかった。
なのに、僕が呼ばれてしまった。
しまった。
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4/15(火)はれ
時間がたつのが早すぎる。
また2日あいてしまった。
12時30分、基礎からまなぶ日本歴史に出講。
今日は特別編。
受講者T富さんのリクエストにお答えし、「篤姫と京都」をお話しする。
もう各地でおはなししていることなので、すでに聞かれた方も少なくない。
だから参加者少ないと思ったのに、いつもとかわらなかった。ありがたいこと。
終了後、某所へ総務のKさん、Aさん、Wさんと石碑建立の用事にでかける。
いい話になればいいのだが。
夕方6時からは木屋町三条の酒場「龍馬」へ出講。
寺子屋龍馬。
「なぜ河原町三条に幕末史蹟は多いのか」をおはなしする。
もちろん主人公は京都市教育会と寺井萬次郎である。
熱がはいりすぎ、1時間のところ、1時間40分もする。
終了後の「たこやきパーティ」に今夜も参加。
参加者のご質問に答えたり、歓談する。
中井弘を研究されている、京都大学留学生の某さんとお話していて、中井弘の京都の居所のことが気になった。
石田孝喜さんの『幕末維新京都史跡辞典』に掲載があるので、すでに知られていること。
でも出典はなんだろう。知らないなあ。
T京R馬会のM川M子さんならご存知だろうか、なんて思ってみた。
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また2日もあいてしまった。
なにか用事をしていると、すぐこれだ。
4/11(金)はれ
夜、木屋町三条下ルの酒場「龍馬」を訪問。
さしあげる約束をしたモノを持参。
「龍馬」と「おりょう」さん、たまたまおいでのY新聞社のお2人と歓談。
気分がよかったので、自宅まで歩いて帰る。
ちょうど1時間半かかった。
旧下京から北郊のO郡S村までだからね。
健康にいいわ。
4/12(土)はれ
朝から旧K郡T村へ。
ある購入予定作品のパーツを展示場所へ見に行った。
午後から製作の方と会う。
パーツ決まる。
すばらしい。
これで製作がはじまる。
夢そらごとが現実になるらしい。
家に荷物が多すぎる。
家が機能しなくなって久しいので処分を開始した。
オーディオや楽器、書籍など、捨てたり、もらっていただいたりしている。
よく驚かれるのだが、たとえば拙稿「御土居堀ものがたり」連載中の古新聞が、そのまま幾セット分も保存されている(1年間。54分部×いくつか)。
さすがに所有をあきらめた。
古紙回収に出そうと思ったら、引き取るという方が出てこられた。
ありがたい。
うちではかわいがってあげられないので、よそで大事にされてください。
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4/9(水)はれ
新学期はじまる。
まずは京都女子大学から。
1講目、8時50分から。
昨年は日も時間もまちがうという失態をした。
9時すぎに教壇にたち、「はじめまして」といったら、8時50分からで、実は先週からだったのですといわれた。
無断休講のあと、遅刻したのに謝らない非常識な教員だった。
知らなかったので、講義終了後知らされて、翌週謝りたおした。
そんなことがあったので今年は開始日をきちんと調べ、時間もかなり早めについた。
7時50分にはもうキャンパスにいた。
早すぎて講師室まっくら。
僕が電気をつけた。
ポットもスイッチが入ってなくて、お湯ができていなかった。
コンセント入ってるのに。
なんでだろう。
最初にこられた事務の方にどうしたらスイッチ入るのですかと尋ねると、タイマーなんですといわれた。
想定外の早さだったようだ。
受講者たいへん多く、約150名。
プリント100枚すっていったら全然足りず。
昨年同様のコミュニケーションカードを書いてもらう。
やっぱり京女生、期待どおりの内容だった。すばらしい。
午後からキャンパスプラザ京都に出講。
くずし字入門。
前日、あるオリジナル記録(1冊)を手に入れた。
実に興味深いもの。
「本邦初公開!!」ともったいをつけてお披露目。
いまていねいに読み解くヒマはないが、これは翻読し公刊する意義があるのではと思っている。
夕方、佛教大学へ。
「京都地理フィールドワーク」という講義。
受講者、たった8人。
ゼミみたい。
これはステキな授業ができるぞ。
春学期は水曜日がステキな日になりそう。
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4/8(火)つづき はれ
基礎からまなぶ日本歴史に出講。
応仁の乱、つづき。
ようやく御霊林の戦い。
応仁の乱がはじまった。
次回、細川勝元の逆襲。
洛中市街戦の開始。
これにより京都から「古代」が消えうせる。
終了後、建碑のご相談。
ご担当のおふたりに、碑の側面に刻む120字の解説文をお渡しする。
終了後、受講者の一部の方の喫茶の会に合流。
受講者のTさん。
近世公家のT家の子孫とは聞いていたが、ピンときていなかった。
幕末期、T家当主は反幕側におり、とりわけその家出身者には、ある重要人物の知られた側近がいるとはじめて知った。
今年の大河ドラマにもかかわる人物である。
近世後期から近代までのT家の墨書の家系図の写しを拝見する。
おもしろかった。
明日から本年度の大学講義が開始される。
しょっぱなが、京都女子大学と佛教大学。
初日からつかれそう。
すなわち春休み最後の日なわけだ。
突然有志の花見が企画され、あそぶことにした。
平野神社の夜桜を楽しむ。
その数多く、とてもとてもきれいであった。
その場での飲食は席がとれず無理。
至近の北野白梅町交差点の串店にうつる。
ビールも飲む。ひさしぶりなこと。
明日から大変だわ。
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また今年もこの日がきた。
1986年(昭和61)4月8日、岡田有希子が亡くなった。
もう22年になった。
その間、いろんなことがあった。
でも彼女はいまだに18歳である。
最近は愛知県佐屋町へ墓参もしなくなったが、思い出すことが大事だ。
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4/5(土)はれ
名古屋・栄中日文化センターに出講。
「新選組の手紙をよむ」という講座。
ひさしぶりの新選組講座である。
2004年以来だと思う。
大河ドラマのとき。
受講者40人ぐらい。けっこう多い。
第1回は「新選組誕生」。
持論になりつつある浪士集団論にもとづき、新選組の母体となった浪士組を論ずる。
前置きがながすぎて、まったく近藤勇の手紙がよめなかった。
終了後、初受講の方からご質問とご要望あり。
質問はまあいいのだが、ご要望はめんくらうような内容。
でも結局ひきうけた。
どういうことになるか。
その内容、いつか明らかにする日があるでしょう。
なお講座の今後の予定は、以下。
2.池田屋事件―元治元年(1864)その1
3.禁門の変―元治元年その2
4.長州征討―慶応元(1865)~2年
5.徳川の崩壊―慶応3年
6.新選組の最後―慶応4年~明治2年(1869)
詳しくは栄中日文化センターまで。
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4/4(金)
くずし字入門の日。
本年度最初。
でも特に変化無く、古高俊太郎関係文書をよむ。
ながいことお休みされていた、Gさん来られる。
こういうのは大変うれしい。
こられなくなると、なにか嫌なことでもあったかなと思ってしまうから。
なぜだか分からないが、昨日から右目が異常に充血している。
たまたまいっしょにいた友人が、気づいてくれた。
うちには鏡がないので(最近行方不明)、わからなかった。
今日も変わらずひどい状態。
トイレで鏡をみて自分でぎょっとする。
こういうときの対処は早い。
夕方、すぐに眼科へ行った。
たいしたことはないらしい。
目薬をもらった。
1日4~5回打つのだそうだ。
でもしばらくは充血はつづくらしい。
その間会った方に不快な思いをいたすかも知れませんがご容赦ください。
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シンポジウムのお知らせです。
本能寺の変で知られる「本能寺」。
本能寺の変の解明はすすみましたが、実は「寺」そのものについては、ほとんど明らかにされていません。
近年の発掘成果にもとづき、はじめて本格的に「本能寺」にメスが入れられます。
ご紹介もうしあげます。
第17回 平安京・京都研究集会の御案内
「戦国時代の本能寺と織田信長」
日時:2008年5月25日(日)
現地巡見:
10:00、阪急電車大宮駅改札口集合
案内:山本雅和氏(京都市埋蔵文化財研究所)
シンポジウム:
13:30~17:00
場所:機関誌会館五階大会議室
(京都市上京区新町通丸太町上ル東側、市バス府庁前下車すぐ、または地下鉄丸太町駅下車2番出口より西へ徒歩5分)
報告:吉川義彦氏(関西文化財研究会、考古学)「本能寺跡の発掘調査」
河内将芳氏(奈良大学、日本中世史)「文献史料からみた中世の本能寺」
コメント:仁木 宏氏(大阪市立大学、日本中世史)
「都市京都と本能寺・信長」
山本雅和氏(京都市埋蔵文化財研究所、考古学)
「本能寺の発掘調査への所見」
主 催 平安京・京都研究集会
後 援 日本史研究会
要資料代。
一般来聴歓迎
(ただし研究者むけですので、内容について一般への配慮はありません)。
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