池田屋事件を考えて本能寺の最新成果をまなぶ
2/1(金)はれ
朝1番に理髪。
午後からJR西日本・ジパング倶楽部3月号に載せる写真の撮影があるから。
みなりは気にしない方だが、写真は残る。
あとから「なんでこんなむさくるしい姿やねん」と思うことしばしばだから。
9時半に行ったら、10時からですといわれ、予約して一旦もどる。
今日はお休みですか、と聞かれ、なるほどそう思うものかと知る。
これからです、と返事。
「12時30分から京都駅に行きます」
「京都駅あたりがお勤めさきですか」
「いえ、今日は京都駅ちかく」
「そのつど、ちがうんですか」
「そう」
「そういうお勤め先なんですね」
「はい」
どういうお勤め先だと思われたのだろう。
その12時30分、京都駅前のキャンパスプラザ京都でくずし字入門。
これからしばらく金曜日に変更です。
お気をつけください。
大高又次郎の持ち物検査、おわる。
現在、大高又次郎をしる人はすくない。
池田屋事件犠牲者としてのみ知られているのでは。
が、これは小物ではないわ。
文久3年(1863)から元治元年(1864)上半期の京都政局の一端をになっている感じがする。
「新選組誕生」の裏側にも、大高がいたのではないかと、いま考えている。
そうするとその新選組に斬られるわけだから、こんな皮肉なことはない。
次回のくずし字入門は、特別編「大高又次郎論」をするつもり。大高を総括してみる。
JR西日本・ジパング倶楽部のうちあわせと写真撮影のあと、
夕方、Y田K和博士邸へ。
お宅拝見である。
いや、初訪問ではないのだが。
ちょっと事情があって「じろじろ」見せていただきたくなった。
快諾いただいて、書庫を中心にじろじろ見せていただく。
知ってはいたのだが、改めて御蔵書の充実ぐあいにうなる。
うちの本の集め方なんて、実に中途半端だ。
遠慮がちに本を買っていたが、遠慮は無用だと思った。
先日『鹿児島県史料/斉彬公史料』全4巻と『島津斉彬文書』全3巻中の2・3巻を買ったが、こんなん今年しかつかわへんかも知らんのに、とさんざん悩んだのがあほらしい。
Y田博士邸には『古事類苑』が全巻あったぞ。
考古学者のY田博士には必携とは思えない。
が、それさえお持ちだ。
ほかの文献の充実ぶりがどんなものか想像されよう。
ずっとうなったり、はしゃいだりしてましたわ。
夜は同じぐらいエライ人たちが5人もY田博士邸に集まって、平安京・京都研究集会の準備会がある。
何の役にもたたない僕だが、事務方として出席。
次は本能寺がテーマとなる。
本能寺の変ではなく、本能寺そのもの。
その景観復元が討論されるであろう。
Y田博士邸からあるいて帰る。
帰宅してまだ仕事をつづけるが、疲れが出てあまり進まなかった。
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