「篤姫」の上洛をみる
3/30(日)
大河ドラマ「篤姫」をみる。
江戸へむかう篤姫。
途中、上洛。
待ちに待ったシーンである。
「京 薩摩藩邸」とテロップが出た屋敷で、役人から挨拶をうけていた。
が、近衛家の「雑事日記」嘉永6年(1853)10月2日条(陽明文庫蔵)に、
「篤姫殿今度関東江下向、伏見通行ニ付、此御所(近衛殿・・中村注)へ御出」
とあるため、大名の参勤交代と同じスタイル、すなわち京屋敷(錦小路屋敷)ではなく、伏見屋敷に入ったはずだ。
注:ここでいう京屋敷は、現同志社大学今出川キャンパス(烏丸通今出川上ル)に位置した二本松屋敷ではない。
二本松屋敷は近衛屋敷の向かいになるが、文久3年(1863)新設で、嘉永6年(1853)当時はなかった。
近衛家に入る前の休憩や準備のために、少しの間だけ錦小路屋敷に入ったといえなくはないが、近衛家参殿をドラマのナレーションは「京 薩摩藩邸」に入った「数日後」といった。
近衛参殿の直前ではない。
近衛参殿は10月2日。
その2日前に入った屋敷は伏見である(9月29日)。
錦小路屋敷ではない。
すなわちドラマでは伏見屋敷の役割を、京都錦小路屋敷と完全に混同していたように思えた。
ただ同じ「雑事日記」の記載から、近衛参殿の2日夜は(内々だと思うが)錦小路屋敷に宿泊したと思われる。
エンディングの「篤姫紀行」は、京都とその近郊の篤姫史蹟の紹介、わりとよくまとまっていた。
伏見薩摩屋敷跡(下板橋)もちらりとうつった。
近衛殿跡の近衛池も紹介があった。
注目すべきは東福寺即宗院の紹介部分。
「篤姫が参拝したと伝わる東福寺」とナレーションはのべた。
ここだけ「伝わる」とした。
伝承であって、事実かどうかは別だといいたげだ。
それもそのはず。
篤姫の畿内通過の行程については、鹿児島県歴史資料センター黎明館の1995年特別展の図録
『天璋院―薩摩の篤姫から御台所』48-49頁)に詳しい。
それによると、
9/24大坂 ⇒ 9/29伏見 ⇒ 10/2近衛殿 ⇒ 10/4東福寺など ⇒ 10/5宇治 ⇒ 10/6伏見発 とある。
ところが同書にはまったく出典の記載がなく、少なくとも10月4日の東福寺入りは何らの史料によっても現在まったく裏付けられない。
そのことを示唆したものと思われる。
なお本稿の詳細は、拙稿「『篤姫のみた京都・伏見』を追って」として、『京都民報』(京都民報社)本年5月11日、5月18日の両号に掲載予定です(掲載日、変更しました)。
よろしければ御覧下さい。
余談ですが、今回篤姫の江戸の母英姫を演じた余貴美子さん。
昨年上映の京都を舞台にした「初雪の恋」という映画で、主演の宮崎あおいさんの母役を演じている。
わずかな期間にこのお2人は母子を2度も扮しておられる。
どうということはないが、「初雪の恋」を楽しんだものとして興味深く思ったので、ご紹介まで。
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